文庫が受験対策になったこと。

何の話だろうって思うでしょ?

進学のために受験勉強をしたんですが。英語の詩についても勉強をしました。

これで。

岩波書店 (iwanami.co.jp)

絶版という事は、新しい『イギリス名詩選』をこれから岩波文庫が準備するということなのでしょうか?事実は知りません。

英語の詩と日本語訳の対になっているんですよ。もちろん、註もついてます。

当時、先生方に受験の準備のやり方を教わり、このテクスト群を勉強しなさいと数冊教えてもらって、受験勉強をしていました。

そのうち、英語の詩については、この本で準備しました。

懐かしいなぁーとたまに読み返すこともあります。

英詩については講義の受講を割とさぼっていたので、受験期になって困ったんですよ。

言葉をこれから習得する子供のような感じなのに、イギリスの詩が立ちはだかるからです。

イギリスの詩にはいろんな約束事もありますし。

受験期に、この箇所が理解できないですと言っては、先生の研究室に出向き、先生、ここがわかりませんと教えを請い、あまりに普通に質問に行くので、先生に、あのね、家庭教師じゃないんだからと怒られたことさえあります。

それほどまでに、英詩の壁は高かったんです。

受験が終わった後に、この人は何なんだろうという詩人の詩を図書館で読んだこともあります。

Edmund Spencerという詩人です。

実は、”the poet’s poet”と呼称される詩人です。詩人の中の詩人です。

スペンサー連と呼ばれるとても技巧に満ちた脚韻の細かい詩を書く詩人で、そのスペンサー連で書いたのが未完に終わったFaerie Queeneです。

図書館で読んでいたんですが。通読も出来ないくらいに技巧に満ちていました。

細かく読むと時間がかかってしょうがないんですよ。

よくこんな点描みたいな詩を書けるよなと。脚韻を揃えるので、工夫が細部に満ちています。

音が重視されるので、登場人物の心理に至ってもその韻律に工夫が施されるという細やかさです。

イギリスの詩は、イタリヤの詩の形などを原型としながら独自進化をするんです。翻訳が盛んだったので。

スペンサーを研究する先生は大変だなぁーと思ったことがあります。当時の英語の語学的な運用の側面についても勉強しないといけないでしょうし。英語のサイトで勉強用のまとめサイトみたいなのもありますが。

日本の研究書のように、きちんとした註はもちろんないんですよ。註がないということは、果たしてこの細密画みたいな長編詩の教え方を本国で間違えている先生もいるということなのでしょうか?

どうなんでしょうね。

研究者の先生はいらっしゃると思いますよ。日本でも。

イングランドの詩の文化って16世紀は凄いんですよ。不勉強ですみません。ほんとうに。お恥ずかしい限りです。詩歌の韻律にイタリヤとフランスの古い詩の兆候を読み込むというのは大変な作業だと思っています。イングランドのサイトでも詩は読めるんですが、註がゼロなんですよ。註なしには読みこなせませんよ。困ったものです。

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