毎年、7月になると七夕祭りが地域によってはあるじゃないですか。
子供のころに、七夕の飾りつけとかしたでしょ?学校とかで。
その時に、七夕の物語の勉強とかするじゃないですか。
一年に一回しか会えないことを、寂しいと感じたほうがいいのかどうかについては結構悩んだことがありました。
学校の先生の回答としては、一年に一回しか逢えないんだから、お天気のほうがいいよねという話だったんだと思うんですが。
わたしは早い段階で、大気圏を抜けたら、宇宙空間ではお天気なんてあんまり関係ないもんねという事実を知っていたんですよ。お天気に翻弄されているのは地球に住んでいるわたしたちという知識を持っていたんですね。
たまたま、NHKの特集を観て驚いたからなんですが。

それでも、先生の考えに賛同はしないといけませんし。子供心に悩んだんだと思うんです。そうか、距離がとおいねや、お互い遠いから、天気関係ないけど、一年に一回だけ会おうってことになっているのかもしれない。
どうしよう、実は仲が悪かったら。
一年に一回しか会えないって、大体誰が決めたんやろ?あー、神様やわ。うーん、毎日会うのが楽しくって遊んでたら、怒られたんやったっけ?一年も離れて別々に暮らしていて、相手のこと覚えていたりするんだろうか?
どうしよう、実はお互いの存在を忘れて夢中なものをほかに見つけていたら。
子供って現実的に物事をとらえる側面もあるでしょ?
わたしの場合は、その側面がいかんなく発揮されてしまい、先生の、みんなはこう思うでしょ?の手前でまごつくわけです。

仲良しだけれど、別のことに夢中になっているときには、お天気のせいにできるんだという神様の考えがあるのかな?
神様ならきっとお天気を変更することもできるのかもしれないし。
それぞれでエンジョイしていて忙しいから、来年にしてほしいって、ふたりが神様にこそっと頼むと、雨になるのかな?どうなんだろう?数年会わなかったら、さすがにまずいって思ったりするのかな。
七夕で結構悩む子供だったんですよ。
結局、発想自体は子供の感覚に終始するんですけれど。
小学校も高学年になると、星座の本とかを適当に読んでいて、欧州では七夕の星々もまったく違う名前で呼ばれているという事実を知った時には、唖然としました。
小学校低学年のときに悩んだ七夕は、別の国に行くと話が全く違っていて、きっと通用しないのかもしれないと思ったんですね。
七夕の物語はどこに行くんだろうって、空を見上げながら思ったこともありました。
天の川ってどこにあるんだろうって、見上げてましたね。
いまだとお互いSNSでけんかしてたりするのかもしれないという発想になったりするのでしょうか?それにしても七夕の短冊って、七夕の物語の二人の物語と遠い願いごとを書きますよね。一回、まじめに悩んで短冊に「お天気になりますように」って書いたら、先生に見つかって、どうしたの?と訊かれて、え?ってまごついたことがありました。驚いたので覚えています。先生からすると主語や目的語がない感じにみえたのかもしれませんが。え?違うの?と思って戸惑ってしまったんです。どうやって塩梅をとったらいいのか多分わからなくなったんだと思います。友達は家族や自分の願い事になっていたり。え?ってなりましたけど。