使うに使えない言葉って結構沢山あります。理由は、語源(古いフランス語やラテン語までさかのぼらなくてもいいんです。実際語源が怪しい言葉もあります)になっている現象について、全く詳しくないケースがあるからです。
例えば、ニヒリズムとかうまく使えません。
だって、その言葉が流行るもとになったツルゲーネフの原作を読んでいませんし。ええ、不勉強なだけです。
ロシアの19世紀から20世紀にかけての革命思想なんて詳しくないからです。
ええ、勉強不足なだけですよ。
背景がよくわかっていないのに、イメージで言葉を使うかというと使いません。

ドイツ圏の哲学者であるニーチェとの相関関係についてはいまひとつ理解していません。ニーチェがそこまで細やかに概念について調べたんでしょうか?最終的には仏教思想にたどりつくんです。場所の特定すらむつかしいですよ。東洋の思想の誤解から生じている可能性すらありますし。ラテン語ではnihilですが。スコラ哲学の公理で有名な運用があります。私はラテン語はわかりませんが、フレーズとして知っています。辞書に掲載があるからです。”Nihil est causa sui ipsius.”これは、何も自己自身の存在の原因ではないという意味になります。もう一つ辞書に載るくらい有名なのは、”Nihil est in intellectu quod prius non fuerit in sensu.”、感覚に最初無かったものは何も知性のなかにはないという有名な公理です。スコラ哲学の公理と仏教思想が急に次元を変えて結びつくというのは言語運用の地形図を念頭においたとしても理解の限度を超えています。ニーチェがパーリ語に詳しい事実なんて知りませんし。結構、調べるとむつかしくなるはずなんです。ニーチェが頑張ってパーリ語を習得したうえで、概念を運用しているとは思えないんです。
つまり、「ニヒリズム」という言葉自体が複層的な意味内容をもつんです。誤用も含めてです。
だから、イメージでニヒリズムと言及すると大体誤用になるんですよ。
そんな危険なことはしません。
無論、ニーチェは読んでいますよ。
読むたびに徒労感を感じるという私にとっては特異な哲学者です。
妹さんがどこまで手稿に介入したかなんて全く知りません。本当に。研究者のみなさんは頑張っているのでしょうか?痕跡を見つけて筋立てて論証していくのはかなりむつかしいんだと思います。ニーチェは読んでます。岩波文庫の文庫です。それにしても昨今の日本の知性の思潮って底が浅くなったような気がするのは、気のせいではないのには気づいています。欧州と渡り合う努力よりも、島国根性が先行するみたいですね。勉強量の欠如した知性もどきの跋扈という怖い状況に学究が覆われるなんて思ってもみませんでした。子供たちの知性を引き上げることよりも、そこに媚びへつらう方向にいく研究者というのはどういう姿勢をもっているんでしょうね。学生の皆さんはわかりやすいジャーゴンを使う研究者には注意をしましょう。通常の勉強の道のりってそんな安易なものではないからです。きちんとした先生につかないと後で道を誤ることもありますよ。私は厳しい先生についたので大丈夫でした。手掛かりは、流行に乗らない先生になります。流行の思潮の概念からちょっと距離を置くというリテラシーがあるかないかになります。気をつけましょうね。