自分なりの方法で。

Social Mediaの使用時間は、かなり制限をかけています。

能動的に使うことはまれなんですが、たまに使うと、しんどいなって思います。

使う時間が長くなるとしんどいなという気持ちになります。

こころが重くなるんです。

そういうとき、ありませんか?

ちょっとした世間の闇をのぞいてしまったような錯覚を感じたり。

そういう錯覚が続いたので、積極的に制限をかけています。たくさんのSocial Mediaがあるのかもしれませんが。使うアプリに関しても限定をしてます。それでも検索のしかたによっては言いようのない疲弊感がまとわりつくような錯覚を感じたりするんです。

世間の破れ目みたいなところから、漆黒の闇が次々と顔を出すような連続体に触れていて、つらくなったりしませんか?

こころにとっては何の得にもなりません。

わたしの場合はそうなんです。

破れ目から滲み出るように顔を出してくる闇に出会わなくていいんだったら、出会いたくないという。

なので、この検索の仕方だったら安全というのをいくつか用意しておいて。

安全な圏内で、ぼんやりとみることはたまにあります。

安全ということが第一になります。

暴力は敬遠するという状況で利用するようにしています。

不必要なものにかかわずらわないという姿勢です。

要するにSocial Mediaも使いようなんだろうなって、最近では、そう思っています。

日本人のメディアに対する印象というのは変質しているとおもいます。メディア・リテラシーの過度の展開ととらえる議論も、もしかするとあるのかもしません。使っているSocial Mediaでも距離感が繊細に変化することはあります。

揺れ動くものになると思うので。どの議論が説得力を持つのかについては判断できません。

Social Mediaが複数にわたるので、一概には言えないのでしょうが。暴力に対する距離感というものに対して繊細にはなってきていると思います。

暴力の渦にまきこまれて感覚が麻痺してしまう部分もあるんだと思うんですね。

距離感をきちんと保つって大事になるんだと思うんです。

アカウントをもつと、子供から大人まで、使い方を自制しないと暴力と地続きの空間になるでしょ?

Social Media Addictが影響する問題ってたくさんあるそうです。

University of Cambridgeのサイトです。調べると論文がすんなり出てきます。

Oxford Academicのサイトです。研究結果が出てきますよ。

東京大学にアクセスしても、京都大学にアクセスしても同様のレベルの研究結果は全く出てきませんよね。

理由は何になるんでしょうか?整備できていない現状なのでしょうか?

よくわからないです。

ぽっかりと開いた闇に出会ってしまったら、それが漆黒の闇であったなら、飲み込まれてしまいそうとか、怖いなとか、嫌だなって思ったら、そこから逃げていいんですよ。

誰かが追いかけてくるでしょうか?

だれも追いかけてこないでしょ?

大丈夫ですよ。

陰謀論とか根拠のないものは嫌ですし。負の感情が渦巻いている場所にいると、こころが窮屈になりますし。旧称twitterからほかのSocial Mediaに移行するという流れがあったときに、いろんな専門家の意見があって。英語圏の意見をたくさん読んでいました。最初に作られたtwitterの在り方がだいぶ変容してしまったという指摘が多かったです。イーロン・マスクさんに対する批判もありました。BBCの各種のメディアアカウントでも使用を停止したものがあったと思います。多分。他のSocial Mediaでも感じることですが、広告代理店ってああいう場所を根城にして、世論誘導したりもするんだろうなって。きちんとした地域に根差した広告代理店の皆さんもいらっしゃるんだと思います。一度調べましたけれど、広告代理店業ってお金を儲けるのってかなりむつかしそうなんです。利益のもととなる判断材料となる数値だったり、指標が自社に有利になるように、産業や会社に寄生をして数値操作できるように、指標をだすマニュアルをその会社に併せて仕事内容に反映できるように操作をしたり、広告料の発生する構造自体に恣意性をもたせたり、寄生する先に対して、2重、3重で恣意的な数値操作を行なう構造を作り上げないと、莫大な利益なんて上がりそうもないんです。それでも、経済産業省の中抜きの構造が新聞紙面で特集が組まれたとき、驚いたりもしましたから。実態はもっと緻密なのかもしれません。なんだか、怖いですね。そのような土壌の場所にいても、こころが汚れていくだけなのかもしれませんし。離れてもいいんだと思います。いいんですよ。

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