観た映画と観てない映画についてです。
二つの作品は、アメリカのアカデミー賞でも評価されたそうです。
ひとつはこちらの作品です。
ソフトを、つまり、blu-rayを買う手前で、Amazon.primeに挙がっていて。私は会員なので無料で観たんです。
偶然なんだろうなって思うんですが。ウェス・アンダーソン監督もノーラン監督と一緒で、映画の下地が同時代の核実験施設になったんです。ノーラン監督は「原爆の父」に焦点を当て、アンダーソン監督は、核施設という閉鎖空間を使って、そこに演劇の要素を加えた映画を作ったんです。ノーラン監督はまっすぐに題材を映画にして、アンダーソン監督は題材になるものを遠景に置くことで、入れ子の演劇をそのまま映画に前景化させる映画を作ったんですね。
テーマが同じでも、発想の運び方が別々だなって思ったんです。テーマが一緒でも監督が違うとオリジナリティが異なるので、全く違う映画が出てきてしまうんだって思いました。
アンダーソン監督の作品は、入れ子の構造を前景化させるために演劇を使ったのです。『グランド・ブダペスト・ホテル』の時は、時制を入れ子の構造につかったんですね。時代によって映画のアスペクト比などが異なるので、時代を区切って入れ子の構造を使っています。あれは、とてもいいなって思ったんです。
映画だからです。
2回同じことは援用できないので、演劇をテーマに入れ子構造で映画を制作なさったみたいでした。
どんな形かというと。大きな枠としては、テレビドキュメンタリーです。

コンラッド・アープさんという劇作家が戯曲を書こうとするんですね。その戯曲を制作するアープさんと、戯曲の内容を追うテレビドキュメンタリーになっています。
ですが、演劇を援用しているので、3幕ものにもなっています。
3幕もののテレビドキュメンタリーって観たことがないのですが。アメリカには3幕ものでテレビドキュメンタリーが制作されるのでしょうか?入れ子構造と、3幕仕立てが喧嘩をしているようになっています。喧嘩をしているようというのは、整理不十分だという意味です。
アープさんは苦しみながら3幕ものの演劇を書こうと必死です。その演劇の内容が「アステロイド・シティ」になります。
スペインでセットの書き割りを作ったそうです。

映画は、アープさんの苦悩や実際の演劇が出来る過程や演出家の家庭崩壊と並行して、アープさんの演劇を映像化したものを(映画ですけどね)、テレビドキュメンタリーの大枠が崩壊するか、崩壊しないかどうかすれすれの状態で、進んでいきます。
イメージとしてはこんな感じです。テレビドキュメンタリーの中のヒッチコック自身、そして、ヒッチコックが作るアメリカのハリウッド映画、ハリウッドシステムに飲み込まれて苦悩するヒッチコック自身。
テレビドキュメンタリーの大枠を作ってしまったがために一番外の枠が枠として存立しなくなる脚本。そして、入れ子構造が破綻したままの脚本をベースにした映画、入れ子構造に飲み込まれて、入れ子構造が機能しなくなる状況を前にして一瞬途方にくれるアンダーソン監督です。
一瞬でも途方に暮れていなかったら、それは嘘だと思います。実質、入れ子構造が破綻しているからです。
アンダーソン監督って映像化するときに、構造はきちんと考えるはずの監督なのに。
ダメじゃないですか。

テレスコープが沢山出てくるのも、入れ子構造だからです。
緊張の糸を何とかつなぎとめているのは、ミッジ・キャンベルさんだけです。女優さんとして、演劇作品に参加をしているでしょ?列車のなかで手紙を受け取ったりするでしょ?アープさんの時制を無視した演劇の教室に参加もしていますよ。
あまりに構造にこだわってしまうと、形式主義に陥ってしまって、私が映画を観ませんと宣言をしているゴダール作品みたいになりますよ。ダメです。長編作品は『女は女である』一本しか観ていません。あの作品も入れ子構造なんです。映画のなかにミュージカルを援用しているでしょ?都合3人の関係性を前景化させているので、入れ子構造が目立たないだけです。当時の他の映画の援用?という状況がそのまま入り込んでいたり、最終的にエミールとアンジェラは本を使ってどうでもいい喧嘩をしているでしょ?あれは、ゴダール監督が自前のセンスだけで乗り切っているだけなんです。
センスだけで乗り切っているので、あれこそ、おしゃれ映画なんですよ。
中身の薄っぺらいおしゃれ映画ですよ。
入れ子構造を謳っているにもかかわらず、入れ子自体が破綻しているんです。
ハッピーエンドに逃げているだけです。
後は3本の短編しか観ていませんが。うち一本は強制的に観ることになった短編と、もうひとつは、Ten Minites Olderの短編です。後者はこの間思い出しました。DVDを持っていることに気づきました。そして、私が子供心にこの作品は大嫌いだと判子を押してしまったARIAのなかの短編になります。
ナラティヴはセンスで乗り切れませんよ。
形式主義ほど愚かなものはないんです。ソフトの購入は見送っています。ダメです。
形式主義に陥っているので、間が持たなくなり、演劇の演習の授業の場面で、おそらく監督に頼まれて映画のために書き下ろした、ジャーヴィス・コッカーさんの曲の歌詞を援用して、なんとか誤魔化そうとして、誤魔化しきれずに、内輪ネタのオチみたいな場面になってしまい、非常に残念ですよ。
歌っているでしょ?You Can’t Wake Up If You Don’t Fall Asleepって。ジャーヴィス・コッカーが書いた歌詞がそのまま援用されているだけですよ。
中身が無い場面を作り出したってしょうがないでしょ?
演劇の教室っぽいよねという雰囲気だけでは乗り切れないので、そこが破れ目になって破綻してるでしょ?
ジャーヴィス・コッカーさん自身は、ファンタスティック Mr.Foxでピーティーという役名で、歌を歌っています。外見はジャーヴィス・コッカーさんです。素敵な歌声を披露していますよ。
面白い曲です。機会があったら聴いてみてくださいね。
こんなに悩んだのに、英文学者のX(旧称 twitter)にも米文学者のX(旧称 twitter)にも取り上げられていません。
日本の学識のレベルが下がったのだと確信した瞬間でもありました。
次の作品は、日本の英米文学の研究者やその周辺のX(旧称 twitter) で取り上げられて、私が勝手に謎々になった映画です。
未見です。
理由ですが。原作者のアラスター・グレイは残念ながら、2019年に亡くなりましたがグラスゴーの作家になります。つまり、この作品自体は現代小説のはずです。まだ読んでいません。理由は、映画と原作の溝はきっと深遠なはずと、勝手に思い込んでいるからです。
アラスター・グレイはPoor Thingsを1992年に上梓したそうです。現代小説です。
Poor thingではなく、Poor thingsと複数形のタイトルだけでも何か意味が複層的になってそうですし。
未読なので、内容が分からないのですが。ゴシック小説ではありません。ゴシック小説のパスティーシュなのかもしれませんが。
念のために、ヨルゴス・ランティモス監督の映像作品をひとつだけ観ました。
『女王陛下のお気に入り』という映画です。出演なさっている俳優の皆さんはとても大胆で野心的で、努力をなさっておられるのは、とても理解ができるんです。
ただし、そこにイングリッシュネスが全く見当たりません。
もちろん、映画製作のためにイギリス資本は入っているようですが、歴史ものでありながら、これほどまでにイングリッシュネスが欠如した映画も珍しいと思います。
映画の本質としては、歴史ものを選んでいるので、失敗作です。
イングランドの歴史はイズムの為に存在するものではないからです。
イングランドの史学は史学で存立をしているので、イングランドの史学に泥を塗っているような映像作品になります。監督が無知なのか、非常識なのかはよくわかりませんが、他国の歴史を改変してまで、自分のスティグマの映像化に邁進したいそうですし。
この映画に関しては一部、日本の英文学や米文学のみでしょうが、X (旧称 twitter) で盛んに取り上げられていて、正直意味が全く理解できませんでした。
現代小説で、ゴシック小説のパスティーシュの映画化で、それがどうかしたのだろうか?という感じで。
騒いでいたのは一部の研究者なんだろうなと思っています。
きちんとした先生というのは、X(旧称 twitter)で、パスティーシュの現代小説の映像化で、大仰に騒いだりしませんからね。それよりも、きちんとしたテクストをきちんと精読しなさいと指導をなさるはずです。
きちんとした先生は、基本的には、X (旧称 twitter) なんてやっておられません。大学からの強制がない限り。
きちんとした先生についておられる学生さんは安心してください。
そうでない場合は、選んだ先生を間違ったことになるので、進学を視野に入れている際には、専攻をはっきりさせて大学を変えることもできます。別の大学院に進学すると間違えて選んだ先生のもとで学ばなくて済むようになりますよ。そういう困難な状況に陥ってしまった場合は、いろんな先生がいるはずなので、いろんな先生方に相談に行って、いろんな先生方をこっそりと巻き込んで、進学先はきちんとした進学先を選ぶようにしましょう。先生で選ぶと大丈夫です。嫌な思いもするかもしれませんが、自分の進路は自分で責任を取るつもりでがんばってくださいね。きちんとした先生の下で学ぶということが、大事になります。無知では済まされなくなりますよ。きっと、他の先生方が、あなたの今後を心配して、困らないように塩梅をとってくださるはずです。日本の英文学でも米文学でもそれくらいの常識はあると思います。
それぐらいの助言しかできません。
お気の毒だとは思いますが。先生に恵まれないというのは、本当に気の毒だと思います。
頑張ってくださいね。
私は先生方には恵まれてしまったので、なんとも言えないのですが。それはどうなんだろう?という発言をする研究者の先生というのは、自然と浮きますし。きちんとした学会だときちんとした役職は今後与えられないはずです。英文学も米文学も案外堅牢なので、相談相手の先生はまず学内で見つけて相談をしましょう。別の分野の先生でも構わないんですよ。学内であることが肝要です。急に学外になった場合に、間違って選んでしまった先生のメンツが立たなくなる場合が想定されます。間違えて選んでしまった先生にも、その先生が直接学んだ先生がいるはずなんです。あなたは孫弟子になるわけですが。あなたが孫弟子の立場になる先の先生がきちんとした先生だと、状況ははやい段階で解決されると思います。そうでない場合は、学内で別の先生にそれとなく相談をしたり、学会に所属をしている場合には、勉強会などの機会を通じて相談をしてください。指導の先生の質が悪いというのは、それだけあなたの未来が明るくはないということになります。指導教官の質が劣悪という最悪のケースを想定した場合は、あなたの論文の質がそれだけ悪くなるということになりますから。あなたの未来が明るくなる前提がないということになります。こそっとしか応援できませんが。頑張ってくださいね。ちなみに私の先生がとある学会の学会長だった時のコメントは、あんなの持ち回りだよというコメントでした。それくらいの先生がちょうどいいのです。きちんとした先生って出世欲あんまりないんですよ。英文学や米文学だと。出世欲なんかないという先生で、きちんとした先生が、結局役職を割り振られたりします。英文学や米文学の場合のみですが。まずはテクストの精読です。クロスリーディングが出来ないとどこの学究の先生も評価対象にしてくださいません。精読をがんばってくださいね。関西圏だと基本ですし、関東でも実は基本です。精読の辛さはよく知ってますよ。辛いですよね。先行研究で言い尽くされてるような気がするというあなたの気持ちもよくわかりますよ。英語文献の山の連なりのなかで、私のオリジナルの発想なんて何回言及しつくされているんだろうという状況もよくわかります。再読がカギです。何度でもテクストにあたってください。こっそりと応援をしています。頑張ってくださいね。