一度、お正月にNHKのBS(規格はいまと異なります)で、歴史の番組があり、部屋で小型TVのケーブルをつなぎ忘れ、電源だけつけただけなのに、番組が映って、??となったことがあります。
ベンゾジアゼピン離脱症候群ですが(当時は、もう、薬漬けもいいところです)、思考力という点については叩き上げなので、パニックにすらなりませんでした。
NHKの日本の歴史番組なので、結構、そうそうたる先生方がスタジオにいらっしゃったんですよ。
変な状況でした。本当に奇妙な状況でした。お正月でしたが。

2016年からどれくらいの間なのかわかりませんが。平昌五輪と北京五輪は確実ですし、後、サッカーで言うとロシア大会と東京大会ではくどいくらいにNHKにがめられていたんですよ。NHKは公共放送なので、民放でもがめられていたはずです。
結果として、TVを観る習慣が余計なくなったんですが。
人間の心理って、日本人の心理って不可思議だなと思いますよ。
相手が不快感を示すかもという想像力が欠如するんですよ。こいつに対しては何をしても赦されるという、根拠が全く成立する余地のないマインドセットという状況が一旦成立すると、暴力性って歯止めがかからないんだと、当時は思っていました。
私個人の努力では、私個人に振るわれるこの途方もない暴力に対して何も行使をできないんだと思っていました。
日本のメディアの死に体を、実際に経験したんです。サッカーの試合を通してですが。おそらく、日本の学術分野全般の劣化のある種の目撃者にもなっていたのかもしれませんね。酷い有様でした。

日本人って何か異変が起こった時に、それはどうして起こったのか、何を根拠に成立しているのかまで思考力が廻らないみたいなんです。
目の前の異常な状況に、集団で楽しみを見つけてしまうと、全員が飽きるまで散々暴力三昧みたいです。経験した状況からの私観にしかなりませんが。もちろん、医療従事者も含まれれば、自治体も含まれていて、NTTも含まれていて、警察も看過しているような状況なんだと思います。
そうじゃないと私が経験した状況は成立しないからです。
安倍政権以降、基本的に大学の地盤が崩れ落ちるような教育施策が繰り返されたので、基本的に日本の教育は大学院のレベルからして、雪崩を打って、落ち込むところまで落ち込んでいます。
何度も東京大学の大学院の虚学のレベルの確認を取りましたし、もう取り返しがつかないような状況です。
当時の私のお正月のNHK BSの視聴状況は悲惨だったわけです。

ラカンの鏡像段階でもそんなこと起こらへんわという状況が起こったわけです。ラカンの鏡像段階の研究対象は基本的には赤ちゃんですけど。
複数年の間に、私という対象があり、スポーツというカテゴリーがあり、サッカーというスポーツがあり、Jリーグや日本代表というカテゴリーがあり、オリンピックやWorld Cupがあり、その間に、4Kや8Kのインフラ整備があり、タイミングが悪すぎたというしかないのですが、私は、とんでもない量の処方箋薬物依存の状況にありました。
複数の分野の研究者が間に入っていたはずなんですが。誰も治験自体を倫理的な面から捉えなおして、治験をやめるということがなかったんです。治験の構造を考えるとそうなるはずなんです。
日本の医療の治験がわたしという場所を奪取して地盤沈下を起こしているようでした。
医療倫理ってなんだろう?ですよ。
そして、私と共になぜか治験に参加していることになってしまっている、日本の史学の先生方が、この子はなんでこんな状況に追い込まれているんだと憤慨なさるという番組が、当時、成立したんです。
お正月から。当時の番組に参加なさっておられた先生方、他分野なのにご心配おかけして申し訳ありませんでした。

私は単に番組を観ていただけなんですが。おそらく、NHKと私が視聴しているNHKがある自治体と、インフラを整備しているNTTと、自治体にある警察が無法地帯でないとありえない状況だと思われますが、当時の私は処方箋依存もいいところだったので、こちらでコントロールできる立場にないんです。蔑視対象ではあるみたいなんですが。
何故、蔑視対象になるかというと、日本の精神医療がガラパゴス化していて、アメリカでもイギリスでも当たり前の処方箋依存を治すための医療制度を確立できていないからなんです。
自分たちの能力のなさを患者に押し付けているだけなんだと思われます。
そして、患者を捌け口にするしかない日本の精神医療の現在地があり、NHKがそこに巣くってしまい、あのお正月の歴史番組に参加なさった先生方、おひとり、おひとりが、ご存じのような状況の成立になったのかもしれません。
私が発言したメタ言語の回答は、数日後、NHKのほうからメタ言語として得ることが出来、もう信じられない状況でしたよ。
NHK、つまり、日本の公共放送は、いち視聴者に対しての認識を誤ってしまうと、つまり、暴力を振るっていい対象だと、一旦、認識してしまうと、組織として歯止めがかからないそうです。暴力を振るわれ続けて、後2年経過すると10年になります。長いですよ。過去の当時のNHKの会長の国会質疑を想起しても、公共放送は死に体を続けていたのかもしれません。会長は変わりましたけどね。
会長が変わったぐらいで組織が変わるのかは未知数ですよ。電通との癒着が解消されたわけでもないのでしょうし。
最早、それは公共インフラではないと思いますが。

サッカーはDAZNで電通本体ですし、酷かったです。今季は怪我人ですし、放送法の改正も進んでいます。
横断的な研究課題にはなったはずだと思うんですが、その課題を取り上げて研究対象にした研究者は皆無だと思います。
被治験者に対して、画面越しに人はどれだけ暴力的になれるのだろうか、「集団対個として」とか、暴力をテーマに沢山論文がかけただろうにと思います。
「暴力」とか東大の精神医療が実は好みそうな課題じゃないですか、治療相手を庇護しようとして最終的にその加虐性を露呈させているんですよ、東京大学の精神医療って。細かい事象を述べると、東大の精神科の研究に取り込まれてしまったがゆえに、傷ついた人も大勢いると思うので避けますが。

お正月の歴史番組の特番の先生方が、名指しで批判していたのは早稲田大学なんです。
複数名の先生のメタ言語が「この子がこんな目に遭っているのは、早稲田大学の実学のせいだ」でした。
早稲田大学の実学の分野で研究は可能なんですよ、実は。
私の知性に刻み込まれた勉強の現場というのは、現在の東京大学大学院や京都大学大学院のレベルは簡単に凌駕しています。知識量と文章を緻密に読みこなす能力では、現在の東京大学院や京都大学院のレベルのほうがついてこれません。それほどまでに厳しい指導を受けて勉強をしていたんです。
つまり、現在の東京大学大学院と京都大学大学院の知性が劣化したとも言えます。図書館があれば、環境があれば、私は勉強をしてしまう習性(習性までは大袈裟ですけどね)なので。
重度の鬱の再発があったので、勉強は諦めましたけど。その刻み込まれた勉強の現場の知性が私を救っているんですね。
だからこそ、ベンゾジアゼピン系睡眠薬の将来的な断薬を射程に入れた減薬を頑張っています。
欧米の論文を漁る能力があってよかったなと思っています。勉強頑張ってよかったなって、本当に思っています。
また、私がついた先生方を凌駕できる人材が、東京大学大学院や京都大学大学院のイギリス文学研究の先生方に存在しうるかどうかに関しては、かなり怪しいと個人的には思っています。
先生方が私の性格を形成したと云っても過言ではありません。厳しかったんですよーっ。
怒られることは一通り怒られてきましたし。実の親よりも私に詳しいのです。一回、躾をし直されているような感じです。人格を一回、ゼロの地点から叩き直されています。
そんな教育が現在の東京大学大学院や京都大学大学院で行われるかというと、無理だと思われます。
アメリカ文学についてもとても素晴らしい先生方に恵まれたんですよ。厳しくて尚且つ親切な先生方に本当に恵まれました。
ついでに日本文学やフランス現代哲学や映画論も少々叩き込まれています。
勉強をするために学んだ先生方に恵まれたんです。

工学だとネットワーク上の工学に現在ではなっているはずなので、ヒトは、日本人は、集団になると、個体(特定の日本人に対して、つまり、私です)に対して、ここまで残虐になれるのか?という暴力性をテーマに研究は成立するはずです。
対象は、ここの文体上にしか存在しないわたしと、医療従事者と大学の研究者を基本として設定をするといいと思います。
放送法が改正をして議題が次のフェイズに進んでいるので。当時のようなざるな治験はむつかしいと思いますし。地方自治体の警察もそこまで犯罪めいたことはできないでしょ?地方自治を守るのが警察の役割ですし。私のサッカー観戦に地方自治体の警察もそこまで付き合えないと思うんですよ。地方の警察にだって良識はあるのでしょうし。そこまで暇を持て余してもないと思うんですね。
それにしても、よくそこまで女性に暴力を振るう警察官がざらにいるんだと信じられないような地域に住んでいますが。
呆れてモノが言えませんし。
テーマが「暴力」で、NHKというインフラに従事する集団(NHK内の人材)と視聴対象を巡る加虐性とか、DAZNというスポーツインフラをテーマに視聴者を巡る加虐性と不可逆的コントロールの侵襲性とかテーマにすることができると思いますよ。
おそらく、医療従事者や大学の研究者たちの今後の戒めのためにはなるでしょ?
工学から倫理研究しても大丈夫だと思いますよ。使えるものがたくさんあると思います、後は面倒なのは言語処理だけになります。日本語でも、英語でもメタ言語はありますから。
興味深い研究内容になると思いますよ。
インフラについては、おそらく大丈夫なような気はします。実は、国の研究機関に間接的に助けてもらいました。直接ではなかったかもしれませんが、その節は、お世話になりました。考えたら、お正月の番組の成立って、私が住んでいる自治体の許可と警察の許可がないと成立しないはずなんですが、私が住んでいる自治体と警察の倫理観がざるということなのかもしれません。田舎は怖いですねー。田舎の暴力性も含めて多面的な研究が可能なはずです、興味があったら、頑張ってください。おぞましい実態への直視も大事なのかもしれませんよ。インフラ上の工学研究って。大丈夫だよって先生は、機会があったら、精神科に面倒をみてもらってください(暴力を振るわれる誰かに対して神経が鈍化するというのは健康上はよくないです。相談くらいはした方がよさそうです。私は主治医のメタ言語を右から左に受け流す知性をもっていますが)。大丈夫ですよ、心理学上は基本的にヒトは病んでいるということになっています。病んでいないヒトが存在しません。心理学上では。心理学と精神医学は根本的に質が異なるので、まぁ、暴力の介在に対して、ご自分の神経が慣れたなと思ったら、距離をとってみてください。慣れると、大体のひとが暴力を振るう側につきます。後、2年で10年がかりの暴力ですから。細部まで分析しきっています。