地味に悩んでいます。

新しい音楽についてです。聴いてて楽しいという音楽は沢山あるんですよ。本当にあります。

でも、判断基準になる、大きな指標みたいなものが、一挙にいなくなると、むつかしいものだなぁーって思っています。

幸宏さんの新譜がないというのは、本当にブローのように効いてきます。

与えられることだけに慣れてしまった、ダメなファンなのかもしれないと反省することも本当に増えています。

基礎が幸宏さんなので、ひっかかりがないと新しい音楽を取り入れるまでいかないんですね。

でも、それも言い訳なのかもしれないと思う日々も増えています。

ちょっと、疲れたかもって思うと、自然と幸宏さんのアルバムや幸宏さんのバンドの音楽に手が伸びていたりします。

基準にして育ってしまって大人になっているので、新しいだけじゃダメなんですよ。

幸宏さんだけじゃないフェイズも持とうと思って、頑張ったのはミッシェルでしたし。全然関係のないものも頑張るってクラシック音楽も聴いていますけど。

幸宏さんの音楽がないと、基準が生まれないのかなぁとか。

幸宏さんの音楽には、全てがあるので。

幸宏さんの音楽を聴きながら、自分の惰性をそっと恥じていたりもします。

数年前までは、好きな音楽をどんどんと聴いていったときもあったんですけどね。

なんだか、ダメだなって反省もしています。

あんまり、愚痴ってると怒られるのでやめますが。

いなくても怒られるのは知ってるので、ほどほどで止めます。

幸宏さんはいらっしゃらないのですが、音楽を聴くときの惰性については怒られるのはわかっています。

ファンのみなさんは一緒だと思うんですが。育てられた感覚がありますよね。躾けられた感覚です。

一瞬で判断できますよね。あ、これだと怒られるとか。もうちょっとちゃんとしなきゃとか。

わたしは、幸宏さんにいかに怒られるのかまで、想像がつきます。

多分、主体的に音楽を聴く姿勢に欠けている自分に対して、残念な気持ちを持っているのかもしれません。

それは、やっぱり、怠惰なんだろうなって思います。

チバさんも「煮詰まる時には、煮詰まればいい」っておっしゃっていたので。

素直に煮詰まろうと思います。

The Yardbirdsなどは、本当に基本になるんですよ。幸宏さんで育つと。この楽曲を聴きなさいというのは山のように与えられてきましたからね。これは聴くべき楽曲だから、きちんと聴きなさいというのは、本当に山のように与えらえてきました。子供の時のはじまりが幸宏さんなので、不必要な音楽ってあんまり聴いてこなかったですし。これを聴きなさいという楽曲を、聴くべき楽曲を与えられて育つので、音楽については詳しいですよと仕事をしている方よりも、たまに詳しい時があります。下地が幸宏さんですし。ポピュラー音楽については、いつでも幸宏さんが基準なので。つまり、基準になるということは、それだけ良質な音楽をたくさん与えられて育ったという事なんですよ。なので、日本のポピュラー音楽については、知識に偏りがあるんです。テレビを観ないので、テレビで流れている楽曲に興味をあまり持たないんですよ。あ、懐かしいという感覚については、ずれたりします。懐かしいもなにも、まず知らないということが少なくないんですよ。むつかしいですね。

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