自分を生きる。

案外、出来てなかったりしますよね。わたしは極力自分一人の時間を大事にするようにしています。

群れたがるのは基本的には男性です。

女性って案外群れていません。

性差ですよ。

数年前に減薬にとりかかってから(最初は当時の主治医の指示でしたが)、だんだんと減薬が段階的に進んで、最後の一種類のベンゾジアゼピン系睡眠薬の減薬に取り組みだしてから、変化したことは沢山あります。

感覚が落ち着いてきました。ちょっと表現がぼやけてしまうんですが。

ちょっとしたことなんですが、いままで俯瞰視できなかったぐらいに感覚が鈍っていたんだなと思うことが増えました。

流されてしまう時ってあるじゃないですか。それがどれくらい非常識なのかとか気づかずに。そこに気づけるようになった、というと、ある意味、比喩にはなると思います。

医療ごとダメなんだとか。そこに気づいたひとは、いままで日本でも数多くいて、各自で黙って乗り越えて、断薬していったんだろうなとか。昨年は本当に勉強になることが多かったですね。

欧米の論文を絶え間なく読みましたし。

ベンゾジアゼピン系のお薬は体の細かい部分に関して(脳だけでなく)、休眠状態にさせていく薬剤になるので、賦活してくるときにどうなるのかというのは、時間をかけて、自分の身体で経過を辿っている最中ですし。

諦めないって大事なんだなとも思います。

お薬を飲まなくてもいい頭痛の治し方がわかったり、こまめに頑張ったり。

多剤処方の処方箋依存も経験済みなので、その頃の日々を思い出しては、心身のバランスをとることを最優先に頑張っていたり。

昨年の冬には、ピラティスしていても、足の爪が紫色だったのに、今年は普通の色でうれしかったり。

汗がかける身体になっていて、ほっとしたり。

自分の身体がどれだけ異常な状態に置かれていたのか理解ができるので。

地道に健康に近づこうと思っています。

医療分野ごとゴミなんだとか知らなかったんですが(わたしにとってはゴミなんです)。

例えば、そんな薬関係ないよという健康なみなさんでも、眠る前にコーヒー(旧大陸の)をがぶ飲みしてから眠ってくださいって言われたら、大変だと思うんですよ。

20杯くらい飲んでから眠ってくださいってなると、罰ゲームになるでしょ?

要するに、それの逆を身体のうえに形成されているんですね。公衆衛生としての医療に則ってです。

選べるんだったら、断りますよね。わたしもそうしようとしています。

必要以上の薬剤の投与によってダメになったしまった過去は取り戻せませんし。

医療分野ごとゴミなので、責任とらないのは目に見えています。

だったら、未来を選ぼうって思うんですよ。

考えて決めると、わりと頑張ってしまう性格でもありますし。

眠剤飲んで、元気になりなさいってどんなトートロジーなんだろうとも思います。同語反復としては破綻しています。

今年は、自分を生きる時間を少しでも伸ばしていこうって思っています。

心が定まってしまうまで、勉強もしまくりましたが、定まってしまうと揺るがなくなります。泣き言言いたい人はどうぞ、どうそって思っています。自分に負けてグズグズしたいひとも、どうぞ、どうぞ、ご勝手にって思っています。わたしは出来ることから頑張ってますし。頑張りぬきたいと思っています。味方は欧州やアメリカ合衆国の標準治療です。調べていてわかったことですが、韓国や台湾の一部でも精神医療は国際水準を満たしてないそうです。東アジアの先進国の日本が惨状が続いているので、むつかしいのかもしれませんね。

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