例えば、笑顔でいることが、周囲にとっては普通になっていて。
例えば、感情的になると案外疲れるので、自分を取り囲むいろんな感情の波の程度を塩梅しながら、自分の感情をフラットにさせていると、感情が安定しているとみられて、周囲にはそれが普通になって。
なんで、こんなに頑張らないといけなんだろうって思うことってあるじゃないですか。
疲れて、むつかしいなぁーって黙っていたりすると、要求が厳しくなったり。
だいたい、筋道の通りもしない要求を突き付けられていたり。
よくよく考えるとうんざりしかしないときってありますよね。
そういうときは、離れていいんだと思うんですよ。

そこまでの無理は出来ませんって。
共感能力ですが。
概して、日本人って共感する能力に関しては、低下しているんじゃないのかな?って個人的には思ったりもします。
理由は、日々処理しなければいけない情報量に覆われているせいじゃないのかなって。
処理しなければいけない情報量のほうが莫大すぎて、崩れ落ちた人に対して、共感能力がなんとかかんとかと適当にラベルを張って、その人の本当の現実を見えなくしているだけなんじゃないのかな?って思ったりもします。
あくまで個人的な印象でしかないんですが。
潰れてしまう人も、潰れてしまう人で大変なんだと思います。
あなたのことを気遣っていますよという姿勢をもって塩を塗り込んでくる人だっているでしょ(ああいうひとたちは延々に自分は気遣いができるんだって勘違いだけしてるので、放っておいていいんですよ)?

どうでもいい方向性の間違った正義感に揺さぶられるほど、しんどいことはありませんよね。向こうは一応気遣っているつもりなんですから。
わたしはそういう状況におかれると、少しでも自分の時間は作るようにこころがけるようにはしています。
気持ちの余裕がなくなって、誤解をしてしまう状況に自分を追い込むのは嫌ですしね。
疲れると案外視野が狭くなってきますし、気遣っていて遠くで戸惑いながらこちらを見ているひとたちの気持ちまで取り落とすようなことは避けたいでしょ?
例えば、楽しそうにみえるだけの場所ってあるじゃないですか?
楽しそうにみせて、集客を見込もうとしているだけの、まず収益率を考えてるような場所です。
笑顔でわいわいやっているから、その場所が何か素敵な場所というのは幻想ですし。
子供たちですら、そういう事実に対しての勘は鋭いでしょ?
それぞれに放っておいてほしい、そっとしてほしいという場所と時間は大事なんですよ。

理解が得られないことが自明の場合は、素直に立ち去って、自分の時間を確保したほうがいいんだって思っています。
自分の時間が確保出来たら、自分の感情はそのままでいいんですよ。
変に感情的になる必要もないですしね。
誰かに合わせる必要性がない時間は大事なんです。
お互いに、気持ちが擦り減らないように気をつけましょう。