結局、恐竜の骨しかわからないので、恐竜の皮膚の色や動物みたいに毛で覆われていたのかは、よくわかりません。

T-Rexこと、ティラノサウルスは肉食だから狂暴だったとなっているのでしょうか?人間は雑食ですが食物連鎖の頂点にいます。動物園のライオンみたいに、専門の飼育員さんのいう事聞いてくれそうな気もするんですけれどね。
以前、サル学の権威のお一人でもある山極先生のエッセーを読んでいた際に、動物園にいる通常は獰猛とされている動物にも、優しい気持ちはあるんだというお話を読んだことがあるんです。ゴリラは人を助けるんだそうです。ビンティーはアメリカにあるブルックフィールド動物園にいたのです。ゴリラ専用の運動場が設置されていて、間を掘で仕切った観客席からゴリラの様子を見ることができたそうです。
思わず、夢中になってしまった3歳の男の子が身を乗り出しすぎて、堀に落ちてしまったのです。しかも運悪く堀には水ははられていませんでした。男の子は体を強く打って気を失って倒れています。
大騒ぎになったそうです。ゴリラが男の子を襲ったらどうしようと、飼育員さん達は牽制の為にゴリラの群れに向かってホースで水をまき散らし、男の子から群れを遠ざけようと必死です。観客席は騒然となっています。
その騒然とした状況のなか、女子のゴリラのビンティーは、飼育員さん達のホースの水をかきわけて男の子のところへかけより、そのまま気絶した男の子を抱き上げて飼育員さんのところへ連れていき、手渡したそうです。
山極先生はご自身の経験やフィールドワークの知見から、これはその場の状況を察してビンティーが男の子を助けたに違いないと思ったそうです。誰かが危機にあって、それは自分よりも弱い誰かで、救わなければ、場がおさまらないと思うのは、どうも人間だけではないそうです。
ゴリラがそうだから、恐竜のティラノサウルスもそうだとは、とても言い切れませんが。残された遺物からしか恐竜の世界観が推測しかできないという残念な現在には変わりはありません。

ティラノサウルスの頭蓋骨の大きさを考えると、いつも思うことがあるんです。首や肩が凝ったりしなかったんだろうかって。そんなのへっちゃらっていうずば抜けた筋肉を持っていたのかもしれませんが。
だって、標本飾るときには、自然史博物館の皆さんの夢を乗せているわけですし。実際のティラノサウルスのちいさな悩みは、そこには見られない可能性の方が高いのです。
急いで走るために、手が小さくなったり。なのになぜ頭蓋骨だけは体の部分と比較してもあそこまで大きいのでしょうか?
脳の大きさは関係ないですよ。脳の構造は大事になりますが。
実は、最新の研究では、ティラノサウルスの歩くスピードは、ほぼ人間の歩くスピード並みだったことが分かったそうです。
ヒトと仮に共存出来て、ヒトを獲物だと思わなかったら、お互い距離を取りながら、散歩が出来たかもしれません。
また、ヒトの歩くスピードで歩いていたということは、ヒトが走るスピード並みには足が速かった可能性もあります。
また、案外尻尾も長いのです。映画だと、なんだかいつも迫力のある表情が重視されますが。案外尻尾を使って、獲物と戦っていた可能性だってあります。正直だれしもがティラノサウルスの生活を想像することはできるんです。
それだけ謎が深まることと同義になりますけれどね。
共存出来た世界がどこかにあって、ティラノサウルスの群れを見学できる恐竜園があって、男の子が危ない状況に陥った時、きっとティラノサウルスは男の子を口に甘噛みでくわえて飼育員さんのところへ運ぶのでしょうか?そんなことにならないかなぁーって思います。動物とヒトはお互い同じ感情は持てません。ただしお互い推測しあうことはできます。動物を飼った経験のある方には理解してもらえると思います。但し、ティラノサウルスが実は優しい気持ちを持っていたら、ジュラシックパークの映画は成立しないむつかしさがあるのです。そこは、むつかしいのです。