いろんな音楽を聴くといいと思います。
基本的には耳なんですよ。優れた音楽を聴いて育つにしくはないという。
Alva Notoさんという日本の音楽家との共作もすくなくない音楽家がいらっしゃって。教授とよく共作なさっておられました。
アメリカの建築家でPhilip Johnsonさんという方のThe Glass Houseという作品がコネチカット州にあるそうです。The National Trust for Historic Preservationが管理を行っていて、4月から12月まで見学もできるそうです。ここで、Alva Notoさんと教授がこの建築物を楽器として使用しながら、2016年にliveを行っておられます。
Derrick Belchamさんによって撮影されたライヴ映像があります。
教授のこだわりは生音なんですよ。ね、教授のファンの皆さん。
おそらく元になっているのは、この作品だと思います。
この楽曲を建築物を使って、ライヴを行った場合に、こうなるんだと思うんですよ。
幸宏さんが教授のラジオに出演なさっているのが、YouTube.comであがっているので、興味のあるかたは聴いてほしいのですが(強制はしてませんっ)。
教授は音楽についてはプロパーの教育を受けてらっしゃいます。実は修士号をもってらっしゃるんですよ。ご存じの方も少なくないと思いますが。
さまざまなアルバムがありますよね。
ただし音の作りが本当に緻密で。
アルバム制作をするときに、様々な楽器を演奏するかたをスタジオに招いて演奏の指示をなさるそうなんですが、厳しい指示を出されていたそうです。
訓練を受けた演奏者に生理に反して演奏をなさいとリクエストをして演奏を録音していたそうです。
ラジオを聴きながらお話を伺っていても、大変だなぁーって思うんですよ。
それでも音楽に関してはきちんとした音楽を聴いていくべきだと思っています。
ジャンルを広くとったときには。

わたしはYMOでは育っていませんが。結局、影響下にはあるんです。
個人的に好きなのはCornelius Cardewなんですが。幼少期からYMOの間接的な影響下になかったら、Cornelius Cardewを聴くことがあっただろうかとも思うんですよね。
そこから、thee michelle gun elephantは遠いじゃないかって思われるかもしれないんですが。チバさんは、Snake On The Beachがあるでしょ?
耳がよくないと、この楽曲は作れないんですよ。
海外の人にこの音源を渡して、普段はイングランドとアメリカ合衆国の古いパンクやロカビリーやパブロックを背景にバンドをやっているひとの作る音ですって言っても信じてもらえないと思います。
バンド内で援助はしてもらったんだとは思うんですが、ほぼ独力で作ってますし。
最初にアルバムを聴いたときに、わたしはどうすればいいんだろうって悩みましたからね。
ポピュラー音楽で直接的な影響を受けた音楽家の音楽群が自分の周囲で、丸く閉じていくような錯覚があったんです。
立体的な円を描いて閉じていくので、いささか窒息状態でしたから。
『潮騒』を好んで聴くのは、チバさんのソロプロジェクトのファンであって、バンドのファンではないと思います。
単なるバンドのファンだとこの種の音楽を聴く耳が育ってないと思うんですね。

自分の声さえも音素としてとらえるチバさんが存在するのが、Snake On The Beachになります。最初に音源を聴いた時には、正直、窒息させられそうな錯覚がありました。
こんなクオリティを提示されるとは予期してなかったんです。
日本のいわゆるロックをやるバンドマンで、このアルバムの質で作品が作れる音楽家はいないと思っています。
音楽を教えてもらおうって決めた音楽家は軒並みさぼらない人たちで、しかも、どんどんと音楽を先鋭化させていくという。
幸せな状況だったのかもしれませんよね。
チバさんの音源を聴きながら、何か叩いてる、何を叩いているんだろうって悩む日が来たり、ドラムがドラムじゃない場合もあるので、打ち込み用のソフトでドラムってこの幅で打ち込まれるんだとか考えを巡らせる日々が来るなんて思わなかったですし。生音を録音しているチバさんに出会うなんて思わなかったんです。
チバさんが作り上げる音の要素に悩む自分に出会うとは、子供のころには予想だにしてませんでした。
the michelle gun elephantの時のチバさんも自分が将来こんなソロ作を手掛けるようになるなんて思わないと思います。
いまでは好んで聴いていますよ。
チバさんの音楽に助けてもらったりもしています。
チバさんの音楽を作る側面をご存じの方は、チバさんの耳の確かさというのはご存じだと思います。その場で誰も気が付かない音に気づくんですよ、チバさんは。教授は学究のプロパーの教育があるので緻密な音作りをなさるのは、その背景があるからなんですが。チバさんのソロプロジェクトの2枚目を聴いた時には、チバさんはなぜ独力でここまで辿り着くんだろうって。なんで急にたどり着いたんだろうって驚きましたし、子供の時、チバさんのおかげで、それまで聴いてきた音楽とは、全然、別の音楽のルートを見つけたはずだったのに、そのルートがこのアルバムを聴いたときに、閉じられていくような錯覚があったんです。虚空にある消失点にむけて、自分の音楽を聴く世界が収斂していく錯覚がありました。いまでは過ごす日々に馴染む音楽ですが。不思議な邂逅があるものなんだなって。知らない場所でアルバムを片手にもって紹介してくれる大人が、こんな場所にたどり着くなんて思いもしないですし。振り返ると、とんでもなく恵まれていたのかもしれないなとは思ってます。去年の夏は、チバさんreal light real darknessに助けられてました。ソロ作になるとチバさんのアルバム制作のきめ細やかさって戻ってくるんですよね。カリグラフィーに至るまで。チバさんだなぁって思いますね。すくすく育って大人になったら、学んだ先の音楽家はどんどん先鋭化する音楽家ばかりという。そういうこともあります。