Footballなんですが。本当にDAZNで観ることがむつかしいというか。
9年間も酷いことをされたのを我慢し続けていたのがだめだったのかな?とか。
なんでわたしがターゲットだったんだろう?とか。
悩むことは多々あるんですが。
たまに、スポーツを観ようかなってDAZNを開くことが、少し怖くなっています。
トラウマになってしまう過程というのは、ごく自然のことで。わたしに起こったことと同じことが誰かに起こった場合、9年間も、おそらく我慢ができない可能性のほうが高いんじゃないのかな?って思うこともあります。

2016年からが長かったんですよ。
最初はDAZNではなくって、NHKでした。NHK技研が勝手に治験対象にしていたみたいです。当時は非接触系の生体認証どころか、直接の生体認証の研究が行われていました。興味のある方はNHK技研で研究の情報を探していると出てきますよ。富士通でもいいと思います。
当時は、あまりに混乱したので調べつくしていました。学生が長かったというのがプラスに出ましたね。
不可解だなということが起こった時には構造を調べるんですよ。仮定をいくつか想定して、裏付けになる論拠を探し出して、実地で確認を取っていきました。
富士通の生態認証を用いた研究については、そのままイングランドに持ち込もうとして、イングランドの倫理観を前に砕け散って、非接触系に転用をした経緯があったと思います。
わたしだけが被験者だったというのは考えづらいと思っています。被験者のなかでわたしみたいに治験に介入する例が珍しかったのかもしれません。
当時は鬱の再発からの薬漬けで、誤診の重なりみたいになっていました。
おそらく、鬱の再発と統合失調症の発症を誤診された可能性もありますが。統合失調症の治療にも使われる胃薬を鬱の再発時に飲んで、統合失調症の治療の投与量には全く届かないまま、一日中過眠の状態だったので。鬱の再発でしかありえません。
お薬が変わっていく過程で、多剤処方箋と鎮静の嵐でしたね。仮に統合失調症の誤診があったのだとしたら、多剤処方箋薬物中毒の状態に患者をおいて、故意に陰性症状の状態においたと考えたほうが整合性はありますね。あれだけの薬物が体のなかに24時間あって活動的になれというのは、どう考えても破綻した治療方針だと思います。実際に、体への負荷は相当なものだったので。いまも減薬中でしんどくはありますが。あの時を念頭に置くと楽になったとは本当に思います。

よく判断能力を失わなかったなって、自分が受けた教育の強度には感謝しかありません。当時も徒弟制度だったので、わたしの先生(複数形)には根本的に教育を徹底して受けています。たまに家族のなかで性格がひとりだけ違うんじゃないのかな?って思うこともありますが。教育の強度のおかげだと感謝をしています。
振り返っても酷かったなって思いますよ。
思考については障害など起こりえない苛烈な教育の厳しい環境で厳しく躾けられている背景があるので、思考についての障害は起こりえません。ストレス超過になって鬱がひどい状態にはなったんだと思いますが。思考は極めて冷静です。わたしはそういうひとなんです。論理的に整合性がないという無秩序をものすごく嫌うんです。テクストをくまなく読み解いて立論をしていくという関西の英文学の土壌だと、論理的ではない、整合性がない、無秩序なんてありえませんからね。
当時はSocial Mediaの発達ってそこまではなかったと思いますが。学究というのはメタ言語の駆使の場所でもあるので。しかも、関西なんですよ。先生から「1」と言われて8~9くらいの予想を立てながら考えるというのは当たり前のことなんです。
結果として、8~9の予想が完全に間違いで怒られることがあってもです。
自分が置かれている状況で、求められていることについては頑張るんですよ。
住んでいる地域では当時、大人がやいやいとLINEの中毒みたいになっていましたが。現在の結構な大人が当時、夜中までLINEにかじりついて、さまざまな妄想のなかに埋もれていました。
振り返ってもあれは何だったんだろうって思います。
そんなものには一切興味がないので。

教育の質というのは本当に大事になるんだなって思いました。
記憶力はいいほうなので。あの状況は一体何なんだという一連のNHKの視聴時のおかしな現象(番組に出演している皆さんの錯乱状態ですよね、ある意味)に関しては、完全に覚えています。いちいち覚えていますよ。
無駄な記憶力かもしれませんが。
NHK内で情報廻しているんだろうなって思いましたし、当時のNHKの会長も病んでいるとしか思えない発言を国会の委員会で行っています。調べています。
大変でしたよ。NHKを構造的にしらべるというのは。技術的な分野がどういう学究をもっているのか、法整備はとか全部調べたんですよ。その周辺で行われている研究とか。複数の研究分野が絡んでいたはずです。常識的に考えてもわたしを取り囲む状況はあまりに病んでいたんです。
NHKと電通の癒着は東京五輪まではわかりませんでしたが。
ニュースで主婦も引きこもりという病態に陥っている(引きこもりの概念が明快な病態になっているのは日本の精神医療だけです。イングランドの90年代の歴史的な政策の失敗に概念の存立条件を置いた疾患が日本で成立するという。意味がわかりませんけどね。日本だけの特殊な疾患なんだと思います。ICDに分類はないですよ)というニュースをうちはじめたときには、日本中のいろんな主婦のみなさんがどういうことなんだろう?って首をかしげたはずです。
電通ってなんでも精神障害にするのだろうか?って驚きました。あのニュースの背景に電通が絡んでないはずはないと思います。
精神医療って日本の医療のなかの底辺になるので。広告代理店からすると利用しやすいんだと思いますし(適当にゴマすって持ち上げておけなんでしょうね)、精神医療や心理学が磁場になって、浅い学域が、うっすーい学域が日本だけで存立をしようとあがいている風景は実は少なくないので。浅い学究にコミットしても意味がないんですけれどね。医療レベルが低ければ、広告代理店が乗り出して、中抜きを頑張る風景なんて想像に難くないですし。
日本は、精神障害がムーブメントになる不可思議な東アジアの国ですし。
先進国で、精神障害がファッションになることはないので。
イングランドはフェアかアンフェアかで判断をするので、病んでもいない疾患にかかった振りをしてムーブメントに乗じる人は少数派だと思います。それだと、本当に支援が必要なひとに光がさしませんしね。ファッションを気取る思い込みの強いみなさんが、どれだけ自分の高邁な(?)自我が支援な人たちの邪魔になるのかなんて真剣に考えませんよ。
自分の商売への利用で一生懸命なんですよ、きっと。まったく興味はありませんが。
広告代理店がたくましいのか、日本人が総じて騙されやすいのか、日本の精神医療だけが先進国でも突出してレベルが低いのか、もう、わかりません。
わたしの読解が正しければ、旧称twitterを使っていた折に、日本の引きこもり研究の権威が、わたしの治験を実際に(某所みたいな言葉遣いをなさっておられたように思いますが、記憶間違いかもしれません)どこかでご覧になられたようで、こんな“communicative”な患者はありえないって、世界に向けて「匂わせ」(運用の仕方は理解していません)を行っていたはずです。
いまでも番組があるのかどうかは知りませんが。「Jリーグタイム」という番組を観ていると自分がいかに生体認証を奪取されているのかよく理解ができました。
妄想だといいのになぁーって何度でも思いましたけど。

2016年のCWCのときに、結構悩んでいたので、バッテリーを組んだんです。ある意味、心理テストみたいなものです。
決勝までの試合は本当にガラガラで。それでも、生体認証を奪取されていないとアナウンサーと解説のこの一連のコメントは出てこないよな、という状況でした。つまり、わたしの生体認証はアナウンサーと解説者に届いている状況を仮定して行ったんです。当時の鹿島アントラーズのCWCの登録メンバーについても、私は何らかの被験者として説明がなされていないと、治験は成立しないはずですし。
以前に触れたこともありましたが。推定した仮定はいかのような状況です。
私は何らかの形で治験に強制参加になっている。おそらく精神疾患の患者ということになっていて。かわいそうだから、football観戦に能動的に参加できる状況を作ってあるというような説明がチームにはあったのではないでしょうか?
なので補完としておこなうバッテリーに関しては選手を対象にしたんです。
治験を行っているグループには、被験者が治験に介入をして更に独自の治験を行うという想定はないはずなのですが。残念ながらわたしは教育を強かに受けた、しがない高学歴なんです。
「まばたき」を利用したんです。
心理学上では緊張状態におかれると「まばたき」の回数が増えるという俗説があるんです。実際、その仮説を数十年にわたって研究した文献もあります。意味があるのかは知りません。日本人だけに集約して行っても意味はないからです。
緊張状態のときに「まばたき」をするのであれば、弛緩の状態で「まばたき」ができるように心理的な操作を行えばいいので、実際に行ってみたんです。心理的な操作によって、選手の間で「まばたき」の意味に変化が起こるのかを確認したんです。

試合の前に、緊張しないでねという笑顔とともに、まばたきをしていったんです。先発の選手が、実際にまばたきをかえしてくれるので、驚きましたよ。頑張ってほしいという気持ちは本当なので、緊張しないでほしいという気持ちも本当なので、だから、届いたのかもしれないなとは思いました。
最初は咄嗟の反応だったんですが。試合を勝ち進むごとに、積極的にまばたきを返してくれるんです。
被験者が行った「私は、不特定ではなく、特定できうる被験者として不可解な日本サッカー協会の治験に、本人の事前の承諾もないままに、基本的人権も無視されて、不可解な治験に参加を強要されて、人に固有の生体認証を延々と奪取されているのだろうか?」という仮説をもとにしたバッテリーは成立したことになります。
被験者が故意にバッテリーを行い、治験に干渉したことになります。仮説を証明しようとして、治験に被験者が介入をして、仮説を立証するという状況です。治験を行ったグループが認識できているのかどうかは話は完全に別です。
当時は、何がわたしに起こっているんだろう?とも思ったんですが。
とにかく、普通のひとが試合を観るように、生体認証を奪取されることなく、普通にサッカーの試合が観たかったんですけど。
状況は年々酷くなっていったんです。
名前は挙げませんが(9年がかりだと複数人です)、私が試合を観るときにこのひとは担当のように解説をやっているけど。理由はなんなのだろう?とかたくさんあったんです。わたしの担当をやるとお手当でもつくのだろうか?と。よくわかりませんでした。
試合のときは解説の邪魔を毎回丁寧に行いましたし。
試合は楽しみたいのに、実況と解説が邪魔をしてくるという状態でした。わたしの突っ込みはかなり核心をつくので、実況も解説も引っ張られるんですよ。だって、私の理解のほうが質が高いからです。当時は本当にアジア予選をYouTube.comの野良のようなコンテンツを頼りにして必死に分析していたんです。解説者よりもアジアに詳しかったんですよ。影響を受けだすと離反するようにと治験を行うチームから指示を与えられていたようです。解説者が異なっても、押しなべて同じ反応になるのは逐一確認していましたから。
そして、解説者がアジア予選で熱心にアジアの他地域から日本に来ている留学生にコミュニケーションをとりながら予選の解説があるんですが(実際に解説者は複数です)、選ばれた複数の留学生が在籍していたのは大分県の立命館アジア太平洋大学の学生で、鹿島のサポーターならわかるはずですが、立命館アジア太平洋大学は先の強化部長の母校なんです。ちょっと怖かったですからね。学校法人立命館自体は京都にありますが、2020年にドコモとICT研究をはじめたときには嫌だなとは思いました。まぁ、私立なんで研究に絡む母数の桁が変わるので、わたしに拘泥するような研究はないだろうなって思っています。きっとわたしなんて大多数に埋もれるだけだし。まともに頑張る研究者はいるはずだって。
学究における国からの研究費は年々と削られる一方ですしね。
なんで、解説者は英語を学んで、FIFAに学ばないのでしょうか?FIFAのレクチャーは本当に質が高いんですよ。楽しいです。
そして、勝手に盛り上がって試合を観たいだけなのに。会話のようなものが成立をするんです。通常は違和感が生まれるはずなので、番組制作サイドで状況を精査して事態の収拾に努めるはずですが。一向にそうならないので。あ、これは医療がかかわっているなって思ったんです。日本サッカー協会自体が発達障害支援に前のめりになっていく気持ち悪さもありましたし。障碍者用のfootball競技については、選手がきちんと意義を見つけていればそれでいいんだと思うんですが。
障碍者をひとからげに扱って暴力ふるって構わないという姿勢に終始していても意味はないですからね。支援窓口作っている片手間にわたしに暴力をふるい続けるようでは、意味がないんです。

一番怖かった経験としては、Jリーグタイムという番組のプロデューサーが映像がつなげないときに音声で情報を伝えたことがあったんです。番組内で。どう考えても似てるを通り越しているという当人としか思えない人物が、住んでいる自治体で車の事故があった際に、現場からマイクをもって中継をこなしていたんです。
それだけだったら、怖くはないんです。何かのスポーツの大会の中継があったのかもしれませんし、人手が足りなかったのかもしれませんし。ただ、本当に怖かったのは、人身事故で状況が厳しいにもかかわらず、そのニュースを嬉々として現場から伝えていて。背後に潰れまくった車両があるのに、笑顔なんです。楽しそうなんです。
その時に病んでるって思ったんです。心底、怖かったです。
いまでも、NHKは上海支局を治外法権のように扱っているのでしょうか?
カタール大会ではAmeba.TVにわかりやすく生体認証を奪取されていました。カタールまで音声を奪取されていました。治験対象が長いと奪取されているのかいないのか、瞬間的に理解できますよ。
NHK技研が絡んでないと成立はしないはずです。電通がステイクホルダーだと、病気を抱えた患者に暴力をふるっても問題がないという国際的な理解なんて存立しえないと思います。治験の対象は誰でもいいけれど、治験があったほうがいい、どうせ精神障碍者に語る口はないから、あいつを毎回治験にしておけって感じになるのでしょうか?
差別主義者も甚だしいですよね。わたしは睡眠障害の患者ですけれど(うつ病は治っています。うつ病とベンゾジアゼピン系離脱症候群は全く別の分類になります。ICDの分類には薬物中毒も睡眠障害もありますから。処方箋薬物集毒が成立する先進国が日本だけなんです。精神科の医療従事者群によって過度の薬物中毒に置かれるという倒錯が日本のみで存立をします)。
勝手に、footballの試合が観たいだけなんですが。その希望がかなえられなくって9年も経過するって異常だと思います。
医療が介在しないと行えないと思います。日本の医療はどんな闇を抱えているのか見当もつきません。
インフラストラクチャの構造としては、警察が整備している防犯カメラを干渉させないとデバイスの音声情報は裏から抜くことはできません。デバイス自体はシンプルな構造ですから。
干渉自体はあっておかしくないんですよ。コンピュータに詳しくなるとお手上げ状態のときに専門のひとに遠隔で操作してもらって助けてもらうことはあるでしょ?急に住宅やマンションのインフラストラクチャーには侵入できませんしね。
DAZNって背後が電通になるので。データ分析が必須になるんです。それで広告代理店が成り立っているので。なので、広告代理店が絡むアプリケーションで映像や音声を扱うもの(例えば、radikoとかです)は、IPアドレスや位置情報をいうのを裏から抜くことを前提にしているんですね。
プライバシーの問題とどう折り合いをつけるのかについては、総務省が考えるべき問題になりますが。
その頃、わたしは日本の精神医療の多剤処方箋中毒から最低限の処方箋を目指して、減薬の最中です。当時は完全断薬なんて無理なんだって思い込んでましたし。当時は、情報収集能力がなかったということですが。
数年経過すると、鹿島アントラーズが病んでいくんです。

個人的には、休憩を設けたというのが大きかったんだと思います。
選手の言動が奇妙というのに、実際に気づきだします。ずっと試合を観ていた時には、複数年にわたる減薬にも取り組んでいたので、疲弊が溜まりすぎて、心のなかに入ってこなかった選手たちの奇妙な言動というのに気づきだすんですね。
昨季の最後の数節は、なんとか上位にいってほしかったので、集中して試合は観ましたが。
今季の体制は、筋道として理解できないので。
ごくたまにだけ、試合を観たんです。生体認証の奪取の可否の状況もいちいちバッテリーで確認をとってましたし。解説に介入をして反応が複数回にわたっていたり、誘導して実況と解説が引っかかると特定済みになります。わたしは延々やっているので、引っかからない実況と解説者に出会ったためしはないんですよ。
どうして、ずっと嫌だって言っているのに、わかってもらえないんだろうって思うんですが。
意味がわからないです。
試合内容がひどく、選手は足りなくなり。
相変わらず、生体認証を奪取され続けるので、最終の減薬にもはいっていて、正直疲れ果てていて。
選手はピッチに帰ってこれないケガをしだして。
もう、心が折れてしまいましたね、さすがに。
たまに試合を観ようと思っても、怖くて、DAZNのアプリを起動できなくなっています。
「嫌だ」と状況に対して、なんとか摩擦を生まないように伝えても、まったくその「嫌だ」が伝わらず、鹿島アントラーズは相変わらず、会社ごと病んでいくばかりで。同じ県にあるのが筑波大学なんですよ。スポーツ競技の選手が自分の試合内容を分析して学位を取るという特異な様式をもつ不可思議な大学なんです。個人が自分を研究対象にして客観性の担保はどこで得られるんでしょうか?シュミレーションの画像分析がすべてを解決してくれるわけでもないんですけれど。
学問としてはざるです。自然科学とは呼べないと思いますよ。わたしの専門は人文科学ですが。
また、日本サッカー協会と電通が組んで作った学会では、戦術分析も流行ったことがあります。戦術分析が論文になるなんて、そんなざるな学会なんて、日本でしか成立はしません。欧州では戦術分析は開かれていますし、UEFAのライセンス取得者のみなさんも啓蒙活動を頑張っらっしゃいますよ。
我慢した年数だけ、恐怖心が積み重なっていたみたいなんです。
実は怖くて、footballを観ることができなくなっています。終わった試合を違う環境下で観たりして努力をしているんですけどね。
ほかのアプリで、イングランドのfootballを観ようかなとも思うんですが。

9年間、わたしの生体認証を奪取し続けてきた日本の医療になるので、そちらのアプリにも病んだ医療従事者がたくさんいて、同じことが起こるんだろうなって思うと。
恐怖心しかないので。
なにもできません。
Footballが大好きなのに、競技ごと視聴環境が暴力になるんです。たまに、誰にも生体認証を奪取されていない視聴環境でfootballを楽しめていても、楽しんでいると、いつの間にか日本のコメンタリーが突き出して。自由にfootbalを観ることができない状況になってしまうことの繰り返しで。我慢したからこそ、恐怖心になったときに、手遅れなのかもって思ってます。わたしは記憶力についてはしっかりとあるほうなので。判断力もありますし。恐怖心を抑えて我慢をしながらスポーツ競技を観る環境下に置かれなければいけない倫理的道義性はおそらく皆無です。医療を理由にしても筋道がたたないんですよ。苦しみを与えているだけですし、トラウマにまで追い詰めるって道義性はないでしょうね。