罪のない嘘ならば。
とある美術館があります。
その美術館では、なぜか定期的にゴッホの展覧会があるのです。理由はわかりません。

学校の先生に余っているチケットをもらい、観に行ったこともあります。先生はなぜ余っているチケットを持っていたのでしょうか?
先生のお父様が市役所の会議で捌いてくださいと招待券(タダ券)をもらったのに、ありついたのかもしれません。先生の研究室で興味があったらと貰ったのです。いつものようにお茶とお菓子をいただきながら。お菓子はね、この間、ゼミ生が旅行に行ったお土産なの、減らないから食べて。
私の先生のお父様は国立大学の学長を務めた後に、いろんなお仕事をなさっておられたようなので、招待券(タダ券)にありつけたのかもしれません。

招待券(タダ券)の後ろに変なコードが書いてあり、よくよく考えるとモールス信号に似ていることに気づき、そのまま、図書館に行って、『初心者のためのモールス信号』という本を開架で読み始めました。
アルファベット表記かと思いきや、どうやら違う様子でした。
日本語でもないようです。私が知っているのは英語なので、アルファベットで解読すると最初に出てきた言葉は以下のような言葉でした。
Saluton!
かなり、驚きました。
これはエスペラント語じゃないかっと気づいたのです。実は、図書館にはエスペラント語の辞書や教材が一式揃っているのです。特にエスペラント語を学ぶための講義があるわけではないのですが。かなり充実しています。慌てて、エスペラント語に関する辞書や『はじめてのひとのためのエスペラント語』を開架の隣に併設されている、読書も勉強も出来てしまう長い机の上に、山のように積み上げていきました。席に座って、チケットの存在が他の人にバレないように、ノートを広げて、他の文献も広げて、この人は何の勉強をしてるのか全くわからないという体勢をつくって、解読に励むことになりました。

エスペラント語を勉強したことがないので、結局、夕方まで勉強していました。理解できたのは、ゴッホ展の招待券(タダ券)の裏に記載されているのは、全部モールス信号で、しかもエスペラント語で書かれているという事実だけでした。
Kial Vi kaŝas vin de mi?
ゴッホ展の招待券(タダ券)の裏のモールス信号
学校の食堂で、夕飯を食べ終えて、この言葉を訳すことにしました。
ただし時間は夜の7時半を過ぎてしまっています。お茶の時間を長めにとったので、図書館にもどると夜の8時になってしまいました。時間が足りません。教務に内緒で、学部を卒業して進学して、進学した学生に割り当てられる研究室に泊まることにしました。幸い誰もいません。
最初から研究室で解読するのは避けたかったのです。誰かいたらどうしよう、声をかけられたらどうしよう。秘密がバレてしまう。
秘密?
なんの秘密?
勉強をさぼり、初級のエスペラントの文法を前にしながら、悩んでいました。
なぜ、こんな状況に陥ってしまったんだろうと。
自分の勉強をサボってまで、頑張ることなんだろうかと。

夜の10時半を超え、静かな研究室の中でパソコンで音楽を流し、片肘をついて頬をささえながら『はじめてのひとのためのエスペラント語』の2回目の通読の最中に、前置詞の”de“に特徴があるという箇所が出てきました。最初の通読で見逃していたようです。
あ、辞書で例文にないかな?と思い、調べてみると案の定、例文として出ていました。
どうしてあなたは私から隠れているのですか?
エスペラント語の辞書
え?どういうことだろうと、悩みました。ゴッホ展の招待券(タダ券)の裏に「どうしてあなたは私から隠れているのですか?」とエスペラント語のモールス信号で書かれているわけです。
一体、どんな理由があって、県立美術館は招待券(タダ券)のチケットにはモールス信号を使ったエスペラント語で謎の表記をすることに決まってしまったんだろうか?
大体、ゴッホとエスペラント語なんて共通点がないじゃないっ。
だれが、だれから隠れているなんてわからないじゃないっ。
そのまま、研究室の隣にある談話室のソファーでふて寝をして、こんこんと眠りにつきました。

一流ホテルのベッドで眠ったかのようにぐっすりと寝てしまい、朝の目覚めも快適でした。
談話室の古ぼけたソファーにそんな力があるなんてと驚いてしまうほどです。
そして、机の上に置きっぱなしにしておいた、招待券(タダ券)の裏の記載みると、どうやら表記が変わっているようなんです。
昨日のモールス信号と違うものになっている。
どうしよう、借りてきたのはエスペラント語に関する本だけど、一応モールス信号に関してはノートに必要な記載は書き写したしたはずだから。どうして、一からやり直しなんだろうーと悲しい気持ちになりながら、給湯室に行って、ポットを洗ってから電源をいれ、お水を入れてお湯を沸かして、誰かがお土産として置いてあるミントティーを飲みながら考えました。

バックに入れてあるローズウォーターを顔に吹き付けパシャパシャしながら、簡易的な洗顔をして、改めて、勝手に変化したタダ券の裏に記載されているエスペラント語のモールス信号を格闘していくと、次のような文章が出てきました。
ĉu vi venis por trovi min?
ゴッホ展の招待券(タダ券)の裏のモールス信号
“ĉu”は疑問詞だったはず、例文はないなぁー、と思いながら、訳していくと。
わたしを見つけにきたのですか?
ゴッホ展の招待券(タダ券)の裏のモールス信号(試訳)
これは、もう実際に美術館に行くしかないなと思い、図書館の返却ボックスに借りてきたエスペラント語の文献を滑り込ませて、そのまま出かけることにしました。

街中の駅に併設されているパン屋さんで朝食を済まし、手元の招待券(タダ券)を確認するようにしていました。また、表記が変わってしまうと困るからです。
人生で、初めてモールス信号と格闘する羽目に陥りました。しかもエスペラント語を表記しているモールス信号です。コーヒーのお代わりをして、気晴らしにカントの『啓蒙とは何か』を文庫本で再読をしながら、たまに招待券(タダ券)裏を確認するという、不思議な作業に時間を費やしたのです。
1時間経っても、表記は変わりません。
電車を乗り換えて、美術館に向かうことにしました。駅を降りて、海に向かって、なだらかな坂を下りるように歩いていくと、美術館は人でごった返していました。

みんな美術館の開館前から並んでたってことなんだろうか?と思いながら、チケットを渡すと、学芸員さんの目が一瞬鋭くなったような気がしました。多分、気のせいだろうと思いながら特別展示室に向かうと、いつものことながら、とても観にくい展示方法を展開していて、A先生の建築なんて、関西では何の評判にもならないのに、と来るたびにみんなが思う気持ちを新たにしながら、ひとつひとつ絵画を見て回りました。
次の展示に移動しようとすると、関西のおばちゃんたちの集団が、学芸員さんを困らせています。ちょうど別の展示室に行く通路のところで、ゴッホの展示会なんやろ?ゴッホの絵はどこにあんの?ちがう、自画像のこというてんねんと、次々に学芸員さんに詰め寄っています。詰め寄られた学芸員さんも関西のおばちゃんの集団には閉口しているようです。後で、飴ちゃんはもらえるんでしょうか?
このおばちゃんの集団は、騒々しいのは騒々しいけれど、実はゴッホに詳しいんだろうか、それとも無知なんだろうか、それとも、やけっぱちなのか、しばらく観察していても判断できず、学芸員さんに群がっているおばちゃんたちのすぐ横の狭い通路を通り抜け、次の展示室で私のお目当てである、《 ローヌ川の星月夜(星降る夜)》を堪能していました。

戻ろうとすると、さきほど、混みあっていた通路付近が閑散としています。
見ると、一枚の絵画がかかっています。
未完成の一枚の絵画で、おそらく自画像だと思われます。ですが、飾られている絵画の下には、他の絵画にあるようなタイトルや説明の表記がありません。
表記があるはずのちいさなパネルには、更に小さい文字が表記されています。顔を近づけてみると、エスペラント語で次のように書かれていました。
Vi trovis min
未完成のゴッホの自画像
多分、わたしを見つけましたねって意味だと理解をしました。
ここに飾られてたら、案外みんな見過ごすよなぁーと思いながら、耳を切って包帯を巻いている様子を描いたと思われる、油絵具もまばらなスケッチに近いキャンバスの未完成の自画像を見ていました。
ブックレットを購入して、併設されているレストランでお茶をすることにしました。読みながら、あ、最近は絵画に対する暴力行為もあるらしいから、自画像がみつかりにくいように、そっと展示してあったのかもと思ったりしました。
ブックレットのページをめくると一通の封書が挟まっていました。宛名も何もありません。

封をしているわけでもないので、中身を取り出すと、そこに書かれていたのは英語の文章が綴られた手紙のような説明文でした。
Dear the reader,
In July 1869, Van Gogh’s uncle Cent obtained a position for him at the art dealers Goupil & Cie in The Hague. In 1876 he returned home at Christmas for six monthes and took work at a bookshop in Dordreht. He was unhappy in the position and spent his time doodling or translating passages from the Bible into English, French and German. While L. L. Zamenhof was the son of a teacher of German and French, His father told his son Hebrew also. In school, he studied the classical languages Laten, Greek, and Aramaic. He later learned some English, but unfortunately, the language was not for him. By 1878, his project; Lingwe uniwersala had finished but Zamenhof was too young to publish his oeuvre, having been graduaged from the university, he began his practice as a doctor in Veisiejai in 1885. Although their skilfulness of languages, the skill itself would not help them at the time. Van Gogh painted several groups of still lifes in 1885 to overcome his father’s death. Van Gogh and Zamenhof had a different religion, but the religion will not save them also. How about the langue? Yes, the langue would imply the opposite sometimes.
Cordially yours.
A letter from someone, or somebody
ゴッホは最初から狂気を抱えていたわけではなく画商に勤めていましたし、エスペラント語を創案したザメンホフは最初から業績を認められていたわけでもなく、その結果、眼科医として開業しています。ザメンホフは英語が得意ではなく、一方、ゴッホはイングランドで働いていました。お互いに信仰が深く、そのために傷ついています。ですが、習得した言語が二人を救った形跡は特にありません。
それはそうだなぁーといろんなことを考えさせられました。
嘘をつくって結構手間がかかりますね。ゴッホは父の死を乗り越えるために静物画を書いたそうですが。実物をみてそこまで根詰める必要はあったのだろうかと思ったこともあります。花瓶の花を描いているんです。美術館にある絵画を模写しているんですが。悩みつつ模写を、油絵の具でやっているんで、凄く厚塗りの絵画になっているんです。目の前の絵画を自分のキャンバスにどう移すかという作業でかなり手間取っています。通常の画家なら、模写は模写になりますが。ゴッホの場合はそこに解釈があるので、悩んだのかもしれません。