例えば、読書でもいいんですが。趣向って変化していきます。
子供の時の読書で何がインパクトだったかというと、わたしの場合はボルヘスの『伝奇集』です。
本屋さんに行って何も考えないで購入しただけなんですが。
当時は単行本って海外文学でもそこまで高くなかったんです。本屋さんも本屋さん然としていましたし。本屋さんで本を購入することは一般的で、選書のレベルも高かったんです。読書するひとたちが、しかも活字をきちんと読む層がいたんです。いまもいるんだと思いますよ。引っ込み思案になっているだけなんだと思います。本の価格自体も上がっていますし。むつかしいですよね。
『伝奇集』を買ってきて読みだしたはいいんですが。内容が理解できないんですよ。普段読まないような熟語もたくさん出てきて。
辞書をひきまくり。書き込みをたくさんしました(子供だったんで、単行本に書き込みをすることに躊躇とかなかったです)。単純な性格なので、理解できるまで何度も愚直に読むという方策しか見当たらなかったんです。

百科事典のとある記述についてという本の内容が、子供の興味をひくかというと、実はそれが、ひいてしまったんですよ。そんな子供は少数派なのかもしれませんが。
同じ百科事典のはずなのに、とある記述の項目がある百科事典とない百科事典のバージョンがあるというだけで。なに?なに?ってなったんです。
ただ、子供なので書いてある内容がすぐに理解できるはずもなく、なんども読む羽目になりました。
繰り返し読んでいくうちに内容が理解ができてくると楽しいわけです。
こういうことなんだって理解できると、視野が一気に広がる感じで。それが楽しかったんです。
一番大好きな「円環の廃墟」なんて、子供が翻訳を読んだところで最初は歯が立たないんです。

辞書を何度も調べて、読んでいきながら、追っていく言葉や文章が文体がこころのなかで映像になってたちあがってくるときに、あ、こんなことが書いてあると、理解をしていくんです。
なんだかわからないものが、だんだんと思念のなかで輪郭をはっきりさせていくあの過程が楽しかったのかもしれません。
ボルヘスの『伝奇集』がわたしに与えたインパクトは印象的だったんです。
そこから、中南米の文学にはまっていくという過程はなかったんですけれど。
後でボルヘスのことを知って。
横のものを縦にしても、わたしはイングランドの勉強をすることになるんだと思って。
驚いたことはありました。
イングランドに対する志向性というのは、幸宏さんになると思うので。結構、幼少期に刷り込まれているみたいです。好きなものは変化はします。ただ、変化していく中で回帰していく場所に対しての愚直さもあるんです。不思議だなと思いましたね。