遥か彼方の。

昨年末から、頭を抱えて、抱え込んでいますが。ロカビリーの手前で、歴史をおさえておいたほうがいいのかな?とも思ったので。

ロカビリーが誕生する磁場みたいなものはあるんですね。ミシシッピーデルタ近辺になると思うのですが。

ミシシッピーデルタの上のほうに、テネシー州のメンフィスがあります。そこから、21マイル離れたミシシッピー州の Hernandoという場所があるそうなんですが。そこでRobert Timothy Wilkinsさんが、1896年1月にお生まれになります。Jogをフィーチャしたバンドで、メンフィスのラジオ番組なんかに1927年にお出になっていて。1928~1936年の間に複数のレコード会社でレコーディングをなさっておられます。1936年に演奏していた場所で殺人事件が起こり、目撃者になったことが直接の要因なんだそうですが。聖職者を目指して、聖職者になるんです。実際に。

1960年代に古いbluesの音楽のリバイバルがアメリカであったそうで。再発見を経て演奏活動をなさったり、レコーディングをなさったそうです。

有名な楽曲はThe Rolling Stoneがカバーした楽曲になります。

カバーから聴いてみましょう。

The Rolling Stonesの皆さんは、イングランドの人たちなんですが、アメリカ合衆国の音楽にあこがれて、きちんと南部の音楽を調べて、音楽を吸収しているんです。

The Rolling Stonesの皆さんは大変に勉強熱心なんですよ。ご存じでしたか?

かっこいいですよね。

そして、原曲です。原曲ですが、60年代のリバイバルの時の音源です。

普通にかっこいいですよね。

Bluesって場所によって、その場所の名前を冠したbluesのジャンルがあるそうなんですが。

目指す先はロカビリーになるので。ミシシッピーデルタを中心に見ていきます。

時代を遡りますよ。

ロカビリーの手前を調べはじめた当初まで、さかのぼります。実際にミシシッピーデルタ周辺の音楽の歴史も古いんだそうです。

R&Bにたどり着く前に、R&Bを形成する音楽を勉強しまくりましたが、R&Bを構成する音楽をその誕生の手前で用意をする音楽プロデューサーみたいな役割をこなしたひとがOkeh Recordsにいらっしゃいましたよね。

Okeh Recordsの登場再びです。

まずは、音源からです。

Freddie Spruellさんは”delta blues”、そうです、ミシシッピーデルタで生まれた”blues”で、はじめて音源を録音した音楽家になります。

“Milk Cow Blues”は1926年6月25日にOkeh Recordsでレコーディングされています。

Freddie Spruellさんは1893年にルイジアナ州のLake Providenceにお生まれです。生涯の詳細はわかりません。1940年代の半ばには音楽活動をおやめになって、バプティスト系の宣教師になったそうです。

それでも、この楽曲が”delta blues”を形成する音楽家のなかで、音源化されたものとしては最古になるそうです。

ほかの楽曲はParamount Recordsで発表なされていたりもします。

もうひとり、”delta blues”を形成する音楽家を紹介しておきたいと思います。Ishman Braceyさんです。

取り上げる楽曲は1928年8月31日にテネシー州のVictor、メンフィスに録音する場所があったみたいですが、そこで録音された”The four day blues”です。

Ishmon Braceyさんですが、諸説あるなかで有力なのは、1901年にミシシッピーのByramという町でお生まれになったという説になるそうです。ボトルネックのギターの奏法を身につけて、地元のダンスパーティで演奏活動をなさっておられたそうです。Okeh RecordsやVictorもそうなんですが、いくつかのレコードレーベルが当時のさまざまな音楽の音源化を試みていたのですが、そういうレコード会社に見込みのある音楽家をスカウトして紹介をするひと、というのがいたそうで、H. C. Speirさんもそのおひとりです。ミシシッピー州のJacksonにレコード店を実際にお持ちだったそうですが、録音機のようなものをお持ちで(すいません、詳しい詳細までわかりませんでした)、デモなんかを作って、売り込みをかけていたそうです。H. C. Speirさんに実際に見いだされたのが、Ishman Braceyさんです。H. C. Speirさんは実際、”delta blues”の立役者とも言及されるそうなんです。

1930年代の最初のほうでは、“medicine show”という、ある種のサーカスの元祖みたいな催し物があるんです。移動式で行われるんですが、奇跡の治療みたいな、現実的でない治療法を紹介するのに音楽をフィーチャしたりするそうなんですが。幅広く行われていたみたいで。その旅に参加なさっていたりもします。マジシャンとかダンサーとかも一緒になって興行をするんだそうです。“Medicine show”の歴史自体はかなり古いそうです。アメリカ合衆国の古い形式の音楽興業のありかたのひとつになるのかもしれません。

“Medicine show”自体は当時のさまざまな音楽が取り入れられるので、もしかするとジャンルが混じるきっかけにもなったのかな?と思ったりもします。思うだけですよ、学術的な裏付けはないです。わたしはフィールドワークできないので。

Braceyさんは1951年にはバプティスト系の宣教師になります。

宣教師になるのが流行ったんでしょうか?

よくわかっておりません。

そして、実はミシシッピーデルタの上のほうにメンフィスがあるんですが。メンフィスには“memphis blues”が存在するんです。こちらのほうが音源が古いんですが。

こちらの音源のほうが質が高いです。

Frank Stokesさんの ”’Taint Nobody’s Business”なんですが。1928年のレコード音源にするために録音するテスト版が残っていたそうで、その音源になります。ただし、2002年にリマスターの音源もあるので、どこまで正しいのかはわたしにもわかりませんが。プレスリリースのための録音音源がこれだけ質が高かったのだろうか?とは思ったりもします。

Frank Stokesさんはテネシー州のshelby countyに1877年もしくは1888年にお生まれだそうです。鍛冶屋さんを営みながら、そうなんです、お友達と一緒に音楽家として”medicine show”に参加をなさっていたそうなんです。音楽がひろがる契機として一定の役割が”medicine show”にあったのかもしれません。後に鍛冶屋さんに戻りながら、週末にダンスパーティーなどで音楽の提供をなさっていたそうですが。

ミシシッピーデルタを中心とする地域では音楽活動というのは、アパラチア山脈の近辺同様に活発だったそうです。

実際にジャンルを横断して歌唱法が広がっているのかな?という様子もあるんですよ。

”Blue yodel”というジャンルがあるんです。これは呼称の問題であるらしく、別にスイスのヨーデルがアメリカ合衆国に急に移築(?)されたわけではないみたいです。以前に“minstrel shows”に言及したことがありますが、1920年代でもあったそうなんです。Emmett Millerさんは1900年にジョージア州のMarconにお生まれだそうです。1920年代には“minstrel shows”における影響力のある演奏家で、カントリーミュージックにも影響を与えています。

そして、音源はOkeoh Recordsなんですよ。1924年の録音だと思われます。

ファルセットを使った歌声になっていますよね。

この音源の影響を”Blue yodel”が取り込んだという考え方があるそうです。

”Blue yodel”の立役者は、Jimmie Rodgersさんです。

ミシシッピー州のMeridianに1897年にお生まれです。カントリーミュージックの父としても有名なんだそうです。カントリーミュージックの父の歌唱法のインスパイア先が、“minstrel shows”という黒人の音楽を白人が真似てショーをするという、不思議な、それでも歴史の古いショーにその由来のひとつがある可能性がというのもユニークですよね。

子供のころからヴォードヴィルショーに参加したり、もちろん、”medicine show”の旅興行にも参加をなさっていたそうです。

お父様は鉄道員だったそうです。では、Jimmie Rodgersさんのショーの映像です。

白人だけが”blue yodel”の歌唱法で歌っていたのかというと、なんだか、そうでもないみたいという現実もあったようです。

Tommy Johnsonさんという”delta blues”の音楽家がいるんですね。1896年にミシシッピー州のTerryにお生まれで、Cristal Springに転居なされ、そこで生涯をお過ごしになるそうです。そして、その歌唱法が広く”blues”のジャンルで波及する演奏家としても有名なんですが。

音源を聴いていると、これは”blue yodel”なのかな?という歌唱法があります。

1928年2月3日にメンフィスでの録音になります。Tommy Johnsonさんご自身はいろんな歌唱をなさいますが。この一曲はどうしたんだろう?というほどに”blue yodel”のようにファルセットを多用なさっているんです。

Tommy Johnsonさんのこの”Cool Drink of Water Blues”(1928)の歌唱法のアイディアはどこから来たのかわからないんです。

理解できることは、人種関係なく、ミシシッピーデルタ周辺地域で、1920年代後半にファルセットを用いた歌唱法がひろく取り入れられていた可能性になります。

その源泉はどこになるのかは不透明なんですが。ファルセットを使った歌唱法の広がりがあったみたいです。

Johnsonさんのこの楽曲での不必要な頻度のファルセットの多用を聴いていると、努力の痕跡みたいに聴こえることもあるんです。

アメリカ合衆国の音楽ジャンルの名称ってむつかしいんだなって思いました。

ミシシッピーデルタってアパラチア山脈近辺で調べたような音楽の多様性とは別次元の、南部の音楽の多様性があったみたいなんです。

すごい土壌ですよね。

時代が1940年代になると、音楽自体、完成度がそのまま上がっていきます。

だれが、”delta blues”の音楽家のなかで有名人なのか?というと意見はわかれるのかもしれませんが、おそらく、Arthur Crudupさんになると思います。

1905年にミシシッピー州のForestにお生まれです。Bluesっていろんな州で演奏があって、シカゴでも音楽の広がりがあって、”chicago blues”と呼称されます。その”chicago blues”の音楽プロデューサーであるLester Melroseさんに見いだされるそうです。VictorやColumbiaなどでもお仕事をなさり、Okeh Recordsでもお仕事をなさったそうです。かなり有名な音楽プロデューサーになります。

そして、この楽曲をカバーしたのが、そうです。

Elvis Presleyさんです。

有名なSun recordsから出ています。

Elvis Presleyさんはミシシッピーデルタ周辺の豊饒な音楽を聴いて、この楽曲をカバーなさってみたいですよね。

ロカビリーって地域性重視の音楽ジャンルみたいです。

ただし、ロカビリーを構成する音楽というのはアメリカ合衆国のほかの地域の音楽も構成要素に含んでいるみたいです。実際に、おそらく”medicine show”で北部の音楽とも交流があったかもしれませんし。

実際にキャラバンを組んだみたいですから。

移動式のショーで音楽が楽しまれ、その楽しまれた音楽は、ヴォードヴィルや、最終的にはラジオなんかに、その座を奪われるんでしょうが。

音楽のなかに残っているんでしょうね。

Elvis Presleyさんもファルセット使った歌唱法をおもちですしね。

ロカビリーはミシシッピーデルタ周辺の音楽の文化をふんだんに取り込みながら成立したのかもしれませんよね。

ロカビリーくらいになると、音楽は地域の音楽になります。

“Delta blues”の中心楽器はギターですし。ギターなんですよ。

アメリカ合衆国は広い国ですからね。

やっとたどり着いたロカビリーなんですが。それでもここからが本当に高い壁なんです。どうやってイングランドを目指すんでしょうか?どうすればいいんでしょうね。その手前でロカビリーをきちんと理解をしないとって思っています。やっと手前まできました。

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