点在することと組織立てること。

Youtube.comでデジタルデトックスはこうするといいですよという啓蒙動画を探そうとしたわけじゃなかったんですが。

行きあってしまったことがあったんです。行きあったというか、Youtube.comのアレゴリズムが偶発的にはじき出してしまったのかもしれません。

アレゴリズムがはじき出したとしても、Youtube.comのコンテンツの細目までは勘定に入れていないのかもしれませんし。

よくわかりません。

そこで女性がこう問いかけるのです。

「わたしたちってお互いに影響を与えすぎているの。きっと、それで疲れちゃうんだと思う。」

考えると不思議な発話だなって思ったりもしました。

それだけ、デジタルコンテンツをめぐるコードとしての言葉って複雑になっているのかもしれないんですが。

「相手のように話そうとする志向」(ヤコブソン)が会話を成立させる、応答可能性を、相互理解を促す志向であるのだとすれば、複雑化しているのかもしれませんよね。発信者もそれを受け取る側もそれぞれのコードに縛られていて、相手の意図するところがわからないままのはずなのですが。なんとか相手のことを理解しようと努めるのですし、齟齬があるのはしょうがないはずなのですが。

その女性と受け取り側のわたしの近接性を取り持つのは、使用しているsocial mediaがたまたま一緒で、“influence”という動詞がこんなに身近になっている状況も変だよなという違和感です。

お互いに兪の嵐の只中に巻き込まれている感覚なのかもしれませんよね。

お互いに同じシステムを使っているだけで、見てる風景は異なるはずなんですが。なんだか変だよねという感覚を”influence”という動詞を介して理解できるという。

コードというかメタ言語(”metalingual”です。”metalanguage”でななく)が錯綜しているような気分にもなりますが。

お互いが立ち戻るべき理解のためのたたき台というものが、すでにばらばらになっているので余計にそんな感覚になるのかな?って思ったりもしました。

その女性はたくさんのルールを作るんだそうです。デジタルデトックスのために。時間割を決めてデジタルデトックスに充てたり。デジタルデトックスの間にやることをこまごまとルール化していたり。

ぼぉーっとする選択肢はないのかな?って観ながら思ったりもしたんです。何かに従事するのではなく、ぼんやりと音楽を聴くとか、散歩に出かけてぼんやりと空を見上げるとか。

おいしいご飯を作るというのは理解できます。ただ、そこまで張り切ると疲れちゃうけれどと心配にもなりましたが。気楽でいいのに、毎日のことだから。

デジタルデトックスのためのルール化をしないとデジタルデトックスがむつかしいからかな?すべてのデジタル信号から逃れるって現実的じゃないから考えすぎないでもいいのにって思ったりもしました。

わたしは、エジンバラ大学の、social media中毒なんてアプリを運営している会社の少数の技術者に乗せられて、自分が主体的に踊ってるだけなんやで、あほやと思わへんか?という論文を読んで、かなり恥ずかしい思いをして以来、本当に気を付けるようになりました。

ふと現実に戻った感じだったんです。

それは正直恥ずかしいなって、思ったんです。

さて、social mediaにかまけていた時間で、以前のわたしは何をしていたんだろう?と振り返ると、文庫本や単行本を読むことにかまけていたので。

そこに戻っていったんです。

小説を一気に読むという気力はなかなか戻ってこないんですが、ジャンルを絞ればなんとかなるということに気づいたので、たまにスリラー小説なんかを一気に読了したりもするんです。

楽しいんですよ。

本当に。充実の時間を過ごすんですよ。読了後の満足感はいいですよね。

一冊の読書なんですが、作者のストーリーの進め方とか、登場人物の造型の仕方の工夫とか、案外、造型までの工夫になっていなくて、どの人物にもみられる共通した特徴もあるなとか、サスペンスを高めるための章の分け方の工夫とか、最終章へのスピード感を高めるための畳みかけ方とか、情景描写の細かさとか、いろんな視点で読むのです。

同じ時間をsocial mediaに注ぎ込んで何をやっていたんだろう?って思うんですが。楽しい時間を過ごした記憶はあまりないんです。

何をやっていたのだろうか?とも思います。そこから使うsocial mediaについては数を減らして制限をかけていきました。まったく使わないわけではないんですよ。

招待されないと使えないというときに、そのsocial mediaから招待をきちんと受けて使い始めたので。

その点に関しては感謝しています。

それでも使っているsocial media上の暗黙の了解だったり、話題性というのは、現実にはまったく反映されないじゃないですか?

たくさんのsocial mediaがあって。Social media自体を全くやっていないひとも当然いるので。何の話題?何の話?ってなるでしょ?

なんだか、恥ずかしい状況に取り囲まれていただかなのかもって思ったんです。狭いアプリの世界観のなかでだけしか通用しない偏狭さに取り囲まれていただけなのかもって。

閉じてしまえば、見えない世界になってしまうのに。

何と戦っていたんだろうか?

果たして、戦っていたんだろうか?

よくわからないんですが。

無駄だったなって。

なので、割と自由に使っています。

武装蜂起しません。

なんだか反省しきりですよ。

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