鬱の再発があって、お薬が山盛りだった時に(今振り返っても山盛りでしたね)、テレビを観ていたんです。
それまではテレビを観る習慣なんてなかったのに。
当時はメディアの同調圧力が苛烈になっていて。安倍政権の長期化もあり、メディア上での政権への忖度が熱を帯びていて。
いま考えると。異常な状態だったんだなとは思います。

大手紙の週末の書評を読んでいても、一部奇妙だったんです。
とある作家が、誰に対して書いているのか不明瞭だったのですが。小説で勝負を挑もうとしているんだった、こっちから蹴倒してやるという筆致で、書評を書き始めていたり。読者の想定が皆無で。誰宛の手紙になっているのだろうか?という。
池内先生の書評の筆致も奇妙で、ひとは家の中をみることができない、外観を眺めるのみで、その家の二階がどうなっているのか外からはうかがい知れないという、池内先生は書評の対象である本の内容から、いささか逸脱した書きぶりで。先生はいつからストーカー気質をお持ちなんだろう?先生に似つかわしくないのにという感想をもったことまであります。
誤読していたら嫌だなと思い、翌日丁寧に読み直しても印象が変わらず。
それぞれに追い詰められていて、誰ともわからないひとに攻撃を加えるべく書評の役割を逸脱していたのかな?って。
新聞の書評が闇に紛れていいのだろうかと、ちいさく頭を振ったことも。

政権は圧政を敷き、日本中のメディアがそれにおもねっていて、新聞の書評の一部が奇妙にねじれていたり。
夜遅くに、NHKのラジオを気まぐれにつけると。
番組が成立しなくなっていたこともあったんです。
多分、当時の朝のドラマに出演されていた俳優の皆さんだと思うんですが、不可思議な即興劇を繰り広げていて。
近隣の国まで電波は届くので、この不可思議な内容のつかみづらい即興劇も、このまま海を越えるのかもしれないと。
山盛りのお薬を盛られてはいましたが。
案外冷静に考えていました。
当時はいろんなものが常軌を逸していたのかもしれません。
それがきちんと判断できるくらいには冷静だったんです。
わたしの心は当時病んでいたはずなんですが。世間も同じくらいに疲労困憊をしていたのかもしれません。いまではテレビを観る人口が減っていますし。みなさん、疲れ果てた挙句の判断だったのかもしれませんよね。こころの健康を守るために、テレビを消して、それぞれの楽しみをみつけるのかもしれません。それでいいんだと思います。