ドン・キホーテの映画化を巡る惨劇については、知っていて。もう、さすがに無理なんだろうなーと思っていましたが。少し不思議なのが、ギリアム監督作品って、最近「テリー・ギリアムの」って断り書きのように映画のタイトルがつけられるのは、何故なんでしょうか?
ギリアム作品だって、最初に断りを入れないと、日本の映画館では何かむつかしい状況になったことがあるんでしょうか?寡聞にして知りません。

さすが、ジョナサン・プライスさんってなりながら、観てました。アダム・ドライバーさんが全力でしたよ。ドライバーさんじゃなかったら、成立してなかったと思います。
なんだか、ブラッシュアップされていて、映画の構成としてもスムーズな感じがしました。
ギリアム監督作品はきちんと観るようにしていたんですが、とある作品で、あーっ、これはダメっというのが予告でわかってしまい、しばらく観なかったんです。
その間だと思うんですが。不思議なことがあったんです。
オペラの演出を手掛けることになったんですね。ギリアム監督が。しかも、ベルリオーズなんですよ。
機会があったので、観ました。
ベルリオーズが、未来のギリアム監督のためにオペラを書いていたわけでは全くないのですが。
ギリアム監督が描くものの核心部分となぜかベルリオーズのオペラが共鳴していて、すべて観終わって、本当に驚いてしまったことがあります。
ベルリオーズとギリアム監督の共通点なんて全く思い浮かばないんですが。
この作品に関しては、ベルリオーズのオペラがギリアム監督の技量によって、立ち現れてくるような作品になっています。
機会がある方は、観てくださいね。
ドン・キホーテは、子供の時に2段組の単行本で読んでいて、学生の時に、教科書としてのテクストにドン・キホーテの記載が註にあったり、ドン・キホーテを読み込む可能性などを先生が示唆されたときに、「あ、悪魔なんですよねー」って言うと、「悪魔じゃなくって、風車でしょっ」とよく怒られていました。結構前のめりで読んだので、戦うんだぁーって思いながら読んで、そのままに記憶されてしまい、その後、客観的な再読を怠ってしまったために「風車=悪者=悪魔」って記憶していたみたいです。どんな読み方をしたら、そうなるんだろうーと、読了した子供時代の自分に問いただしてみたい気持ちにたまになります。学校の図書館で再読すればよかったのにとも思っています。