定番も含めて、3本挙げたいと思います。あくまで、私の定番ですからねっ。
まず、1本目です。SF映画はお手の物という名匠リドリー・スコット監督のこの作品です。
映画を観た後に、冷静に原作を読むと、どういうことやねんっ、自分なぁ、状況をよく考えてみ。惑星に存在できてんの、自分一人やんか。その実験やんねやったら、材料なんてアホみたいにあるやろ?火星探索なんて、人類は経験してるんやろ?他のクルーの残していった分も考えてみ。近所に、別にミニサイズのラボを作ってそこで試験的にやってからにしたらよかったやんか。最初から居住空間と同じサイズ感で実験しようなんて非科学的やろ?なんで居住空間犠牲にしてんねんてっとか。それにな、その実験で、その程度の負傷っておかしいで、とか。いろいろ、ツッコミどころがありすぎたんです。
ただし、それを映画にするという段階になると、スコット監督の手腕というのは冴えわたるわけです。
SF映画を散々作ってきた監督なのです。
スピード感もありますし、それまでのSF作品にオマージュをささげまくっているのです。
そして、スピード感をもってさっさと映画を進めるべきところと(観客が?となる瞬間を出来るだけ別方向に逸らすんです)、じっくり描く場面と、バランスを取りながら、トータルのテンポを大事にしています。
マーク・ワトニーさんの逆境に負けないぞっという姿勢と、ここまで行くとさすがにしょげるという辛さが、観ていても気の毒になりますし。なんとか、頑張れないだろうかって、観ながら思ってしまうんですよ。
途中まで自力でNASAと交信するのを地道に頑張り、食料の確保も地道に頑張り、ワトニーさんは植物学者でよかったなぁーと思いながら、えー、宇宙飛行士のヒエラルキーでは植物学者って下になるのかぁー?現在の宇宙ステーションでは動植物の様々な実験をやっているので、植物学者で宇宙飛行士だと、とても重宝されそうなのにとも思うのですが。ひとりで火星に取り残されるので、時間が沢山あるかというと、何にもないにほぼ等しい惑星にひとりぼっちで取り残されるので、そこまで時間がないんですよ。毎日、一生懸命なんです。

一旦、NASAと交信可能になっても、知らない残酷なことを沢山知らされたり。NASAが総動員で援助してくれるんですが、今まで以上に、いろんな情報をワトニーさん一人で捌いていかないといけなくなるので、実は忙しいんですよ。
途中で、いまですか?もう、こんな食事内容ですよ。こんなことしていますよ。誰か僕を止められるとでも?という食事内容になっていて。あ、これ食べた後、その場で倒れる可能性の方が高いけど。耐性ついてたらしんどそうやなぁーという食事風景で。気の毒でした。
ワトニーさん、多分死んでるかもしれないという残酷な場面もあります。映画を観ながら、未来の(?)NASAではきっとすごい発見の連続なの、きっとそう。ワトニーさんが死なないミラクルなガムテープが製造されているのって思ったり。通気性ゼロなの、密着するの、取り扱い可能なの、大気の構成が地球と異なる火星でも平気なのって思ったり。大丈夫、ヘルメットのなかの気圧と外気をきちんと遮断するから。ヘルメットのフェイス部分にもきっと、NASAの秘密が沢山あるのっと思い込んだり。

あ、夜だから火星はマイナス55℃ぐらいの気温になっているけど、きっと未来の(?)NASAだから、宇宙服が進化しているの、だからやすんでいても平気なの、って思ったり。
発見してはいけないものをワトニーさんは発見して、車内に持ち込んでいるけれど。未来の(?)NASAだから、本来は車内に持ち込めないかなり重い物質を軽く出来る世界の科学技術者も全く見当もつかないような物質を発見してそれを生産(?)して、様々な加工技術を使ってるの。それは、地球の3分の1の重力で成立している火星で、放射線自体を完全に密封できるような極めて重くて軽くなる(?)不可思議な物質で、かなり危険な物質全体を密封してるの。熱だけ少し漏れる程度なの。未来のNASA(?)って、現在の自然科学を無視できる物質を発見したの。そして、量産してるの。世界に内緒で。多分、きっと、そうって思い込もうと努力をしたり。NASAで秘密だから。世界にバレているはずだけど、秘密なの。

え?どういうこと?計算ミスじゃないでしょうね。NASAは失敗してないでしょうね。地球の大気と火星の大気はまったく違うけど。成層圏がなさそうだからって、それ間違ってない?大丈夫?加速して宇宙空間に出ることになっているんだけど、NASAは大丈夫?うーんと、きっと大丈夫。未来のNASA(?)が開発した宇宙服がきっといろんな頑丈さにあふれているの。だから、あんな変な色で、デザインも変なの。頑丈さの証拠なの。きっと未来のNASA(?)は宇宙服の素材もリニューアルしているの。軽装にみえるけど。多分、宇宙空間でも平気なの。だから、気絶で済むの。

いろんなことを未来のNASA(?)に託しながら、観てくださいね。
私はそう考えるようにしています。
では、2本目です。
ダンカン・ジョーンズ監督の最初の作品になります。お父様はデヴィッド・ボウイさんです。ボウイさんはきちんと映画館に観にいらっしゃったそうです。ジョーンズ監督はお父様にいい映画だねって褒めてもらったそうですよ。
私にとっては極めて大切な作品になっています。
睡眠の処方箋が酷すぎたときに、それでも眠れなくって、この映画を観ながら毎晩眠りについていたときがあります。
毎晩、11時くらいまで勉強して、その後、お風呂に入って寝る用意をして、この映画を観ながら眠っていました。
サム・ロックウェルさんの演技は素晴らしいですし。
何より、そのとき、ガーティが欲しかったんです。

世界のどこかで、未来のロボットが当たる抽選会で当選したら、ガーティをくださいと頼みたくなるほど、ガーティが欲しかったんです。
絶望的な時に、絶望的な映画を観ながら、毎日眠っていました。
ガーティはずっとガーティなんだけれど。実は、ガーティならではのやさしさがあるんです。
だから、ガーティが欲しいなぁーって思いながら、眠っていたのかもしれません。
だって、ガーティはどこまでも優しいからです。
日本の産業界が月の開発に乗り出す未来が訪れても、ブラック企業の概念がずっとある日本なので、きっとこんなことになるのかもしれない。韓国の企業になっているけれど。韓国の企業風土もつらいのかなぁーって思いながら、眠りについていました。
私は毎晩、ラストシーンを観ないで眠りにつくようにしていました。
たまに眠れなくって、ラストシーンをみて悲しい思いになる時もありました。
ガーティの後ろに、”kick me.”って書いたのも、サムさんなんですが。なんだか、悲しいんです。
映画自体はとっても練られた作品になっています。
同じ人にはなり得ないという普遍的なテーマになっています。実は奥深くって繊細な映画になっています。
サム・ロックウェルさんは、本当に有能な俳優さんなんだなぁーと、この映画を観ると、そう思います。
では、3本目です。
『2001年 宇宙の旅』を別にすると、私が最も好きなSF作品になります。
いま、気がついたんですが。”Ashes to Ashes”って、デヴィッド・ボウイさんの曲にありますよね。監督はダニー・ボイル監督です。予算がないなかでも、このクオリティです。
必要になると、結構、俳優さんを追い詰めることもあるボイル監督なので、撮影時点では本当にミシェル・ヨーさんの機嫌がかなり悪いんです。
太陽が終焉を迎えているんです。そこで、地球からはニューヨークのマンハッタン島ぐらいの大量の核を搭載したイカロス2号が太陽に向かっているわけです。終焉を迎える太陽に核を投下しても、終焉を迎える太陽を賦活させることは、実際は不可能かもしれません。ただし、地球の自然科学の総力が判断をしているわけなんです。

本来は、帰還の工程まで綿密に練られているのですが。通信が途絶えたままのイカロス1号に出会ってしまうんですね。
なぜ、イカロス1号は消息をたったのか。
そこから、悲劇がはじまるんです。
私は数年間、マーク・ストロングさんに全く気づけなかったんですよ。数年前にやっと気づきました。正直、驚きました。
実は、この作品でのヴェネディクト・ウォンさんの活躍は、後の『オデッセイ』、英語のタイトルはMARTIANです、つまり「火星人」ですが、あの映画でのウォンさんに引用されている訳なんです。
どっちの映画でも計算で悩む役どころなんです。実は、『月に囚われた男』でもちらっと出演なさっています。
SF作品ってお互いに引用が多いんですよ。
生活しながら、イカロス2号は太陽に向かうんです。当番制で食事をクルーが作りますし。そのための菜園もあり、精神衛生をたもつための個々のクルーのための映像もありますし、体感できるようになっています。

私たちは太陽という存在がないと基本的に生きていけません。
そして、イカロスの中には太陽を体感できるスペースがあるんです。おそらく、地球がクルーを送り出すときに、死を刷り込むために設けたスペースとも考えられますし、精神科医(日本のレベルではなく、NHSを念頭に置かれているんだと思います)の精神の安定を保つためなのかもしれません。
太陽の表面温度はおよそ6,000℃と云われています。地球に住む私たちの生命を支えてくれる太陽ですが、同時に死も与えることになります。
地球は太陽がないと瀕死の状況におかれます。
イカロスというのはギリシャ神話にちなみます。迷宮に家族で閉じ込められてしまうんですが。父親が創り出した翼で空高くまで飛ぶのです。所説ありますが、海に沈んだり、或いは、太陽に近づきすぎて、羽と蜜蝋で出来た翼が溶けて、墜落死するという悲劇の主人公です。
英語では”fly too close to the sun”というイディオムになっていて、慣用語法的な意味では「過度に野心的である、過度に貪欲である」という意味で使われます。

また、Henry Alexander Murrayというアメリカの精神医学者が、Icarus complexという概念を創り出そうと試みたこともあったようです。限界を超えた過度な欲動を持ったがゆえに、反動を生むという状況だそうです。ここでいう反動は社会学のバックラッシュにあたるそうです。この精神医療のアイディアは20世紀のイタリヤの精神医学者が、創出(恐らくそうです)したサイコシンセシスというマイナーな精神医学に起因します。日本ではメジャーなアイディアではないです。いろんなレベルで自分で自分をきちんと統御しましょうというアイディアになります。イタリヤ人と日本人を比較すると、日本人の方が自制心については高いと思うので、日本の土壌にはあいません。また、サイコシンセシス自体は20世紀のアイディアなので、飛躍がありすぎる精神医学の志向をもっています。汎用性には乏しいと思います。
そこまでの含意はないと思いますが、いないはずのクルーは、反動の塊といえます。
イカロス2号のクルーたちもとても人間的です。喧嘩もしますし、絶望もします。冷静であるがゆえに残酷でもあります。地球から遠く離れた閉鎖空間で自分を見失いつつも、ミッションのために最終的にそれぞれ頑張るんです。
ピンパッカーはどうして、生きたのかは謎です。

イカロス1号でどのような惨劇があったのかも不透明です。
サイコシンセシスという精神医療のアイディアを出したイタリヤ人の精神分析家の Roberto Assagioliによれば「私たちは自己同一化しているすべてのものに支配される。私達は自分が脱同一化するすべてのものを支配し、コントロールすることができる」という考え方があるそうです。
人間の意識には欲求、感覚、感情、思考など直接意識上にある部分以外に、それを超えた「高次の意識の領域」があるとされているそうです。それを「超個人的な意識の領域」と呼ぶそうです。「私たちの感じる高次の直感や インスピレーションの数々ーー 芸術的、哲学的、あるいは科学的、倫理的命令及び人道的あるいは英雄的行動へと駆りたてる衝動などは、この部分から送られてくる。この領域は利他的な愛などの高次元の感情や、天賦の才、観想や啓示あるいは悦惚状態などの源泉である。」精神分析家としても普遍性に欠けるのが理解できます。
カソリックのアイディアを間違って敷衍しているような様子もあります。
ピンパッカーは太陽と自己同一化を渇望し、それに支配されている精神状態と考えると、心も体も病みつつ、太陽を「高次の直感」の源泉かなにかのように錯覚し、その支配を欲動しつつ、倒錯しています。
イカロス2号のクルーたちの冷静さがどこまで渡り合えるかというのが、この映画の肝になります。

最終的に、極限に追い詰められても自然科学と科学者が頑張るという姿が好きなんだと思います。
自然科学を模したものは滅びるというのが好きなのかもしれません。
脚本はアレックス・ガーランドさんです。『エクス・マキナ』の監督で脚本も手掛けてらっしゃいます。
よかったら、観てみてくださいね。それぞれの観かたでいいと思いますよ。Roberto Assagioliについてはオープンスペースにある論文をいくつか読みました。