二度とごめんこうむりますって経験ありますか?
ありますよ。観劇はあまりしません。習慣としての持ち合わせがないといったほうが正しいんですが。
習慣として持っていないだけあり、突発的に行動すると案外残念な状況に出くわすものなんだという事実を知ったことはあります。

随分以前ですが。NHKにまだ教養があったころ、夜中にオペラをやっていたんですね。衛星放送で。録画してよく観ていたんですが。モーツァルトの歌劇って長いものだと幕間含めて3時間ぐらいあるんですよ。
その長い歌劇を、なぜか120分にまとめていますという演劇があったんです。
120分にどうやってまとまるんだろうって思い、出かけたことがあります。
それはまとめてるって云えるんですか?という内容でした。
歌劇をなめていますか?という演出でしたよ。
フランス演劇界だからってウィーンの歌劇に適当なアレンジをすることを赦されるんだろうかと考え込むような内容でした。
まず、オケがないんです。モーツァルトの歌劇をピアノ一台に任せるという無理解さで。

舞台がはじまってから、心の中が緊張感に襲われました。
ピアノ奏者の人が途中で折れる、これでは折れてしまうという内容だったんです。
もちろん、オペラをモチーフとして省略に、省略を重ねた現代演劇なので、出来はかなり劣悪です。
オペラ歌手は旅の疲れでも溜まっていたのかもしれないんですが、お客さんに受けることだけを楽しみにしていて。また、集客された(客層がモーツァルトの歌劇と全く釣り合いません)観劇者の皆さんのマナーの悪さと、フランス独特の下品さが融合してしまったんですね(通じる人に通じればいいと思っています)。
置いていかれるのはピアノ奏者です。モーツァルトの歌劇のダイジェスト版を一本任されてしまっているんです。オペラ歌手は演奏のことなんて考えてませんし。
指揮者がいないってカオスなんだという初めての経験でした。最後にしたいと思いますが。
時間が経るにしたがって、ピアノ奏者の集中力が持たなくなるんです。モーツァルトの歌劇をピアノ一台に変奏するという不可解なことを試みているので、演奏のレベルが下がると、すぐに舞台そのものが不協和音の巣窟になるんです。そのことにオペラ歌手たちは気づかないんです。

悲劇の目撃者でしかなかったです。猥雑な演出に下卑た観劇者たちは湧きだち、ピアノ演奏者の心は折れていくんです。
あ、音が飛んでる、あ、外れてる。音楽を支えるピアノが壊れていく。
観客のひとりなのでどうしようもありません。
現代風なアレンジを施したつもりでも、モーツァルトの強度に耐えれない構造なので、しわ寄せはモーツァルトに関心のある一部の客層と、ピアノ奏者になります。
舞台終わりの挨拶で拍手に包まれながら、ピアノ奏者はふらふらになっていました。
これを芸術だとみなして、日本に招聘を決断した人たちの顔が見てみたいと思ったくらいです。
あの経験だけはもう嫌ですね。
演劇と交響楽なら間違いなく、交響楽を選びます。ですが、質の悪いものは選びません。ダメなものはダメです。質の悪い物なんて全く受け付けませんっ。