初日の出、実は全く気にしていません。(再掲)

近代日本の制度設計をやってのけたのは、明治政府になります。明治政府がグレゴリオ暦を採用するまでは、日本は和暦というアジア地域の太陽太陰暦を採用していました。

日本って、細かい制度設計の上になりたっている歴史は古くからあるのですが、時折、政治的な判断によって、古いものをどんどんと刷新していくのです。

そんなことを言い出したら神聖ローマ帝国なんてどうなるの?という話題になるので、古今東西、歴史の変遷のなかで仕組みというものの枠組みは変わるんだという判断でいいと思います。

なので、個人的には初日の出とかどうでもいいと思って寝てしまいます。

近代日本の礎の殆どを担ったのは明治政府になるのです。

それまで、日本で苗字という概念は地域によっても違ったりしたんですよ。

ただ、県という制度を導入し、税制も全面的に改正されるので、明治政府は当時の日本人にみんな苗字を持つようにしてくださいねという法令を出したのです。

ここで実はユニークな現象が起こるのです。

明治政府は近代日本の礎を築きましたが、徳川政権はそこまで徹底的に中央集権制度を敷いていたわけではなく、地方には表立った中央集権はあるのですが、実はかなり古い歴史がそのまま取り残されているという状況が日本各地にあったのです。

苗字を持つ人で古い職業名を、その職業を生業としていたので、苗字として戸籍に届けるひとがでたり、古代から続く地名を苗字に持つ人が出て来たりしたのです。

明治政府は近代国家なのに、古代がすっと立ち現れてくる場所を知らないうちにもうけてしまったのです。

日本自体の歴史は古いです。随分以前に義務教育は終えているのですが、終わった後に、縄文時代が信じられない時代の長さで遡っていったのです。驚いたことがあります。

現代に続く朝廷が国として整備をした時も、いまの日本全体を網羅出来ていたわけではないんですよ。関東以北は未整備ですし、えみし(充てられる漢字は複数あります)という外国のような土地だったんです。中国、四国、九州地方も未整備だった可能性はあります。律令制のなかで中国という地域名は、朝廷がある関西地域から距離が近い地域(近国)と、遠い地域(遠国)の中間地域に名付けられたのです。地域によっては当時の歴史書に暮らしていた人々の名前がかなり表立って出てくるので、現実はむつかしかったのかもしれません。当時の歴史書に表立って出てくるということは、朝敵として認識されていたという可能性も示すのです。歴史書ってただの事実の記述ではない場合がありますし。事実でないことを事実として認識させることによって生ずることを織り込んでいる場合があるのは事実です。当時の朝廷と歴史を画す古い歴史背景をもつ人たちがさまざまな地域に暮らしていたのは確かなのです。時折、朝廷が治安維持のために移住政策を取ったりするくらいなので、おそらく外国のような土地だった可能性もあります(地域によってはですけれど)。8世紀の日本の世界観ってもっとちいさかったはずなのです。当時の都があった関西の常識が通じる範囲って案外そこまで広くないのです。交通網は頑張っているんですけれどね。話す言葉は通じなかった可能性も高いです。後に方言として残されるのですが。明治政府以降ほど、標準語化は進んでいないはずですから。

当時、倭国または和国(当時の日本です)が、東アジアで国家なんですよっとアピールするのに必要だったのは、律令制度と歴史書です。律令制も古いものがあるんですよ。歴史書として古事記は成立するのかは専門ではないのでまったくわかりません。古事記って実は写本しか残っていませんし。

そんなことをつらつら考え出すと、初日の出に対しての思い入れなんて、非合理だと思ってしまうのです。

そして、8世紀に関西地域でなんとか国の歴史が整備されるときに、必要だったのは、仏教なんです。当時の日本にあった英語で言うと”animism”と呼ばれる古代から続く自然信仰は、仏教の中に取り込まれ、また、”animism” の中に仏教の要素が取り込まれるという不思議な現象が起こるのです。

明治以降に、神と仏教を分けなさいという思想が表立って出てくるんですが、10世紀以上にわたって混交の歴史があるものに対して、分けなさいという発想自体が東京だなぁーっという気がします。東京は、東の京都ですからね。

神木という “aminism” が日本には古代からあります。神社にも神木があれば、お寺にも神木は存在します。

近代国家のなかで、政治的配慮によって、仏教と “aminism” を分けなさいという発想が貧困なんです。国の制度設計のために、古くからあるものを強制的に底本化するという行為は様々な形であったんじゃないんだろうかと、個人的にはそう思っています。

仏教は、最澄と空海をそのまま延長線上に残した国分寺を残せなかったのです。室町時代にほぼなくなるのです。仮に古い形のまま残せていたら、学問としての仏教の深みって日本で残存できたはずなんですが。東アジアの仏教の勉強の場所だったはずの隣国である中国には系統だった当時の仏教はもう残っていないのです。日本でも適当に新興の仏教が後に起こってくるのです。仏教について、朝廷に整備できる力があればと思うんですが。むつかしいのです。また、京都だから朝廷が生き延びることができたのです。一時期、本格的に廃れたこともあるんですよ。日本の朝廷って。形骸化して、悲惨だったことはあるんです。京都なので、そこは保全をしていたのです。

宗教というものに対しても、”aminism” に対しても基本的には知的好奇心しかもっていません。私の先祖は日本でもかなり歴史の古い神社に務めていたんです。勤務先が神社だったそうです。神社の責任者ではありません。いわゆる、奥の院に務めていたそうなので、神職として専門的な教育を受けていたそうです。祀っている神様が古すぎて、古事記にはエピソード的にしか導入できなかったようです。東大寺であの大きな大仏が出来るときに、そこの神様必要だから、奈良までもってきてもらえへん?と頼まれて、神様の引っ越しをしたそうです。東大寺のあの大きな大仏は古代日本の国家プロジェクトだったので、当時整備に関わった学者のみなさんは大変だったのかもしれません。先祖が務めていた神社は日本で初めてお寺を名乗ったこともあるんです。新興宗教の日本会議の話が出た時も、ああ、そうですかぁーと冷たい視線しか送れませんでした。

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