ありえないんですよ。私の場合は。
そんなときもありましたよ。実際に。
泣きたいときには泣いてもいいんじゃないのかなって思う派です。
本当にこのまま延々に泣き続けるんだろうか?と自分に戸惑いながら、ウェス・アンダーソン監督の『ファンタスティック.Mr.Fox』を観ていたこともあります。そして、映画を観終わるたびに気持ちが落ち着いたんです。
その節はお世話になりました。アンダーソン監督。

本当に、人生であんなに泣いたことがあっただろうかといまでも驚きながら、思い返すことがあります。
私には、国連が定める基本的人権の尊重すら与えらえていないんだっという状況だったんです。
医療はやりたい放題、誤診の治験の患者に暴力ふるいたい放題でしたし。
研究分野がまるまる一つのジャンル、先進国で日本だけ、レベルが壮絶に劣悪なんだなんて当時は知りませんでしたし。
医療への信頼は当時はありましたから。日本の精神医療についてです。現在はないですよ。
あの時は、流石に私の知性だけではどうにもならなかったです。

ありとあらゆるレイヤーで暴力を受けるという。
ちょっとしたことがあって、地元に戻るでしょ?
私は文脈というのは正確に読みこなすように、その強度の教育を受けているので、文脈をある程度、いくつかのレイヤーで読みながら、不必要な文脈をはずしながら、その頃は過ごしていました。
当時は、地元の常識としても、病んでいるという状況だったと思います。
今はさすがに持ち直していると思いますよ。

Social Mediaで手に入る情報の何分の一が正しい情報なのかなんて、精査できないような状況でしたからね。当時は。
地元があそこまで闇に包まれた状況というのは、信じられませんでしたし。
無意識が半分以上、身体の外に出て言語化されているような状況で。
正直、信じられませんでしたけど。当時の10代は過酷なんだろうなって思ってしまう状況にも偶然出くわしましたし。
いまの20代のひとが、沢山の文脈を不必要に読みこなそうとして、読みこなせずに、泣いてしまうのはしょうがないような気もします。
現実って、そこまで複雑な文脈で構成されてはいないので、気を遣いすぎてしまうんだろうなって思いますし。

日本の人文知の教育の劣化って、実はかなり深刻なんですよ。
本当に。
任意の先生は、私の先生が読みこなせていた文献を、果たして正確に読めるのだろうか?というレベルの劣化がありとあらゆる人文知で起こっていますし。
東大でも京大でも同じです。同じ事象が起こっていて、教育する側に勉強の脚力がないんです。
羞恥心がないんですよ。
勉強をコツコツとするのは、実は教育者の側なんです。私の先生方の勉強量ってすさまじいですから。
世代がひとつ変わると風景がガラッと変わってしまい。
教育者の側が、教わる学生さんと同じレベルで、世間の文脈のなかに巻き込まれていく自身の知性の劣化を正視できなくなっています。

教育者自体が勉強不足なので、教える内容が薄っぺらくなっていて、同時に学生側にすり寄るので余計に内容がなくなるんです。
ただ、同時にきちんとした先生は、存在しますから。
表立ってしゃしゃりでてこないだけなんですよ。本当に。
そこまで現実は複雑じゃないから、文脈を不必要に読み込む必要性はないけれど、倫理的にどうなのだろうかという判断力は必要と考える姿勢の先生がいるでしょ?
きちんといらっしゃると思います。Social Mediaになんてかまけてらっしゃらないでしょうし。
勉強を頑張る皆さんは、間違った先生は選ばないようにしましょう。
教育を行う立場の先生方のほうが、モラルが低いというケースがあるんですよ。そこはデジタルネイティヴの視座の方が正しいはずです。巻き込まれないように頑張ってくださいね。現実ってそこまで複層的にはなれません。一人の人間が物理的に存在できるのは、一つの場所だけですから。おそらく、これからは大人が自分にことよせようとする文脈を作り出す狡猾さのレベルの低さのほうが問題になるのかもしれませんね。関わらないようにしましょう。日本の精神医療がきちんと欧州並みに構成できていないので、こころの問題としての公衆衛生は、酷い状況になっているでしょ?ここまで文脈が複雑化すると、心が病みがちになるからって規制に入るはずなんです。欧州ではMicosoft社も怒られている最中なんですよ。デバイスを繋げると便利になる反面、デバイスに残った情報でA.Iなんかが誤作動を起こすので。誤作動が起因のどうでもいい文脈に自ら病んでいくなんてナンセンスでしょ?欧州委員会はそこの規制を頑張るんだと思います。日本の精神医療なんて、自らをSocial Mediaに供物のように捧げだして病んでる最中ですよ。無価値だと思っています。医療としては、死に体ですよ。