テレビを観る習慣が元々ないので、アプリさえ開かないんですね。オリンピックがないと。
たまに映画を観たりするくらいで。
ぼんやりとした夜の時間を何に使うかというと、基本的には読書か音楽です。
昔から変わらないのでしょうがないんですよ。
再読に耐えない本は持っていませんし。内容がない本は読まないという。
ただ、たまになんでこんな本を購入したんだろうという本も持っています。
再読しながら、どうして買ったんだろうって悩むんですよ。

ただ、再読して気づくこともあります。
だから、アントナン・アルトーに対する私の評価は低いのかとかです。
本を残しておくって大事だなと思います。文庫本ですけどね。
『ヴァン・ゴッホ』と表題のある本があります。残念ながらちくま学芸文庫では絶版になっていますが。
アントナン・アルトー自身、精神を病んでいるので、論の構成が成立しそうでしていないんですね。
アルトー自身は、元々舞台俳優で演劇論も書き、シュールレアリスム運動にも一部参加をしたのだそうです。精神を病んでからは、病院をたらいまわしにされたり大変な目にもあったそうです。
ゴッホ論なんですが、アルトーの投影が幅を利かせるという不思議な論考になっています。
直感的に、気が合いそうにないと思い、アルトーの論考はほぼ読んでいません。アルトーが与えたさまざまな影響はあるんですが。気が合いそうにないんですよ。

では、この文庫で訳されている全てのものがダメかというとそうでもなく。
『力の鉄床』という掌編はとてもいいです。
この作品があるから、大事にしてあるんだと再認識をしているくらいです。
絶版になる本ばかり、なぜ購入しているんだろうとも思うんですが。思わず購入しようという私の選択肢の幅と、世間がこれは残しておこうという本の幅が全くかみ合わないからだと思います。
しょうがありません。

音楽だと、ちゃんと残るのになーって、違いは何なのだろうと悩んだりもしますが。
なんででしょうね。
私が好んで選んだ音楽は、ちゃんと残るのに、なぜ本は残らないのだろうと、むつかしいなって思うこともあります。
これはと思うと、私はCDをきちんと購入します。たまに断捨離もやりましたが、結構、断捨離についてはやり尽くした感があるんですよ。だから、新しいCDを買う時には結構な慎重さです。LPの良さなんて知ってますけどね。場所がないので圧縮した音を、更にウォークマンに入れて聞いています。定期的に入れ替えをしたりもします。ええ、めんどくさい音楽の聴き方をしていますよ。