ありますか?私は、実はあります。
勉強していた時には、英文学だけ読んでいればいいという呑気さがゼロだったんですよ。
当時は『文学批評』が、しかも、かなり中身の濃いものが成立していたのです。私の先生方は基本的にそれらに関しては、放任主義で、尚且つ、各自で勉強はしておきなさいという姿勢でした。
指導してしまうと、文学を安易に扱う可能性があり、精読を怠るのでダメで。
その代わり、無知でもダメなので、各自で勉強でした。
博覧強記の先生にも恵まれたので、地道に勉強していましたが。いわゆる思想を扱う本で落胆したこともあります。
先生にはいちいち伝えていませんが。
この本は一体?となって落胆したことがあります。

〈帝国〉/ネグリ&ハート【重版出来】 – 以文社 (ibunsha.co.jp)
もちろん、きちんと読んで思ったんですが。裏テーマみたいなものを想定すると、マルクスなんですね。私のなかでマルクスって評価がかなり低いんですよ。
学問のための学問については、応用しやすいのかもしれないと思うんですが、マルクスは。
マルクス自身が、当時のイングランドの歴史をきちんとひも解いて調べるという至極真っ当な手続きを放棄している部分は否めませんし。せめて、2世紀分くらいは、ひも解いて、真っ当に調べるべきだったと思います。
学問のための存在としてのマルクスだと、意味がないんですね。
ロシアにはレーニンがいますし(レーニンはマルクスを翻訳はしているんですが、マルクス=レーニン主義なんて、どんな修正主義なんだと懐疑的な視点を忘れたためしはありません)、中国には毛沢東がいるでしょ?
共産主義を実践した、土台を作った人に対しては具体的な言及はなく、夢を語るマルクスには言及できるというのは、構造的な欠陥しか見いだせなかったので。引用はあるんですが、思想を構築する土台にはしていません。
ヨーロッパにはヨーロッパの普遍主義というのは存在はしますが、EUやそれを取り巻く経済圏が複数あり、そこへの言及も雑で、それで「国民国家」って云われてもなーですし。
イングランドには当てはまらないですし。

イタリヤなんて地政学的な格差を国の中に内包して長いので、読んだ後に足元がないじゃないかって、うんざりしたんですよ。
欧州の思想の本というのは、頑張って読みましたが。好きな哲学者もいるくらいですが、読んだ途端にうんざりしたのは、この本がはじめてでした。
格好つけて終わりやんかっていう、わかりやすさを求めて失敗している本です。
「帝国」が何なのかについては、ふんわりとしか言及できていないんですよ。ネグリが生まれた国の歴史は古代ローマ帝国になるはずなんですが。精査できる土台が足元にあるのに。古代ローマ帝国と当時のアメリカでは、歴史的な視点としても、国づくりとしての構築のなされ方を着眼点に据えたとしても、別次元ですが。そこをなぜ精査しないという。
欧州の思想の現在地の劣化を体感した本でもあります。
小難しそうだから持ち上げとけという姿勢がいかに愚かかという指標になる本でもあります。
で?、それで?それで?で最後まで行って終わるという。

読書量ってあるに越したことはないんです。ある程度、読みこなせる能力があると、内容があるのかないのかの精査が出来るようになるからです。
要するに、内容がある本をきちんと読んでおくことが大事になります。
また、無駄な本だなと思った際に、何がどのように無駄な内容だったという事がきちんと把握できるという能力も持てるのです。
新書でわいわいと騒いでいるひとが無為にみえますよ。
新書ではダメです。
新書ってあくまで、単行本サイズの内容が読みこなせないという人のための手引書みたいな役割でしかないです。
誰かに何かを常に教えてもらえないと思考すらできないというのでは、ダメだと思います。ネグリ=ハートを持ち上げる論客は一切信頼をおかないことに当時から決めてあります。ウンベルト・エーコを読んでいたほうがよほど勉強になりますよ。だって、ホームズの物語の類型を引き出して、最終的に見つかるのは、アリストテレスの失われた写本ですよ。それは、わくわくしますよ。実は、イギリスでは大学の先生が書いた失われたマルクスをめぐる、やはり、ホームズの物語の類型を引き出した推理小説があるのです。先生におもしろいよーって勧められて読みましたが、面白かったんですよ。先生はなぜピンポントで私が好きそうな小説が判るんだろうって思うんですが、先生に育成されている側面があり、尚且つ、私が単純だからでもあるわけですが。日本では絶版になっています。やってられへんわって思います。
 
																								 
																								