秋までの減薬は既に完了済みなのですが、体がなかなかついてきません。
季節変わりの時期って、こんなに疲れるものなんだって思っています。夏の疲れが出るという感じですね。
夏は、私は頑張ったんですよ。頑張ったので、たまーに読み返すと文章が変になっています。
最近、気づきました。

秋の中頃までには(今年の秋の中頃っていつなんでしょうね?)、多分、体も慣れてくると思います。
ご迷惑をおかけして、申し訳ありません。
サッカーの最終予選もはじまっていて、試合は観ているんですが、分析まで手掛けられない感じです。余裕があれば、Group AもGroup Bも簡単な分析の文章がかけるんですが。実際に、分析しながら試合を観ているので。ですが、そこまでの余力がないんですよ。
実際に分析していても、分析を書き起こす時間まで作ると、日常が廻らないという。
なので、日常を優先させています。
実際に、減薬をやってみて気づいたことですが。優先順位のつけ方がはっきりとします。
とりあえず、関心はあるけど、いまではないなという判断です。

全部を頑張れない状態になるので、全部を頑張ることを避けるようになります。うつ病の時には、そんな判断は出来なかったので、回復するというのは、いいことなんだと思っています。
地味に手一杯になっているので、他人の感情に振り回されること自体(元々、あまり振り回されませんが)、本当にないですね。
地道に、毎日をこなしています。
自分のために、最終予選を観て、必要な分析をして、後は楽しむという、感じです。それでも結構マメに分析はしてますが。気持ちを振り切れる趣味があってよかったなって思います。

分析するには、それなりの集中力も必要になりますし、新しい情報を頭に詰め込むことにもなります。離脱症候群もありますが、何かに気持ちを振り切って、全力になるということも、回復の一助になるのかもしれませんし。
いままでの毎日ならば、やり切れたことが、出来ない現実はありますが。
出来ないことがマイナスにはなっていません。
自分の状態を計るのに、何が出来て、何ができないかという目安は重要になります。
そこで、ちゃんと日常を優先させるための判断を頑張るんですよ。
しんどいのは、しんどいんですが。メリハリはあるのかもしれないと思っています。
また、来年の春に文章を直す時期を設けるつもりなので、その時に一挙にやります。私は、A.I.とかは使わないんですよ。自然言語の存在に関しては、普通に疑問視していますから。世界には信じられない数の言語があって、言語の歴史もあるんですよ。その上で、「自然言語」という概念が存立できるかというと、そもそも無理だろうって思っています。A.I.って思考できない構造物ですから。ヒトが道具として使う使役の作用がないと何の役にも立たないんですよ。学術分野自体は存立不可だと思っています。