観たんですよ。

久しぶりに。『ざくろの色』です。

新鮮でしたよ。

第1章から第8章まで、チャプターで分けて、詩人の生涯を追うという映画なんですが。Sayat-Novaは18世紀の詩人です。カルトリ王国ティフリスに生まれ、カルトリ・カヘティ王国で亡くなっています。現在のアルメニアになります。

ここからは、本当に、ロシア語も介さない門外漢もいいところの私の個人的な感想になります。

ロシア文学のみなさん、すみません。反省しています。

検閲にはあってるんですよ。この映画は。

当時のソ連邦で、宗教弾圧があったかというと、調べるとあったそうなんですが。どうも、徹底した弾圧というところまでいかなかったようです。じゃないと、この作品自体成立しないですからね。

モチーフになっているのは、タペストリーだと思います。

アルメニアってキリスト教が国教になった最古の国と云われます。イエスの単性説をとるので、異端視されるんです。また、アラブ圏からの侵攻を7世紀から受け始めるので、文化としては混ざっている部分もあるのかもしれません。単一言語の国です。

つまり、ソ連邦と共存を強かにしていたロシア正教会とも東方正教会とも、おそらく異なる独自性をもっているのではないだろうかとも思います。

Wikipediaを読んでいたら、映画化をパラジャーノフ監督に勧めたのは、シクロフスキーという記載があって驚きましたけど。ロシアの言語学者です。

細かな経緯というのがまったくわからないのですが。

イングランドやスコットランドもそうなんですが、タペストリーが残っています。歴史的な文脈をタペストリーに織り込むんですよ。

正直、東西問わず、タペストリってあります。様々な宗教でタペストリーが織られます。

古代エジプトでも王墓からタペストリーが出てくるくらいですから、本当に歴史が古いんですよ。仏教圏でもタペストリーはあるので、国の東西を問わないんです。

パラジャーノフ監督ご自身が、アルメニアについてどこまで調べてらっしゃったのかもよくわかりません。

私自身がアルメニアについての知識が皆無だからです。

宗教的な含意としては、かなりラディカルな描写もあるんですが、旧ソ連邦で、宗教観に関してどこまで道徳的な規制が敷かれていたかというのは、私の理解の範囲の外なので、正直判らないんです。

第4章の「修道院」では、性の抑圧というのが様々な形で描かれているので。例を挙げると、修道院にこれから入るという男性の一群が、画面の左側で一斉にリンゴを齧りだしたりしますよね。比喩表現では、それを凌駕するものも普通に映像化されています。もしかすると、アルメニアにある伝承か何かの挿話があるのかもしれませんが。

全編でどれくらいの映画だったんだろうなとは思います。

幕間劇があるんですね。劇中劇みたいなものなんですが。章の終わりに挟まれたりするんです。色調が転調して、幕間劇らしい転調を伴った映像になっています。

これがあるということは、実は、もう少し映画自体、長いはずなんですね。

ロシア版を普通に観てしまうと、映画としてテンポが噛み合わないので。幕間劇の転調を含めるとアンバランスになります。

最初に挙げた部分が、実はロシア版でカットされているんですが。女性の修道院で鐘が鳴る場面で、修道女(?)が比喩になっている部分です。ですが、鐘がなるという比喩表現は、全編通してあるので、ここだけカットというのも、筋が通っていないような気もします。

女性の修道院には鳴らす鐘がなかったのでしょうか?それとも、あまりに残虐的な描写とも受け取れるので、カットされたんでしょうか?だったら、動物と婚姻しているモチーフはなぜモチーフとしてロシア版に残っているんだろう?とか。

正直、理解するのは簡単ではありません。

アルメニアの歴史をそのまま映しているのかどうかは不明瞭であるにしろ、資料的価値はありそうですよ。希少な映像として。

映画としては、もちろん素晴らしいのですが。

アルメニアの宗教と歴史に詳しかったら、もっといろんな比喩を読み込めそうですよね。

いつか、なにか本でも探そうかなって思います。

みつかるといいんですけれど。その前にどんな本を探そうか、ですよ。

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