読みたい本は。

ないことはないんですよ。ありますよ、沢山。新刊に興味がないだけなんです。

新しい文学にも興味を持たなければと、努力したこともあるんですが。日本の文学に関しても、欧米の文学に関しても、だんだんとどうしてこんなくだらない小説頑張って読まないといけないんだろうっという気持ちになってしまい、勝手になってしまい、どうしようもない気持ちは、しょうがないので、そのまま読まなくなったんです。

ぱったりと。

たった一冊の本でではなくて、いろんな国の複数の文学を読んで、日本の文学も読んで、なんだかお手上げってなったんですよ。

本当に、両手が上がって、お手上げな感じになりました。

新しい作家群って群れごと文体の工夫ができなくなっていたらどうしよう。もう無理って。

当時、学生だったので運よく(?)、古い文献を読まなくてはいけなかったのです。もういいや、古い文献を読もうってなり。文献に埋もれる日々に邁進することになったんですよ。

文体に埋もれる日々だったんです。

ちなみに、この文章にも文体があります。わたしは故意にこの文体で書いてますから。例えば、機械学習がわたしの文体を模してもエラーがでます。極めて、平易に書こうと務めていますが、文体は構築しています。だから、書き損じが出るんですよ。

永遠に来ない未来に、AIによる文体模写があります。文体模写って自律性がないと出来ないんです。AIは自存できないので、文体模写のように一見すると見えるけれど、何か変だという文章しか作れません。

文体におぼれる日々があって気づいたんですが。文体の無いものが不得意なんですよ、実をいうと。

例えば、夏目漱石は英語が出来なくって渡航中、こんなことがあったというまことしやかなエピソードはたくさんあるんですが。普通に、夏目漱石がイングランドに留学していた時を後に記した随筆とか読んでいると、英語が話せるじゃないかってわかりますし。随筆を読んでいると、病の床に伏しているのに、ヘンリー・ジェイムズの実兄のウィリアム・ジェイムズの本を読んでいて、ベルグソンも読んでいて。お弟子さんにいいよーって勧めたりするんです。

 今でも覚えている。一間置いて隣にいる東君をわざわざ枕元に読んで、ジェームズは実に能文家だと教える様に云って聞かした。その時東君は別にこれという明瞭な答えをしなかったので、余は、君、西洋人の書物を読んで、この人のは流暢だとか、あの人のは細緻だとか、凡て特色のある所がその書き振りで、読みながら解るかいと失敬な事を問いただした。

 教授の兄弟にあたるヘンリーは、有名な小説家で、非常に難渋な文章を書く男である。ヘンリーは哲学の様な小説を書き、ウィリアムは小説の様な哲学を書く、と世間で云われている位ヘンリーは読みづらく、又その位教授は読み易くて明快なのである。

文鳥・夢十夜

夏目先生は、入院中なのに洋書を読んでいて、アメリカのプラグマティズムを地で行くウィリアム・ジェイムズの書きぶりは実に読み易く、これは極めて明快な文体だと、お弟子さんに、夏目先生ならではの講義があったようです。お弟子さんには、ウィリアム・ジェイムズの精読がむつかしかったようで、答えに窮したようです。夏目先生を前にして。病院だろうが夏目先生のお宅だろうが、夏目先生の姿勢が変わることはないみたいなんです。

お弟子さんの語学力も気にかけながら、こんなことを訊いては気の毒なんだろうけれど、君は、原文を読んで文体の特徴を掴むことができるのかい?あれは流れるようによどみない文体だとか、精密画のように肌理の細かい文体だとか、わかるかね?と思わず、尋ねてしまって、お弟子さんの心持ちを行き場のないようにまで問い詰めることになったそうです。

そして、読者に無論、弟のヘンリー・ジェイムズの文体は読んでいますよ。世間で云われる通り、兄のウィリアムは明快で、弟のヘンリーの文体は難渋なのは知っていますよって言及をして、小説を書くぐらいだったら兄のジェームズの文体でいいと思うんですけどねって太鼓判を押したりなさるんです。

あーあ、漱石先生は、ですよ。

こんな状況を機械学習が読み解ける余地はゼロ以下なんです。

そして、漱石先生の体調がどんな具合だったかというと。

 今から顧みると当時の余は恐ろしく衰弱していた。仰向に寐て、両方の肘を蒲団で支えて、あの位の本を持ち応えるのに随分と骨が折れた。五分と経たないうちに、貧血の結果手が麻痺れるので、持ち直して観たり、甲を撫でてみたりした。けれども頭は比較的疲れていなかったと見えて、書いてある事は苦もなく会得が出来た。頭だけはもう使えるなという自信の出たのは大吐血以後この時が始めてであった。嬉しいので、妻を呼んで、体は丈夫なものだねと云って訳を話すと、妻が一体貴方の頭は丈夫素ぎます。あの危篤かった二三日の間などは取り扱い悪くて大変弱らせられましたと答えた。

文鳥・夢十夜

漱石先生は病床で体調がすぐれない日々があり、それでも体が衰弱するだけで、頭脳は極めて冷静なので、ジェームズの原書を床に伏しながらも工夫して持ち、工夫して持ちながら読んでいると大変に理解が立つので、ご自分の自信にもつながり、こんなに自分に自信が持てたのは手酷い喀血をして以来だと、わざわざ奥様を病床に呼んで、喜んで報告をすると、奥様があなたはいつでも頭脳は冷静なので、危篤のときのお世話が大変でしたと伝えられたそうです。

暇だからってそういうことを続けていると案外主治医の先生に叱られたりするんですよ、漱石先生は、という感じですよね。漱石先生が元気を取り戻す契機になったジェームズは先日亡くなっていて、漱石先生の治療にあたっていた病院の医院長も亡くなったそうで。自分一人が生き残ってしまったという感情になられたそうです。

機械学習に読解能力はゼロです。

読解力もなければ、文体模写もできないAIに居場所はないんです。AIを使って何かを文章を作って、へんな箇所だけ直したとしても、それはAIの文体ではないので。読む人が読んだら一発でバレてしまうんですよ。

判りやすくいうと、という機械学習ソフトと同じ特徴をもった、別の働きをするという機械学習のソフトをぶつけると判りやすいんです。という機械学習の反証可能性を探るために同様の特徴をもったという機械学習のソフトで反証可能性を探るんです。

ソフトなので可能ですよ。機械学習の段階でしかなく、今世紀が終わろうとも機械学習の段階を抜け出せないはずですからね。

冷静さを取り戻すと、機械学習に意味がないことが理解できるんですよ。

仕組みを考えると途轍もなくつまらないんです。面白くもへったくれもないですよ。

文体を読み解く人間が読めば、あかんなってなりますし。研究論文を書くのに機械学習に押し付けたものが業績にならない分野は結構ありますしね。

人文科学だと撤回になります。

日本語のレベルは下がっているのかもしれませんが。読み手は騙されませんよ。無理です。

本当にくだらないなって思いますよ。機械学習なんて。あんなものに研究費かけたって何のアウトプットにもなりませんよ。文体を読み切るという脚力の弱さがそうさせるのかもしれませんが。どんな分野にしろ文体というものはつきものなんです。文体に誤魔化しは通用しませんよ。だから、東京大学はろくでもないんです。東君と呼ばれるお弟子さんは東大出ているのかもしれませんよね。当時から残念な大学なのかもしれません。わたしは関西人なので。そんな権威主義には騙されませんよ。

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