世にも不思議な。

学生のとき、わたしが経験した不可思議な講義のありかたというのは、いまの大学生や進学した皆さんの身にも降りかかる出来事なのかもしれませんが。

あの講義はちょっとどうなんだろうという講義の参加の経験はあります。

わたしのときにはこんなことがありました。

ルイス・キャロルの作品があるでしょ?『不思議の国のアリス』とか『鏡の国のアリス』とか。

教科書になったんですね。翻訳にも目を通して。むつかしそうなテクストやんなーと講義に出るんですよ。

そして、その読解のむつかしそうな箇所が、読解がむつかしいからという理由で飛ばされていくんですね。講義で。

悩んだんですよ。実際にむつかしそうやけど。講義に参加している学生一同には、読解の実力が皆無なはずだという理由付けがなされているんだろうか?馬鹿にされてるってことなんかな?とか。

お前らに教えたところで読解出来へんから飛ばしたるわってことなんかな?って。

講義を行っている先生は、そんなことは微塵も匂わせない善良そうな先生なんですが。

学外の先生なので、よくわからないという。

楽やんかという発想のひとも勿論いるんですが、その一方で、ここまで徹底的にむつかしい読解の部分を省略されるってどういうことなんやろうという発想のひともいて。

揉めたりはしないんですけどね。

散々、辛い講義を受けてきているので。それぞれで。

学校の質としては、発想力というのを割と問う気質があるんです。つまりは、読解力です。

この先生は、どうやらコンラッドの専門の先生らしいという先生の講義を受けることになったんです。ジョセフ・コンラッドです。講義を受ける複数の学生は、もれなくうちの学校の先生に躾けられているので、なにか独自の発想をしなければという姿勢で講義に臨むんですよ。

すると、その学外のコンラッドの研究家の先生は、その狭められた振り幅で読解を行いなさいという極めて狭い隘路でしか読解を赦さないという先生で、つまらないんです。講義自体が。

正しい読みはこの振り幅だけで、他の着想はナンセンスという先生で。

目をつけられるとネチネチとしつこい先生でもあり。

受講する学生が、参加する学生が(といっても数名なんですが)、全体的にうんざりしはじめるんですね。学生は学外で育っていないからです。

一年もの間、その偏狭的なコンラッド研究の先生の講義を受講したんですが。

本当につまらないという感情を、参加者全員が共通して持っていました。

それから、進学をして先生が(私の先生は複数形ですが)コンラッドのテクストで講義をなさっていて。

コンラッド研究者よりも、普通に深みのある読みで。あの学外の先生の偏狭さはなんやったんやってなりました。

先生はコンラッドの専門家ではないんですが。極めて正確に、極めて深く読み解いていくんですよ。

わたしの先生が正しくなくって、誰が正しいねんてという判断は、まさに正しいことなので。

あの無駄な一年間はなんやったんやろって思いました。

別に、自分の先生に、コンラッドでしょうもない講義を一年間も受けたんですよぉーって愚痴ってないですけどね。

愚痴ってる暇があったら予習頑張らないといけなかったので。

同じ作家のテクストでこれだけ読解の質が異なるのかって驚いたことがあります。

凄い先生が近所の大学に講義にくると分かって、別のわたしの先生に(先生は複数形なんです)、〇〇先生が講義にいらっしゃるんですが、受講しておいた方がいいんですか?って聞いて、大学を通そうとしたんですが。先生曰く、もぐっても大丈夫だよということだったので、もぐって講義を受けました。汎ヨーロッパを視座に収めて講義をなさると最初におっしゃったのに、出てくるのはイングランドと同時代かもうちょっと古いイタリヤの美学で。急に日本の江戸時代と架橋し始めたんですよ。講義で。そんな発想は、東京圏では可能であっても、関西圏では存立できないので。ええー?って心の中で驚いて。16~18世紀のイングランドとイタリヤと江戸って、どういう発想で、先生のなかで結びついたんだろう?というか、フランスとかオランダとかきれいに落とされてるけど。美学としては変な話にならないんだろうか?17世紀のオランダとかは何故結びつかないんだろう?表象的ではないと国ごと視点が落とされるって過酷すぎへん?、具象はフランス絵画にはあるんじゃないだろうか?えっ?て、大量のレジュメともに悩んだりしました。自分の先生にこんなんだったんですよ?どういうことなんでしょうね?って訊くと、いろんな話を聞かされてお茶をかなり濁されました。〇〇先生の擁護はなされておられませんでしたが。講義の筋道が辿れなかったので自分の先生方に普通に質問をしたんですが。16~18世紀のイングランドとイタリヤと江戸っていう線引きについていけなかっただけなんですね。同時代の異教の土地も欧州にはあったはずなのに、具象というテーマ設定が途中で表象的に転換されていたり、むつかしかったです。通常の講義時間で、なんでレジュメが10枚以上あるのかもわからないです。素直に不満をぶちまけて愚痴ってましたね。そして、どの先生もあの先生はあの先生のよさがあるからとお茶を濁すんですよ。特に専門がある程度近い先生と仲のいい先生が、イタリヤ絵画の図象をテーマに翻訳をなさっていて、先生も一部翻訳担当があって、え??、考えすぎはもうやめようと思ったことがありました。東京圏のアイディアなんて、関西圏にはついていけない側面があります。結び付けようにも、無理や破綻があると。なんで?という学生にすくすくと育ったんですよ。偉大な先生の講義を受講したことには変わりないんですが。結局、整合性と筋道がある中身じゃないと納得しないという狭量な関西人の学生なんです。大風呂敷のなかには小さな風呂敷が何重にもわたって結ばれていて、大事なものが入ってないと嫌なんですよ。

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