そろそろ、手をつけないと。

本棚の整理です。本棚をフルに使っているんです。一段は深めで奥に一冊、手前に一冊入る本棚なんです。全部出して整理しなおすのです。

必要だったので、欽定訳の聖書も持っています。一回、真面目に読もうとしたこともあります。え?エイブラハムさんの子供の子供の子供の子供の、あーっ、もう誰か途中でわからへんくなるやんかぁー。どこのエイブラハムさんやねんってなりましたよ。

先生に愚痴ると、あ、いまね聖書をきちんと小説にしてしまった本が上下巻であるし、文学に引用されそうな有名なエピソードは全部網羅してあるから、買っておくといいよと勧められて、小説『聖書』まで持っています。今は電子書籍でも読めますよ。帯は中沢新一先生でした。帯付きで持っています。エイブラハムさんでかなり悩んでいたのに、小説になるんだぁーと思って読んでいました。

そうです。結構いろんな本を持っています。本は処分しない主義ですが。軽めのものはちょっと今回どこかに輸送しようと思っています。もらってくれる先を探そうと思っています。

って数年前も考えて、結局保存してしまったのですが。

本に囲まれながら、考えたいと思います。

単行本もあれば、文庫本もペーパーブックもあります。コツはあるんですよ。一気に片づけたいので。

本棚の近辺に休憩場所を作らない、飲み物を置かないです。

これをやってしまうと、なんでプーさんを題材にした脱構造主義の概論なんて買ったんだろう?よっぽど現実逃避したかったのだろうか?と思わず本を手に取り読んでしまうからです。

誰かに貸すわけでもないので目録は作りませんし、大体どの本をどこにしまったかぐらいは記憶しているのです。

ものすごい本の数というわけでもない、中途半端な数なので、結構疲れるんですよ。ついでに虫干しもします。

でも、たまに何を目的として購入したか忘れた本は出てきます。

そこを、さらっと流さないと、一度に終わらないんです。

雑誌は大抵『ユリイカ』と『現代思想』です(昔のものです)。本棚も拭き上げようと思っています。毎回ちゃんと分類して保存するんですが、途中であ、どの本に書いてあったっけ?と探しにいっては、保存の仕方がいささか杜撰になるので、また整理のし直しです。アメリカの古書店にはよくお世話になっていました。大学出版会の本もありますし、増刷が決まらなくて、絶対に手放さないと決めている本もあります。大学の出版の増刷決めるのかどうかって、絶対に専門の先生方に聞いて廻ってからにしたほうがいいような気もします。先達の先生が、こんな中途半端な研究姿勢なんてダメってきちんと指摘してらっしゃるのに、後でその中途半端な分野が盛り上がり、闇に葬られるというケースがあってはダメだと思いますよっ。言及先はどこだと思いますか?実は東大の出版局なんですよ。いろんな本を持っています。

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