夏の恐ろしい思い出。

内田百閒先生の随筆で「亀鳴くや」という作品があるんです。

芥川龍之介の田端のお宅に出向いた時の挿話が書かれてあるんですが。

ご存じのかたも多いと思いますが、芥川龍之介って晩年は薬物中毒なんですよ。睡眠薬を常用していたんです。百閒先生の前にして座っている芥川さんの状態が不穏なんですよ。百閒先生が何かを話しかけても、話は一応聞いているらしいのですが、返事を返そうにも芥川さんは呂律が回らない状態なんです。理由を尋ねると、昨夜薬をのみ過ぎたのだと百閒先生にお返事をなさるんです。

百閒先生は芥川さんを心配するんですが、芥川さんは芥川さんで君だってお酒を飲んで酔つ払ふだろう、とおっしゃったかと思うと、百閒先生の前で、首をだらりと垂らして眠ってしまうそうなんです。

どうしようもない百閒先生はそのまま心配しながら座ったまま待っていると、芥川さんは目をさまして、やあ失敬、失敬、つい眠つてしまつた、だつて君、そりや実に眠いだぜと云って、少し笑った様な顔になつたりしたそうです。

わたしは芥川さんの状態がわかるんですよ。

読書をしながら、夏の恐怖体験を思い出しました。百閒先生のように訪れた誰かを心配させたりはしなかったんですが。

夏休みに予定があったりするじゃないですか?

それをまるっと忘れてしまうという経験をしたんです。

覚えているんですが、当時の私は部屋で朦朧としていたんです。勉強もしないといけないのに、その夏も暑かったからかもしれないんですが。

多剤処方箋の薬物が体のなかに溜まっていく状態で、夏の勉強の疲れもあったのかもしれません。

勉強の用意をして、気が付くと夕方になっていたんです。

記憶はとぎれとぎれなんですが、あるんです。

ただただ、朦朧としていて。

芥川さんが常用していたとされるバルビタールではないのですが、それと同じくらい古いお薬を私は常用していたんですね。いまでは供給自体が停止されています。一日の最大限の処方がはじまり、その他の複数の睡眠薬も飲んでいたので。いわゆるカクテル状態です。

芥川さんのように、たぶんなっていたんだろうなって今でもそう思います。

どれくらい朦朧としていたんだろうって自分でも思い返しますが。

気が付くと、パソコンの文字が止まっていて、開いたテクストが目の前にあって。キーボードに両手を置いたまま、朦朧としているんです。

チェックするべき専門書は周囲にばらばらと置いてあります。

あ、いけないと思って。勉強をしはじめてはまた朦朧となるという状態で。

気がつくと数日経過していて。予定をまるっとすっぽかしていたんです。電話がかかってきて気が付いたという感じで。

あんな胡乱な状態でよく勉強をしていたなぁーって思いますよ、実際に。

あんな怖い夏の過ごし方はもうしたくないですね。

振り返っても怖いですよ。数日間、記憶がとびとびになりながら、勉強をしようとしているんです。あの日中の白い室内は覚えています。きちんとした気持ちを保たなければと思いながら、気がつくとパソコンの前に座ったまま、記憶が飛んで、時間も過ぎ去っています。夕方になると体が動いたりするので余計奇妙でした。どうして芥川さんが自殺をしたのかはよくわかりませんが。わたしはそういう危険な状況をなぜか回避したようです。頭はきちんと動くんです。勉強をするので。ですが、睡眠薬がずっと体にあって、勉強をしているのに、そのまま、記憶をなくして、気が付いたら、勉強がすべて止まったままの部屋でぼんやりとしているんです。夏の怖い思い出ですよね。

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