沢山ありますよ。
人文系に関しては結構な勉強量になるので、無駄な時間が減ります。
一般向けの公開講義みたいなものには一切参加しないんですよ。内容が欠落しているのを知っているので。
リーフレットとかあるじゃないですか。読書量があると、あー大体、これくらいの内容というのが精査できるので、内容がないものは一切参加しません。
内容のないものが、ものすごく増えているのも知っているので。

その時間を普通に読書に充てたほうが、自分のためにはなるという。
なんの時間の無駄なの?っていうものに時間割くくらいだったら、読書をしていたほうが心のためにはなりますよ。
翻訳書に関しても、結構手厳しいので。
岩波文庫を基準に考えて、購入をします。ちくま学芸文庫の新刊もレベルが下がっていて。翻訳だけでいいのに、テクストについて考えるなんて本はいらないんですけどね。考えるひとが能力がない場合があるからいらなーいっていう。英語の喩とかだと、信じられないテクストが教科書だったりしたので、必要ないですって却下できますから。
新訳とかだと内容が大体劣化してますし。
なんで、メルロ=ポンティの文庫化とかしないのだろう、信じられないって感じなので。メルロ=ポンティについて誰かが考える文庫とかはいらないんです。わたしは直接テクストを読みたいんです。誰かの中途半端な概説は必要としません。だって、図書館で翻訳書を漁っていた日々がわたしを構成しているからです。

価値のある本って、読む人の知性によるので。無価値な本ってひとによっては、存在するんですよ。それって読者の的確な読書量によるんですね。
最近特に誤魔化してますって内容が少なくないんですよ。
基本の概念を押さえる手間もかけずに構成を組んでしまい、そのまま上梓してしまった、事故のような本です。
編集者の質も悪いんだとは思うんですが。
拙い概念なんて不必要なんです。それは、スコラ哲学にでも準拠しているのかな?そこまでの深みはなさそう、みたいな感じで。読む気が無かった本に、ゴシック小説とスコラ哲学という、大丈夫?ゴシック建築ってはじまったとしても12世紀くらいになるんじゃないの?ゴシック建築っていえない建築をゴシック建築って云い切ってない?という、どうしようもない本まで翻訳されているみたいです。
つまらない本は最初から読みませんっ。
雰囲気で翻訳された本なんかに価値がありますか?
聴講に行きたいものなんて、正直ゼロなんです。
それだけ、無駄な時間を割かなくても済むってことになります。
教えてくださいという姿勢よりも、自分で勉強しますっという基本姿勢を植え付けられたおかげだと思っています。
学究で基本のプロパーの人文学が成立していた時に勉強をきちんとしておいてよかったなって思います。
映画論ですか?ロラン・バルトの本ならもっているので、必要ありません。

あくびを心のなかでかみ殺す時間なんて嫌じゃないですか。
近年の日本の新しい小説なんて一切読んでいません。時間の無駄だし、会話ばかり読んでるのってつまらないんですよ。
小説っていうのは、情景描写なんですよ。そこはどのような場所で、何が置かれていて、壁はどんな色でどんな素材(素材は大事ですよ)で、というのをきめ細かに描写していないとつまらないんです。
それで、結局、海外のSF物とか探偵ものとかで時間潰すしかないんですけどね。あ、本を忘れたから買わないとという時は。電車内で洋書読んでると浮きますし。
紙の本を読んでいる人もちらほら増えてきましたし。
デジタル・デトックスですよ。いいことだと思っています。
このテクストってなに?ていうときには、大英図書館が役に立ってくれます。だって、無料でダウンロードできますし。お金出して翻訳書を買わなくても読むことが出来るので、勉強しておいてよかったなって思います。