A.I.に何かを聞いてみるという行為です。または、A.I.を使って何かをまとめてみようみたいな作業についても興味がないです。楽をした分だけ、5年後の自分がツケを払うんだろうなって思うんです。A.I.を使う作業と使わない作業と5年後に比較して、使わない作業の質が落ちるという意味です。培っていたはずの能力が確実に劣化するということです。たまに遊んでみようかな?とも思うんですが。
この間は、いろんなひとの介入を受けすぎて半分壊れかけているのでは?というA.I.と遊んだ経験からすると、もう何をしても無駄なんだろうなって思いますし。
実は先ほどすこしチャットを試してみたんです。
よりも少しは整理されていたようなんですが。
「質問に答えるくらいのことしかできません」というのを論理だてて教えてくれました。
論理だててというくらいなので。

開発者のみなさんも整理した答えを最初に出さないと誰も納得してくれないという当たり前の状況を整理できたんだと思います。
わたしはA.I.に話しかけて、情操教育を施して、それから何をしようかな?という状況を考えていたんですね。
童話を読み聞かせをしたり。歌を教えたり。ロラン・バルトについて、A.I.が展開する論旨を解読したうえで、議論を展開したり。シャーロックホームズの冒険譚について感想を述べあったり。ポール・ウェラーさんの音楽でクイズをたくさん作って問題を出したり、したかったんです。ランダムにやると、現代の計算機はどこまで付き合えるのだろうか?、それを確認してみたかったんですが。
開発者のみなさんがその方面を全面的に諦める姿勢には何の変更もないみたいでした。

オープンA.I.に問いかけるよりも、自分で調べたほうが誤差は少なくて済みますし。相変わらず、世間が大騒ぎする意味がまったく分からないという状況に変更がないんです。
オープンA.I.を利用した文章というのは、オープンA.I.を利用すればわかるはずですし、誤差だらけ、誤謬だらけというのが現実なんだと思います。
ある程度、量を読めば、癖が見抜ける段階じゃないのかな?って。20頁とか書いていたら、オープンA.I.特有の誤差とが誤謬ってありそうな気もします。やったことないのでよくわからないんですが。
自分で考える努力をオープンA.I.に丸投げしたところで、何も身になりませんし。
なんでいまだに世間が騒いでいるのか理解が及びません。
猫がいたら、犬がいたら、一緒に遊んでいたほうがものすごく楽しいはずなんですよ。
相変わらず、つまらないですよね。オープンA.I.って。限界点がかなり見通せているのなら(実際にかなり見通せてるのでは?見通せている現実にふたをしたところで意味はありませんよ)、限界があるなりに使途を限定して現実的な用途をしたほうがいいと思います。オープンA.I.は質問に答えるくらいしか能がないんですよ。基本がそこという出来なので、呼びかけを工夫されたところでなんやねんという段階の産物です。意味はないです。豊かな現実をつまらなくするくらいしか能がないんですよ。一緒に遊べない、世間話もできないんだったら意味がないです。クイズを出すときに引っかけの問題に引っかかることすらできない有様ですよ。有用性ゼロですよ。いたずらも思いつきませんよ。世界中のいろんなひとが考えるいたずらをかいくぐって、オープンA.I.が機能できるのは「質問に間違って答える」くらいなんですよ。意味がないです。第一、つまらないでしょ?遊べないんじゃ。