ジョイスの『ユリシーズ』です。
学生だったときに、原書にチャレンジしたことはあります。翻訳で挫折をして(何故に?)英語で読んだら註があるはず、きっと沢山と思い、図書館にあった原書を開くと、註に註が重なり、註の嵐で。ダブリンの風景を知らないので、えーっと、風景が見えてこない、こんなに文体を凝る必要があるんだろうか?と悩み、案の定、挫折しました。
ジョイスで私が英語で読みこなせる小説を翻訳で出しておきます。
新訳出ています。アイルランドのダブリンを舞台にした物語です。ジョイス自身はいろんな場所に移り住んでいますが。本人がダブリンから逃れた形跡は結局ないんじゃないのかなぁーと思ったりもします。専門家の先生方、適当なこと言ってすみません。
え?ジョイス?敷居が高すぎひん?と思うそこのあなたに耳よりな情報ですよ。結構読みやすいです。英語で読んでも風景が眼前に迫ってくるような繊細さをもった作品が沢山あります。
ジェイムス・ジョイスと聞くと、あのむつかしいというイメージが払しょくされますよ。
ジョイスの自伝的小説になります。教科書として先生の指導を受けながら読んだので、読みました。
あくまで自伝的なんですが。ジョイスの出発点というのが理解できるのではと思います。
文体に凝っているわけでもなく、情景描写もきちんとしていて真っ当な小説なんです。この小説まではきちんと細部まで読みこなせるのですが。『フィネガンズ・ウェイク』になると、註の嵐に飲み込まれて、もがき苦しむことになります。
実際に個人的に読もうとしてもがき苦しみました。勉強の合間に余計に苦しんでどうするんだろうと、あのときほど思ったことはありません。
ただ、上記の2作品に関しては翻訳でも読めますし、英語でも難解ではまったくありません。
ダブリンの街とオデュッセイアを重ねるというアイディアが非凡なだけではなく、オデュッセイアをダブリンを描く文脈として小説の中にモチーフとして落とし込んだことが非凡なんだろうなーと、読みこなせないながらにそう思います。円環になっているのは理解できるんですが、文体を読み込むときに途方に暮れるんですよ。
それで註を読んで、オデュッセイア(子供の時に読んでいるんですよ。どんな子供なんでしょうね)を想起しながら、えーっと、えーっと、と混乱していく一方なんです。
研究テーマに掲げていらっしゃるみなさんを心から敬服します。すらすらと読みこなせる方、羨ましいです。
モダニズムがテーマの英語圏(欧州)の本を手に取って完全に挫折をしたのでした。モダニズムの時代の本が教科書になることは少なくなかったのですが。翻訳だと本当に読み散らかしています。大教室(?)の授業で、まだ自分の先生になる前に自分の先生の講義を受講しながら、概論を学ぶときにベケットでどうして『モロイ』なんだろうと思ったりもしたんですよ。
後で、あ、先生が飽きてしまってるからなのかもしれないと、そっと思ったりしました。
多分、そうなのかもしれません。確認はいまだにとっていません。学部生なのに『モロイ』だったんです。まぁ、抜粋ですけれどね。抜粋であるということは、その背景には先生がその抜粋を選んだという意図があるので、試験対策は大変だったんですよ。
受けた教育の強度に関しては、複数の先生方に感謝してもしきれないほどです。別分野の先生方も当時よくお話を聞いてくださって、実はと悩みを打ち明けると、これを読むといいわよとH・ジェイムスの研究読本(英語のテクストです)を貸してくださって、読みながら、どうしよう、本当に勉強不足かもしれないと悩んだ時もありました。勉強するには本当に恵まれた環境に居合わせたんです。今考えると幸運だったかもしれないと思います。その強度が私を支えています。教育って重要なファクターなんだって本当にそう思いますよ。


