自然災害が起こった時には、TVをつけて確認を必ず取ります。
通常、それ以外では観ないんですが。たまに、テレビ番組ではわたしにとって啓発的な議論はなにも行われていないのだろうか?と悩んで。たまに30分くらい観るときはあります。

観て実際に悩みました。特集ではなかったんですが、取り上げられたひとつのトピックの流れから日本で暮らす海外の人たちへの言及があったんです。直接の言及ではないんですが。発言内容をしっかり聞くと、移民は必要という論旨で、そこまではついていけたんですが、移民が必要という根拠が理解できなかったんです。
人口減の局面の日本ですが。番組内の皆さんの温度差はあるけれど共通理解の先が、「人口減≒悪」で「正義≒人口減の局面を移民の数で埋め合わせをする」という不可解な構図だったんです。
後で何度考えても不可解でした。
財務相では「財務総合政策研究所では、財務省内外から様々な知見を有する実務家や研究者等を講師に招き、業務を遂行する上で参考になる幅広い知識や情報を得る場として「ランチミーティング」を開催して」いるそうで、東大の永吉希久子先生を招いておられます。新書で『移民と日本社会-データで読み解く実態と将来像(中公新書)』という著書がおありだそうです。未読です。申し訳ありません。
「移民と日本社会-データで読み解く実態と将来像」をテーマにしたご講演だったそうです。
発表段階と現在のフランスやオランダの現在地だと国の施策等が異なっているケースもあると思います。その点は割り引く必要性があると思います。日本で海外のかたが生きていくのは簡単なことではないんだなって思いました。
番組に出演していらっしゃった皆さんは、もしかすると、このような現実についてご存じないのかもしれません。
だからこそ、なんだか怖かったんです。ひとは履いて捨てるほどいるべきという思潮に取り込まれすぎているような気もしました。人口が日本ほどなく、それでも経済的にスタグフレーションの局面に入っていない国はあります。
移民は減っていく日本人のための埋め合わせの存在なのでしょうか?それだと、移民としてカウントされるとき、存在そのものが無視されて、数という存在に落とし込まれてしまうなって。

移民としてカウントされてしまうひとたちは、勝手な日本人の都合を押し付けられる、日本人からは見えないような環境に追いやられる人たちになってしまうのでしょうか?日本人に都合よく利用される、単なる「数」の存在になってしまうのでしょうか?そのひとたちの本音は日本人の建前によってかき消されてしまうのでしょうか?
わたしは、現時点で踏みとどまって、日本人の人口の自然減について、考えるべきだと思います。
欧州でも移民をめぐる様々な問題って先鋭化していますし。日本も例外ではないのかもしれません。だったら、踏みとどまって、日本に住もうって思っている海外からの人たちを巻き込まないで、自然減になる日本の人口のサイズで、物事を考えるべきなのでは?と、そう思うんです。
つまり、人口減が避けられないのであれば、日々何かしらの鬱屈を抱えて、それを処理しきれないような、一部の日本人の捌け口にされてしまうような状況に誰かを置くというのを避けたほうがいいと思うんです。
おそらく、移民を利用しようとする日本人はいろんな階層に存在をしていて、最終的にはそのひとたちを数としてみる姿勢から脱却できないんだと思うんです。
自分のためになるから、自分の地位や名誉のために数が必要だから、日本人が足りないから、移民で埋め合わせをしたいという欲動に突き動かされていた場合、それはそれで、どうなんだろうって。
一度、それで自分の欲求を満たすことがあった場合、それが倫理的な問題を含んでいたとしても、繰り返してしまうんじゃないのかな?って。海外からくるひとたちに巻き込まれる道理はあるんだろうか?って。
わたしの場合は戻っていく論点が同じになるんですが。
労働時間を短縮して、効率化をめざして、余暇を作るです。

自然減を避けられない日本人ですが。効率化を図って、家族という問題に立ち向かったほうがいいとも思うんです。仕事が生き甲斐というひとは、性別関係ないですし。仕事がすべてではない状況を作るべきだと思うのです。社会全体で作るべきだと思います。
長時間の労働をしたところで、労働の質が上がらない場合は、意味がないですよね。長時間、労働したという気持ちにはなるんでしょうけれど、中身が伴わないと。それはそれでむつかしいでしょ?
おいしいパン屋さんは朝早くからの努力がありますよね。でも、その分のお休みは必要だと思うんです。体力が必要なお仕事なんだそうです。
社会保障や皆保険制度、義務教育などの視点で問題を考えると、家族という単位の周辺で問題が起きるんです。だったら、家族という単位に立ち戻って生じる問題は何になるのか考えて、対処ができる時間的余裕を日本人は取り戻すべきだと思うんです。つまり、日本人が結構長い間、逃げてきた問題を直視するということになります。
そこで生じる様々な問題をクリアーにできないと、日本で暮らす海外の皆さんを多かれ少なかれ巻き込む事態にもなりますし。それは避けるべきだと思うんです。日本で日本人が持っている勤勉さや清潔さの感覚で、海外のひとが生活をしていくのは大変みたいなんです。暗黙の了解のような、ルールもたくさんありますしね。海外の皆さんだと、日本人がどうしてイライラして黙ってしまうのか理解できない局面も多いのかもしれませんし。日本人は感情をあまり表面にださないでしょ?察するというのはいろんな文化圏に実はありますが。日本人は細かすぎるというのは、日本人としてもよくわかるんです。本当に細かいと思います。
また、観光地にお住いの皆さんが我慢に我慢を重ねて、その土地のあるべき姿というのを放擲するところまでの逸脱に追いやられてしまうまで疲弊してしまうのには、きっとたくさんの理由があると思うんです。すでに、日本人は日本の有名な観光地に年に何回も行かないですし、正直、行きたくないんです。お互い日本に住んでいるのに、気遣えないという辛い状況にもなっています。
立ち止まって考えるべきだと思います。
減っていく人口で、医療体制のソースはどう再配置をしたらいいのか、補正予算を毎年組まないといけないような杜撰な国会運営でいいのか、財源がないというのが財務省の常套句なのであれば、なぜ、減税をしないのか?食をめぐる問題については農林水産省の施策だけで万全といえるのだろうか?学校教育が疲弊するのであれば、どのような改変が必要になるのか、施策は組めるのか、さまざまな根本的な問題のあぶり出しにもつながると思うんです。視点はさまざまあると思いますし、たくさんあったほうがいいと思います。
インバウンドはインバウンドのままで、日本は本当に幸せなのか?という問題もあります。
これが当たり前だからという各省の慣行のような施行の恒常性に取り込まれて、考えるという行為を失ってはダメだと思うんです。

自民党の総裁が高市首相だから、問題があるというのはあり得ないと思っています。首相に男女差なんて令和の現代では意味を持ちません。日本の総理大臣が誰でというのは、あまり重要ではないんです。安倍政権の長期政権から自民党は硬直化していますし、目下、衆参ともに少数与党ですが。日本の経済政策で抜本的な改革は安倍政権のときから打てていないので、おそらく、経済政策の失策で解党までいくと思います。
経済政策を細かく精査できて、改革を主導的にできる自民党の経験を伴った議員なんてひとりもいないと思います。無論、野党にもいませんけれど。衆参ともに財政金融委員会というのが超党派で形成をされています。財政金融委員会に属している議員のみなさんは、毎年のように予算が組みなおされていく状況が日本の財政の正しい姿勢だと思われているんでしょうか?
財務相が構造的に抱える問題がどこにあり、どのような改善点があるのか、あぶりだしができる委員会になっているのでしょうか?
参議院選挙後の日本ですが。衆参の国会議員個人個人の質という基本的な問題点があぶり出されていく今後になると思っています。黙っている国民は精査しているだけですから。
自民党自体は結党以来の瀬戸際に、今後、追い込まれていくと思います。
現在の日本の政治に必要なのは、実務がこなせる議員になると思います。
必要なのは省庁の犬ではありません。
外交問題ではないと思います。実際に外交で問題が起こることはありますよ。大事になるのは、Social Mediaに煽られない冷静さを保つことになります。Social Mediaに渦巻くのは、分断と利益誘導が主になると思います。煽られるだけ無駄ですよね。広告代理店の体質に顕著なのは「お祭り騒ぎ」になります。日本のA代表が、広告代理店の広告のように、従来、ソールドアウトになったスタジアムで親善試合をずっとしているのと一緒です。親善試合は親善試合です。大会のグループリーグやトーナメントの試合とは違います。
そのSocial Mediaを閉じてしまえば、だれも振り返らないような空間に拘泥する意味って何になるんでしょうね?
また、「ひとは履いて捨てるほどいる」という施策を繰り返して、銃弾に安部さんは倒れたのですし、履いて捨てるほどひとはいるという認知の誤謬があるので、隣国のカルト宗教を票田として取り込んだのでしょうし、自公政権で外国人の受け入れに関して実際にかなり酷い施策を行ってもいます。具体的には言及はしませんが。安倍さんの死を真剣に自民党が受け止めて、何か姿勢を正しているようには、わたしには思えないんです。悲劇がたくさん重なっているのに。
自民党って根本的に学ばない党なんだって認識を、わたしは持っています。首相の死を無碍にして良心の痛みを感じない人たちで埋め尽くされている党なんだという認識です。
自民党の土壌が変わることがないので、経済政策の失敗に次ぐ失敗で、実質的なスタグフレーションの局面です。
最終的な解党は避けられない未来になると思っています。
必要なのは、日本人全員でそれぞれに考えて、有能な議員に投票するという当たり前の投票行為です。

メディアはどうなるんでしょうね?経営の悪化は続いていますし。悪化の状態が続くと統廃合もあるのでしょうか?わからないです。未来のことは。欧州では、そこまでずっとテレビ番組を観るという文化がないので。報道以外の重要性は、どうなんだろう?って思う時もあります。文化面は必要なんですが、Eテレの質は劣化をしています。事実です。15年前と比較にはならないですよ。
公共放送のように、広告代理店とのずぶずぶの状態が長くて、公共福祉としての役割を果たしている状況なのか事実上わからないというのは、どうなんだろうな?とも思います。
報道のニュースソースが海外に開かれずに、国内で閉じられるというのは資本主義社会ではありえないです。
全体主義国家なら理解できるんですけれど。
NHK技研の国際感覚のなさで議論は終わるんでしょうか?
考えると日本は全体主義国家に囲まれていますよね。中国、ロシア、北朝鮮は全体主義を採用しています。
すべての局面で仲良しというのは、空理空論です。
諸外国の正義が日本の正義ではないですし、逆もまた然りです。

中国も中国で、中国の常識で動いています。当たり前ですが。大変なときもあるそうですよ。BBCです。
「中国の立場は非常に明確だ。中国のスパイ文脈を広め、中国を中傷することに断固として反対する」
中国外務省
仮に「日本の立場は非常に明快だ。日本のスパイ文脈を広め、日本を中傷することに断固として反対する」って日本の外務省が発言しだしたら、中国の外務省は慌てふためいて混乱するのでしょうか?
中国外務省のかたも、自分たちの常識が通じない英国の現実にいら立ちを隠せなかったのかもしれません。それで、BBCに揚げ足を取られたんだと思います。当たり前ですよね。
英国と中国では、言語も違えば、政体も違えば、文化も、なにもかもが異なりますし。大英帝国が中国を支配下に置いていた過去は、歴史の授業で学んだり、文献で読むくらいなので。現実的な、そこにあった過去という感覚になるのは、むつかしいです。
日本の外務省が中国の外務省のような発言になることはないです。理由は、そもそも日本の文化として「スパイ文脈」が存在しないからですし、日本の国土の構成もあります。日本にはアメリカ合衆国の複数の基地が展開をしているからです。自衛隊が、自衛隊であり、日本語として国防軍にはならない証左になります。日本から日本独自の諜報活動を世界展開なんて、まずありえないですし。成立はかなり困難だと思います。帝国的な思想というのは過去一時的にありましたが、敗戦の反省を含めて、戦中のときのように右翼が暴走できないように天皇を象徴にしています。国父です。
憲法は時の自民党(あるいは他党が)がどうこうできる性質のものではないんです。
共和党になろうが民主党になろうが、アメリカ合衆国は展開する海軍その他の部隊を日本から本国へ撤退させることはおそらく、どの未来においてもあり得ないんだと思います。
中国は日本に対して態度を硬化させることは、ありますが。実は日本という国の存在の在り方の不可解さが、中国の理解の範囲を超えているという事実に対して、難渋をしている印象もあります。
日本の常識という感覚はかなり繊細になるので。
むつかしいんだろうなって思います。
現在の日本は、中国に国籍を持つ皆さんからすると、憶測にすぎませんが、全体主義の抑圧をまぬかれた、ある種の楽園のような幻想を抱かれている可能性もありますよね。中国は自国の国民に対しては監視は当然という国でしょ?反体制の姿勢はとれないじゃないですか、中国の皆さんも。ある意味、息苦しいんだと思います。楽園の幻想を抱いて永住権を得たところで、日本のほうが常識が繊細で、自国の概念は全く通用しないので、おそらく余計につらい思いをなさるひともいると思うんです。国が違うということはそういうことなので。ほかのアジアの国々でもおなじ幻想があるのかもしれませんよね。
日本で、中国も含めますが様々なアジアのみなさんが長く生きて日本で死を迎えたいかというと、そこは別問題なんだと思います。
人口の減少の局面は、幻想では補えないですよ。
日本人の現実があるからです。
東北の震災のときに、アメリカの海軍などの軍隊は支援をしてくださったんですよ。従軍している国が大規模な天災に見舞われて、それでも実質的に支援をしてくれたんです。ニュースとかではあまり表立って扱われないんですが。たまに被災地の自治体から感謝をされているニュース報道を観ていました。ありがたいと思いました。10万人以上の自衛隊の予備の皆さんも含めた大規模な活動でもむつかしい局面はあったんです。それでも移民は入れ続けろというのは、どうなんだろうって。やはり思います。