ほとんどの作品をもっています。

ウェス・アンダーソン監督作品です。自分でもなぜかはよくわからないのですが。この監督の新作は観ると決めている唯一の監督です。

本当に、たまになんでなんだろうって、考え込むこともあるんですけれど。

たぶん、アンダーソン監督作品が好きなんだろうなと思っています。

個人的には、ひとりの監督の作品を延々と楽しみにして観るというのは、実は本当に珍しく。多分、アッバス・キアロスタミ監督以来になるんです。

アンダーソン監督作品とキアロスタミ監督作品の共通点は、正直ないです。

随分以前ですが。涙が出て止まらないという辛いというときに。なぜか、『Fantastic Mr. Fox』を泣きながら延々と観ていたこともあります。

どうして当時辛すぎて辛すぎてというときに、この作品を好んで観ていたのかは、正直、自分でもよくわかっていません。

ダールの作品だと考えると、違うのはすぐにわかるんです。ロアルド・ダールには、本当に独特のユーモアとセンスがあるので、アンダーソン監督でもその部分はカバーできません。

でも、なぜか延々と観ていました。

Searchlightpictures.com

この作品に癒しの効果なんてなさそうなんですが。

この映画を観て落ち着きを取り戻していました。

その理由は、きっと個体差で、ひとそれぞれで、私の場合は偶然この作品だったのかもしれないと思います。

辛いときに、ロアルド・ダールの世界観を忠実に映像化しているわけでもない、頭から尻尾のさきまで、完全にウェス・アンダーソン作品であるこの映画が、わたしの心を救っていました。

アンダーソン監督、その節は勝手にお世話になりました。

ありがとうございました。

人が辛い場所から立ち上がろうとするときに助けになるものって本当は偶発的なのかもしれません。文脈をそこに読み込みたくなるのは、ヒトの心理としてはわかるんですが。ただ、他人の心理を全部理解するというのは所詮無理なのです。文脈が本当にメタの段階で複数絡んでくるので、同じ場所にいたとしてもその糸口を辿るのは容易なことではありません。アメリカの精神医療も、欧州の精神医療も、判断がバラバラにならないようにマニュアルを毎回作っているわけです。誰が判断しても同じ判断になるように。マニュアルを作成しないと成立出来ないくらいに文脈が多すぎるんだと思います。「名づけられる」ことで落ち着く人もいれば、わたしみたいに「名づけ」の行為というのは哲学的にも容易な作業ではないということを勉強しているひともいるんです。だから、やっぱりマニュアルなんでしょうね。

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