遠のく文化の恩恵。

最近では映像作品を観るのに、たくさんのプラットフォームがあって便利です。

英語ができると活用できる範囲も広がります。

ですが、減薬の壁があります。最終段階なので気力が持たず。長編映画を目下観ることができません。

減薬が進んだ時に、睡眠後1時間で目覚めてしまい、今日は睡眠1時間なんだと落ち込んだこともあります。明晰夢をみる習慣が脳にあるので、朝方なんとかもう1時間半の睡眠を確保できて、2時間半だったこともあります。

正直、ズタボロです。

よく体を壊さずに生活できているよなと自分の身体をほめたい気持ちになるくらいです。

それでもたまに映像作品を観たくなるんですね。

ゴダール監督作品をそろそろ観てもいいんじゃないのかな?と思うくらいにです。

追い詰められているのかもしれません。

毛嫌いしていた監督の作品を観ようかな?と思うくらいなので。

ドキュメントを撮っているから、短編のドキュメンタリーにしようかな、観てみようと思ったんです。

むつかしいんですよ。

気力が。

集中力がなかなかにむつかしく。

作品についている英語字幕だと思うんですが。えーっと?ってなったり。ギリシャ人の作家って誰だろう?ギリシャ人が英語で”blackbird”と言及するとき、ムクドリなんだろうか、ツグミなのだろうか?字幕で人称扱いということは、昔のオーストラリア大陸に輸送される南太平洋諸島の奴隷のことなんだろうか?なんだ、この英語字幕は、と。

英語の文法間違えてるってこと?

意味が通じないじゃないか、と。

もしかすると、監督が言及しているのはアリストパネスの喜劇のことなんだろうか?うーん、読んだことないしな。どうしよう。

子供の頃からのゴダール監督との相性の悪さをまざまざと思い返すんです。

なぜ、細部をつめないんだろう。なぜ、センスで押し切ろうとしてしまうんだろう。どうして雑然としているんだろう。

フランス人でもきちんとしているひとはきちんとしているはずなのに。

フランス人監督が、アメリカ合衆国の映画監督にインタビューしてもなかなかに相互理解がむつかしいのは自明なんでしょうが。

字幕ぐらい努力すればいいのに。

ゴダール監督って英語も話すんだ。そうなんだ。英語に”struggle”はあって、それを”combat”という英語字幕にしてしまうとウッディ・アレン監督のインタビューの応答の言葉からすれるんだけれど。え?あ、フランス語か。差し込まれるタイトルは英語でフランス語の字幕が入んねや。腹立つな。もう、茶化していない、これ。興味深い質問ですよね。あなたは「シネマティックな装置」という言い方をするじゃないですか。わたしの場合は「文学的な装置」なんですよ。『ハンナとその姉妹』にもそれを使っているんです。アレン監督はゴダール監督のことを理解したうえで、多分、文献や映像を観たうえで、きちんと応えているのに。映画の手法ではなく文学の手法を映画に応用しているって。ゴダール監督からすると、映画の文法としては不可思議になるんだと思う。アメリカ合衆国とフランスだから。違いがあっても不思議じゃないけれど。

スタニフラフスキーシステムのことですか?って。それは演劇です。アレン監督が言及しているのは文学作品という意味です。

まったく、ゴダール監督もひどいよな。

なんだろう、このコメディーのようなインタヴューは。

“We all had a terrific time.”、ダジャレに逃げていた時点で予想はついていたけれど。

アレン監督が語っているのはアメリカ人によるアメリカ映画の受容の現実なんですよ。アメリカ人は基本的に映画館にいきますし、テレビで映画なんて邪道というのはアレン監督オリジナルの考え方なわけでもないですよ。そうでしょうね、ゴダール監督はカセットでアメリカ映画をご覧になるんでしょうし。このインタビューの下準備もカセットでおやりになったんでしょうし。監督の母国はフランスですから。映画文化の違いなんですよ。きっと。

え?そこまで腐る必要なんてありますか?

日本もひどい有様なんですよ、日本の2026年は酷いんですよ。映画なんて映画館で観る層が減ってしまっているんです。映画産業自体が斜陽なんですよ。

ゴダール監督、大丈夫ですか?

きっと、『巴里のアメリカ人』とかお嫌いなんでしょ?わたしは楽しく拝見しますよ。日本人ですから。それにテレビと放射活性化は関係ありませんよ。監督が自明で理解しているくせに。質問のネタが切れたので、ごまかしに走っているでしょ?アレン監督を向こうに回して、話をまぜっかえしてもしょうがないでしょ?フランス人のエスプリやペーソスなんてアメリカ人に通用しませんよ。

その質問はいいじゃないですか。アレン監督がそれは応えるのがむつかしい質問ですね、憶測を含む質問になりすぎているような気がしますって応えてますよ。『ハンナとその姉妹』のニューヨークの風景ってそんなにテレビ的なんですか?撮影監督のカルロ・ディ・パルマさんはその後、アレン監督作品を下支えする優秀な撮影監督になるんですが。それが気になってるんだったら、ディ・パルマさんにインタビューを申し込んだらよかったのに。

映画の作り方が、そもそもアメリカとフランスで違うのかもしれませんよ。

アメリカ映画では撮影監督って重要な役割を果たしますし。編集は編集専門のひとがいるんです。分業制なんですよ。ゴダール監督みたいに全部をやりきろうとしないですから。監督ひとりで。

インタビューを敢行するのに、たくさんの資料をおつくりになったんですね。

しょうがないですよ。言語も違えば、文化も映画産業も構造自体が違うんですから。文法が違うみたいなものですよ。

なんで、ずっとゴダール監督のフォローをしながらドキュメント観ないといけないんでしょうね。

どうしてなんでしょうか?

睡眠不足で疲れてるのに。『リア王』は長編ですし、シェイクスピアなので、躊躇はしています。

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