時間がかかります。

『プロジェクト・ヘイル・メアリー』を観て。なぜか神経が疲れてしまい。

軽い映画を観るつもりが。結局頭を働かせながら観てしまうことになるので、骨が折れてしまうのです。

思考を挟まずに映画を観たことが近年ないので。また、何も考えずにSF映画を単に受動的に観るって、苦行にちかづくのではないだろうかと。

気楽に映画を観るありかたがわからず。今更そんな映画の視聴もできず。

ゴダールの映画があって。試しに観てみたんですが。これは映画の断片、これは記録映画の断片、うーん。元の映画がわからない。これはきっとあの作品。多分、気持ち悪くて観ていないから、きっとあの映画。『アンダルシアの犬』なんて受けつけない、怖いから嫌っ。そういう人たちのことを思いやったカットをかけているのかな?映画を観ていないからわからない。どっち?思いやり?検閲?自己検閲?なんのために?怖がる観客へのやさしさ?あの指はダ・ヴィンチ。ゴダール監督が自作に言及していた場合は、引用元がわからない。

観てきていないから。

まったく、どうしたらいいんだろう。

ショットを組み合わせて、別の読み込みが可能なショットを作るのかな?

それはあくまでショットになる、ゴダール監督がショットの長さを勘案してつくっているはずだから。

モンタージュではないはず。多分、きっと。モンタージュだと基調になるショットに別の短い映像を挟むことになるけれど。この映像のつくりかただと、映画を観る人に別の視点を付与するというよりも、映像自体に畳みかけるような連続性が加味されているような気がするから、ショットの扱いなんだと思う。

多分、きっと。

どうしよう、ゴダール監督のアメリカ映画の技法はよくわからないというドキュメンタリーを観てしまったし。フランスの映像作家になるのだし、ロシア映画とアメリカ合衆国の映画、違う、アメリカ合衆国の商業映画上で確立されていく映画の技法で、それに影響を与えた旧ソ連邦の映画の技法なんて、そもそも興味がなかったら。

フランス映画の基本の技法については無知だし。アメリカの商業映画を成立させる映画の技法は無視なのかな?それでもここまで観てもショットのテンポはあるけれど。

ゴダール監督作品は長編1本、短編2本、ドキュメンタリー1本の情報量しかない。ドキュメンタリーはもう1本観たけれど。ゴダール監督作品の質感については知らなさすぎるんだと思う。

どうしたらいいんだろう?

それにしても、あの人差し指をどう解釈したら。ダ・ヴィンチは『洗礼者ヨハネ』だけで何かを指す指先を描いたのではなく、2枚ある『岩窟の聖母』の1枚で天使でも人差し指で何かを指すという描き方をしている。方向が違っていて、指をさしている対象は幼児の姿のヨハネ。弟子のサライが描いたものもあり、弟子のサライまで含めてしまうと意味が幾重にも重なってしまい、憶測の嵐になる。

それでも、あの酷い短編を作ったゴダール監督だから、セクシャリティの多義性なんて描いてはないのかも。

どうしよう、観ていると神経が疲れてしまう。映像の知識量がなさすぎる私には困難な映画かもしれない。

そして、早々に挫折しました。

わたしはゴダール監督を知らないので。

テクスチャもわかりませんし。そのなかで空回りするには現状気力がなさすぎるんです。

ゴダール監督の映画が大好きな皆さんは、あの映画のショットからこの映像のショットという風にイメージを紡ぐこともできるのかもしれません。

毛嫌いしてきた長い歴史が私の場合はあるので。

むつかしかったです。

ゴダール監督はロケーションをしたり、セットを組んだりしながら、新しい映画を撮るのが困難だったから、記憶のなかにあるたくさんの映画のなかから映像を選びだして、編集しなおして、新たなショットをつくったのでしょうか?

繋げなおしたショット自体に新しい意味内容を見出そうとしていたでしょうか?或いは、そこまではなくって。ショットを繋ぐことで浮かび出てくる不可思議な像をつかもうとしていたのでしょうか?

自身のモノローグを乗せてどこに向かおうとしていたんでしょうね。

ゴダール監督の映像に知悉している皆さんは、きっとたくさんの着想をお持ちなんだと思います。

きちんと映像を観ることができる気力が早く回復するといいなと思っています。初見の映像は疲れますね。過去に観ている映画を観直しても、さして疲れないんですが。映像を専門にしてらっしゃる分野のみなさんは内容を追えるのかもしれません。Youtube.comにあがっているものもたくさんありますしね。ちなみにどんな映像作家でも全肯定はしません。全肯定の姿勢ありきだと知性がないような気がしません?わたしはすこしそんな気持ちになるんです。

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