最近の雑誌の「ユリイカ」は、遠い存在で。いつから遠くなったんだろう。いつの間に?って思いながら、手持ちの「ユリイカ」の最新号を読んでいました。
手持ちの最新の「ユリイカ」の特集は、ウェス・アンダーソン監督なんです。
アンダーソン監督も日本屈指のペダンティックな雑誌と誤解を受けかねないときもある「ユリイカ」に特集を組まれるなんて、きっとそんな事実についてはご存じないんだと思うんですが。
衒学的な雑誌とアンダーソン監督って、困難な相性ですしね。
わたしがきちんと読んでいた時の「ユリイカ」は衒学的でもなんでもなく、きちんとした教育的な雑誌だったんです。

当時、「ユリイカ」を読みながら書き手の質が変化してしまった戸惑いを感じたことを思い出していました。
ウェス・アンダーソン監督の映画お好きなんでしょ?
思わず泣きそうになるでしょ?とか。監督作品で一貫しているのは「父性の凋落」と「家族の再生」で。当り前じゃない、作品をきちんと観てきたの?ラカンは実在の父と父の名を区別してるでしょ?勉強してこなかったの?どう考えても、カーヴァーを彷彿とさせる部分が否めない、そう思うでしょ?主題に類似点があるでしょ?気づかなかったの?あの箱庭的な過剰さはなんだんだろうね?エレガントなんてものじゃないよ、だってミニチュアじゃない?彼の基本軸になっているのはトリュフォーだね、そこは明らかだよ、これから例証するからきちんとついてきなさいね。
いろんな考えが、いろんな定義がたくさん掲載されていて。
なんでこんな的外れな論考で埋め尽くられているんだろう?と不可思議に思ったんです。
アンダーソン監督のお友達の野村訓市さんのインタビューは「撮影秘話」扱いで。
どうして直球できちんと特集が組めないんだろうと。
野村さんにインタビューを頼めるということは。アンダーソン監督の周辺のひとどころか、アンダーソン監督に、すいません。日本には「ユリイカ」というペダンティックな雑誌があって、それなりの読者層を獲得しているんです。監督の志向とかみ合うのかどうかは未知数なんですが。特集を組みたいと思うんです。
頑張って態勢を整えるので、ご協力を願えませんか?って。

頼めばよかったのに。
なんだったら、蓮實先生との対談を組んでしまって、アンダーソン監督に実は日本の高名な仏文学者なんですが、シネフィルでもあって日本の映画監督の育成にもなぜか尽力なさっている先生なんです。不思議でしょ?アンダーソン監督のことも買ってらっしゃるんですよ。対談なさってみませんか?蓮實先生の専門ですが?フロベールなんですよって、対談を組んでしまえばよかったのに。
ユニークな対談になったでしょうし、読みごたえはあると思うんです。蓮實先生のことは文章でしか存じ上げませんが。監督との対談ということになれば快諾してくださると思うんです。
アンダーソン監督のお友達の野村さんにインタビューできているくらいなので。
アンダーソン監督のインタビューも掲載されていますし。
監督へのインタビューを「ユリイカ」が敢行しているのだったら。そこで監督の特集を組みたいので、協力してくださいって、お願いです、時間を作ってくださいって頼めばよかったのにって。
レイフ・ファインズさんへのインタビューも敢行できているんだったら。あと一押しだと思うんですよ。
どうして真面目に取り組めないんだろう?って。
当時も正攻法でなぜ頼まないんだろうって思ったんだと思います。
適当な特集を組んで衒学的にまとめてみましたというレベルには全く到達してもいないので、余計に残念さが立ち上る印象だったのは、再読でも一緒なんです。

当たって砕けたら、砕けてから考えなおして特集を組むことだってできたはずなんです。
残念さと苛立ちが追いかけてくるんです。
多分、印象は初読と一緒なんだろうなと。
ウェス・アンダーソン監督作品は、大好きなんです。大好きなんですよ。でも、なんでも全肯定なんて姿勢の持ち合わせはないですし。優れた作品だったら途端に笑顔になりますが。つまらないと映画になっていた場合は終わるまで機嫌が悪いですし。なんで全部肯定なのか、意味が分かりません。もちろん、アンダーソン監督の新作に出会っても、泣いたりしませんよ。なんで泣くのかよくわからないですし。うれしいから泣くのでしょうか?うれしくっても泣きませんよ。
そんなに安い涙の持ち合わせはないんです。
ないですっ。
父性の凋落なんて一概にいえるのだろうか?とも思ったりもします。家族が崖っぷちだったり、壊れていたりするのかもしれませんけれど。いろんなご家庭があるじゃないですか?日本でも、もちろん、アメリカ合衆国でも。そうです、世界中で、きっとあります。アンダーソン監督が扱う家族の在り方だって、その一部なわけで。適当に精神分析に絡めても、アメリカ合衆国の家族像の現在地には近づけないはずなので。だって、日本人なのでわからない部分も当然ありますし。わからないことをわかっていますなんて振りはできませんよっ。カーヴァーにはまったく近くないですよ。レイモンド・カーヴァーのことですよね?あんなに手厳しい、ヒリヒリしてしまうような感覚をありとあらゆる登場人物に向けながら、読み手を礫のように遠くに、近くに投げ出して小説の世界観にすり寄らせない厳しさをもった世界観にはなっていませんよ。うーんと、アメリカ合衆国の映画でカーヴァーに近い視点ですか?コーエン兄弟作品でたまに近い感覚で描写があるというのであれば、まだ理解ができますが。アンダーソン監督作品に、カーヴァーの手触りは皆無です。ミニチュアですか?うーん。ミニチュアですか?アメリカ合衆国の映画の現在地で、最新の技術に頼らずに、映像化をしているだけなんだと思うんですが。ミニチュアという指摘は撮影に関わっておられるスタッフの皆さんにも失礼だと思います。だって、ちゃんとロケーションもありますし。セットもありますし。CGIはないんですが。CGIがないからといって、ミニチュアは酷いです。だって、ロケーションもあるんですよ。この特集号には間に合いませんが。フランスでロケ地の協力を得ていたりもします。ロケ地は箱庭ではないです。ロケーションの限界があってそう見えるときもあるんですが。ここからここまでの場所を舞台にして徹頭徹尾に映画の世界観を描きますという姿勢を箱庭的というと、河合先生のためにもよくないと思います。まったく違うと思いますよ。過剰でもありません。文字数が多いので、過剰ってことですか?アンダーソン監督の持ち味になるのでしょうがないじゃないですか。英語の文字数がうるさいということですか?英語が嫌いなんですか?それはもう偏見なのではないのでしょうか?映像作家に特徴があってもいいじゃないですか?『ライフ・アクアティック』をもう一回、観てください。箱庭ではないですっ。アンダーソン監督はトリュフォーのことはお好きかもしれませんが。アンダーソン監督の軸がトリュフォーというのは、ありえないと思います。あのたゆたさとナイーヴさはないです。だって、アンダーソン監督作品に書き込まれるナイーヴさというのは大人が垣間見せるナイーヴさになるので。質が違います。あくまで大人が垣間見せるナイーヴさなんです。
1時間くらい読み返していて、読み飛ばしていて。
どうしてこんなに日本には理解者が皆無なんだろうって。
わたしが理解者なわけではないですよ。大好きな作品は大好きなんですが。構造体でつまらない演出だと嫌だからです。
新作は未だ観ていません。ちゃんとした態勢でみたいので。
とってあります。
ふつふつもしたんです。だって、誠実さはほしいからです。それがないですっ。本当にアンダーソン監督作品が好きなのかな?褒め殺しなのかな?無理解なのかな?どういうことなんでしょうか?買って読んだ時と印象がおそらく変わってませんっ。