前景化される音楽。

ビルボート誌のチャートは歴史が古く、1936年1月4日創刊だそうです。「週末のための10枚ののベストレコード」とタイトルがつけられて、3つの主要レコード会社が報告する売り上げのトップ10をリストアップしていたそうです。1940年にはチャートの構成というのが固まってくるそうで、小売りの売り上げと楽譜の売り上げ、ジュークボックスでの再生回数、ラジオ局での放送回数だそうです。

“Race records”というのは1920年代から1940年代にかけて販売されていた、当時の蓄音機用のSPレコードのうち、アフリカ大陸にルーツをもつ皆さんの音楽ジャンルの音源の通称になります。Okeh RocordsがMamie Smithさんの”Crazy Blues”/”It’s Right Here for You”を1920年にレコードにしたところ、75,000枚の売り上げがあがったそうで、セールスの見込みがあるという判断があり、音楽ジャンルの音源化がはじまるんです。この”race records”という言葉ももともとはOkeh Rocordsのものなのだそうです。アフリカ大陸にルーツをもつアメリカ人の皆さんをターゲットにしているんです。

Okeh RocordsやParamountといったレコード会社はスカウトをさまざまな現地に派遣して、音源化をするんですが。その点に関して人種は関係ないと思います。ヒルビリーが育てた音楽から南部の古い音楽までさまざまな音楽が音源化されていますから。もともとレコード会社はアメリカに来る欧州の移民向けの音源を作っていたこともあり、案外フットワークが軽いのかもしれません。

アメリカ合衆国には人種差別の歴史はあるんですがあ、音楽の音源については流動化していく側面もあるみたいですよね。

主要なレコード会社がニューヨークにあるという点も理由になるんだと思います。

1942年にビルボート誌は the “most popular records in Harlem” というチャートを手掛けだすんです。ニューヨークのハーレム地区で最も人気のあるレコードという意味です。ジャズやスウィングといった洗練された音楽のチャートです。そこからアフリカ大陸にルーツをもつアメリカ人のレコードをおそらく全面的に扱うことになったのかもしれませんが(ニューヨークという大都市に限らないという意味です)、1945年には”race records”のチャートへと変化しています。著名な音楽ジャーナリストの進言もあって、1949年の6月から“rhythm and blues”のチャートへと変化しています。

ジュークボックスの再生回数ってなに?という話なんですが。

ジュークボックスってこんなものなんです。

食事をするダイナーやバーや娯楽施設なんかに広く置かれていた歴史がアメリカ合衆国にはあるんです。たまに古いアメリカ合衆国の映画でもみかけますよね?

自動蓄音機が基になっていて、硬貨を入れてレコードを再生させる装置になっています。

1940年代から1960年代半ばまでに、アメリカ合衆国全土に設置されるのです。1950年代に幅広く設置されたようです。ビルボードは再生回数のデータをあげてチャートを作成していたんですって。

ここにSun Recordsがつけいる隙があったんだと思います。あくまで南部の、地域の音楽なんですが。

そして、土地ごとにあるbluesですが。Sun Recordsが背景とするMemphisにもmemphis bluesがあります。

有名なmemphis bluesの音楽家のひとりが、 “Howlin’ Wolf”ことChester Arthur Burnettさんです。

1910年、ミシシッピ州ホワイトステーションにお生まれで、1930年代にはCharley Pattonさんに師事をなさって、後にミシシッピデルタを本拠地とするbluesの音楽家になります。そして、Sun RecordsのSam Phillipsさんがプロデュースをしています。”Moanin’ at Midnight”というシングルをMemphis Recording Serviceで録音します。Memphis Recording Serviceはイリノイ州のシカゴにあるChess Recordsと当時提携をしていて(Kings of RhythmがJackie Brenston and His Delta Catsという異なるバンド名で全米1位をとったときも、このレコード会社からシングルが出ています)、Chess Recordsからのシングルになっています。この時点では、まだSun Recordsが設立に至ってないのです。Jackie Brenston and His Delta Catsの “Rocket 88″の成功によって資金を得て、1952年の2月にSun Recordsが設立をされます。 “Moanin’ at Midnight”/”How Many More Years”の収録曲2曲になっていて、それぞれA面、B面になっています。ビルボード誌のR&Bチャートで健闘したんです。

Sam Phillipsさんは重要なbluesの音楽家を世に出したんです。

“Moanin’ at Midnight”を聴いてみましょう。

とんでもなくかっこいいんですよ。

1951年にリリースされた音楽としては本当に先鋭的で。どんな才能の持ち主なんだという。

“How Many More Years”も聴いてみましょう。

どうしてこのシングルが当時全米1位をとらなかったんだ、という。

“Moanin’ at Midnight”はジュークボックスでよくプレイされた楽曲として1951年に10位を記録して、”How Many More Years”は1952年に4位だったそうです。

時代を先取りしすぎていたのかもしれません。

実は、Jackie Brenston and His Delta Catsという奇妙な名前になってしまったKings of RhythmのメンバーであるIke Turnerさんがどうやら、Chester Arthur Burnettのパフォーマンスを見て、Sun RecordsのSam Phillipsさんに紹介したようです。実はアシスタントとして働いてらっしゃったそうです。

PhillipsさんはChester Arthur Burnettさんのパフォーマンスに非常に感銘を受けたそうです。

Memphisには他にもレコード・レーベルがあり、Duke RecordsやSatellite Records(後のStax Records)があります。

Satellite Recordsは1957年に音楽プロデューサーのJim Stewartとお姉さまのEstelle Axtonによっておおきくなっています。最初はガレージで起業していたそうですよ。Duke Recordsは 1952年に、WDIAというラジオ局でプログラムディレクター、DJとして活躍していたDavid James MattisさんとTri-State Recording CompanyのオーナーであるBill Fitzgeraldさんによって創業されています。

Sun Recordsを含めてなんですが、黒人音楽やR&Bやロカビリーに強いレコード会社がMemphisで起業されるんです。

そして、ニューヨークとは別に当時の音楽市場の大きな中心地があるんです。

ロサンゼルスです。アフリカ大陸にルーツをもつアメリカ人の音楽を、コーカソイドの、欧州からの移民で形成されているアメリカ人に訴えて、市場拡大を頑張った家族経営のレコード会社があるんです。

Lester Louis Bihari (1912-1983)、Julius Jeramiah Bihari (1913-1984)、Saul Samuel Bihari (1918-1975)、Joseph Bihari (1925-2013)の4人のハンガリー系のユダヤのアメリカ人のご兄弟が尽力をなさるんです。実際にご兄弟のみなさんは欧州からアメリカに移住したんです。オクラホマ州のタルサに暮らした後に、1941年にロサンゼルスに移られてジュークボックスを扱うお仕事をなさるんです。レコードの小売りの立場から音楽を支えて、レコード会社まで設立をするんです。ご家族でプレス工場を購入して、Juliusさんが新しい才能をみつけ音源を録音し、Saulさんは製造、Lesterさんが流通を担当なさっていたそうです。Josephさんは実はIke Turnerさんとともに、Memphisで新人発掘やスカウトをやっていたそうなんです。Ike Turnerさんはなぜか大活躍なんですよ。

ご兄弟は1950年代にいくつか子会社のレコード会社をもつんですが。

そのなかのひとつがMeteor Recordsです。1952年にLesterさんによって子会社としてMemphisに設立されて、Sun Recordsのように、地元の録音スタジオとして利用可能で、Memphis地域の才能を発掘し、音源を作り契約もするという、南部の音楽の才能発掘に特化したレコード会社だったんです。ただし、マーケティングをしっかりしていたそうで。1956年には、アメリカのロックンロールに興味をもつ10代は、ミシシッピデルタを中心とする南部のこの地域のbluesに興味を抱いていないということが明白になると、このレコード会社ごと会社を引き揚げるという苛烈な判断もしています。発掘したなかでも有名なのは、Elmore Jamesさんです。

ミシシッピ州のホルムズカウントリ、リッチモンドに1918年にお生まれで、12歳で音楽をはじめられたそうです。Robert Johnson、Kokomo Arnold、Tampa Redの音楽に影響をうけたそうです。

音源を聴いてみましょう。最初の音源は、1951年です。

次に挙げるのは、1961年の音源です。アメリカ合衆国のニューヨークの独立系のレコード会社であるFire recordsからシングルが出ているそうです。

スライドギター奏法です。音楽としてかなりレベルが高いんです。

Memphisで当時録音されたアフリカ大陸にルーツをもつアメリカ人の皆さんの音源のレベルは本当に高くて挙げだすと、正直言って、切りがないんです。

そして、特徴的なのはギターで。

南部の音楽は、ミシシッピデルタの音楽はギターなんです。

たくさんの音源があって。軒並みレベルが高いのです。

“King of Rocabilly”のCarl Perkinsさんが生れたのは1932年です。音源化されたいないだけで、とんでもないレベルの高い音楽が、子供のころから身の回りにあったことになります。

1940年代のレコードは蓄音機用のSPレコードが主流になると思います。その音源が、音源ではなく、生音として立ち上がる現場のレベルは、いまからだとわからないんです。1940年代の後半にLPレコードが登場をします。45回転シングルと33回転LPです。それまでは78回転なんです。

それでも、1952年にとんでもないレベルの音楽が、Memphisやミシシッピデルタ周辺にあったことは事実になります。

後にリバイバルもあるんですが。リバイバルの音源を聴いて、イギリスのバンドを組む当時の皆さんが南部の音楽に憧れたんです。ミシシッピデルタ周辺のアフリカ大陸にルーツをもつアメリカ人の皆さんが生み出した音楽にとても憧れを抱いたんです。

近所に住んでいたコーカソイドの欧州にルーツをもつはずのアメリカ人が憧れないというのは、不健全な話になるんです。

こういう音楽が近所にあって、ロカビリーが生まれないというほうがおかしいと思います。

1940年代にアメリカ合衆国の南部の音楽に注目がだんだんと集まりだし、ビルボード誌のチャートが整理され、地域地域のラジオ放送の影響のなかで音楽が聴かれる機会も増え、レコード会社やレコーディングスタジオの整備が南部で行われるようになり、南部の”blues”の音源化が進み、西海岸では、白人層に売り込もうとするハンガリー系の移民一家の尽力などもあり、南部の音楽に注目が集まるんです。ビルボードチャートにも成績を残せるようになるんです。そんな時代背景のなかで、ロカビリーが生まれるんですよ。

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