安倍政権が長かった時に、Twitterで見かける言葉がありました。「ネット右翼」という言葉です。ネットで右翼です。すべての人に開かれた言論空間で、right wingsって不思議な光景だなぁーと思っていました。今でも不思議です。言説は正直追っていません。
ただ、悩んだことがあるんです。「右翼」と言及するからには立脚点が必要になるはず、それはどこになるんだろう、果たしてそんなもの存在するんだろうか?日本の近現代史上で、と悩みました。日本の近現代史においてヨーロッパの王室に当たるものはあるけれど、例えばフランスのジャコバン派に相当するものが日本で成立可能なんだろうかと考えると、むつかしそうなんですよ。
なので、Wikipediaを読んでみたんです。

「日本の右翼思想の源流は、江戸時代後期の国学者が標榜した国粋主義や皇国史観、水戸学、平野国臣らなどが挙げられる」と記載がありました。
日本の右翼の源流は明治政府によって、その思想体系は回収が済んでいるということになります。明治政府から令和の現在の日本政府に根本的な差異はないんです。明治の法整備は令和のいまにも続いていて、時代とかみ合わないものに関しては改正がなされています。
では、戦争が分断を呼んだのではという議論もあるのかもしれませんが。世界で最後の世界大戦で静観していたアメリカを事実上引きずり込んで泥沼化させた当事国は日本になります。
なので国際裁判も開かれました。
天皇の戦争責任はという問題点がありますが。神頼みで戦争をしつづけたという不合理は共和制度を敷いたアメリカに通用しません。アメリカの制度設計は君主制ではなく、共和制なんです。
政治的な判断で象徴として皇室が残される判断がされて、日本の法整備が古いので、新しい法整備には当時のアメリカでもむつかしかった概念が複数導入されるという結構画期的なことが起こったんです。ただし、明治から令和まで法整備というのは一貫性が、日本の場合はあります。

太平洋戦争は世界で宗教戦争とはとらえられないはずです。なので、東京裁判では戦犯としていろんな人が裁かれています。また、靖国神社は元々、明治維新の折に、当時の左翼に当たる人々を回収した神社なります。なので、右翼のよりどころに靖国神社なるという論拠がまず間違いなのです。明治天皇が鎮魂のために立てた神社なのです。歴代の天皇が個人で建てた神社になるので、歴代の皇室がお参りするのは明治神宮になります。近代日本の礎を築く大きなきっかけを作ったのが明治天皇で、その明治天皇のための神社になるからです。
「右翼」と呼ばれる人たちが靖国にこだわっている時点で、左翼と右翼が転倒を起こすという齟齬を見過ごしていることになり、論拠がないのです。近代国家の礎になった明治維新からずーっと戦争で亡くなったひとの鎮魂のための神社になります。

じゃあ、日本が今後、自衛隊を増強し戦争に参加するかというと、ないと思います。現代では「戦争」は経済的に無利益しかもたらさないという意見が主流です。最近、戦争について現実味をもたせようとしたのは、ビジネスマン大統領のトランプさんと、KGB時代の悪夢を引きずっているプーチンさんだけです。実際にプーチンさんにロシアの国としての制度設計は社会主義ですか?と問いを突き付けても答えられないですよ。どう考えても民主主義体制です。NATOがなんで将来的にロシアに軍備を派遣する余地があるのか、具体的な立脚点なんてあり得ません。ロシアの一部の地域が独立してNATO加盟を目指すことと止める道義的理由はロシアには存在しませんしね。
じゃあ、左翼は?となると、日本の場合は文学的根拠としかとらえられない事象になります。

1960年代に大学が学生に封鎖をされたという事実はありますが、それで国会が空転したという事実がないからです。
大体、マルクスが「貨幣の概念」から離れたところで議論はまったくしていないのです。また、今回はじめて、日本共産党綱領を読みましたが、世界の近現代史の知識がなさすぎます。
この党の人たちのアイディアの中にあるのは、アメリカと旧ソ連に挟まれた日本という架空の国です。ヨーロッパの現状もアジアの現状もなにも反映されていません。
「社会主義・共産主義への前進の方向を探究することは、日本だけの問題ではない。」って書かれてありますが、レーニンなんて日本に根付かないですからね。隣の中国のマオイズムとの差異をどう言語化するつもりなんでしょうか?どうせ出来ないんだと思います。
日本の右翼という概念も立脚点がなく、日本の左翼という概念にも立脚点はないのです。
「ネット右翼」にも、「ネット左翼(?)」にも根拠がないのです。お互い、日々の不満を別なものに置き換えて短絡的にぶつけ合っているとしたら、浅はかとしか言いようがありません。
日本の政党もきちんと勉強しなおすべきだと思います。現状認識が甘すぎます。
日本にパロールが根付かないのはもう言語の問題なのでしょうがないのですが。きちんと道筋をたどって考えるという能力すらないというのはかなり問題があると思います。二項対立というのは短絡的な対立を生みやすいのは確かで、そこできちんと思考の手続きを取らずに、根拠のない言論に惑わされるという状況は本当に問題だと思います。そのうち、文部科学省が整備をし直すんだと思いますよ。浅はかすぎます。