今年、日本は戦争を恒久的に放棄して80年たちます。
80年間も戦争を恒久的に放棄するって先進国では珍しいのかもしれませんが。
どんな文句を言われようが、どんなに軍隊出さへんっておかしない?って言われようが。
戦争に加担をしなかったという事実の連綿たる積み重ねは大事だと、個人的には、思っています。
ノーラン監督は『オッペンハイマー』を創りましたが。そこまでわたしにとって重要な映画にはならなかったんです。理由はあるんですよ。
オッペンハイマーさん自身が生涯を通して、核の投下に人生を左右され続けるというの事実ですし。科学者として、かなりの苦しみを抱えたのは事実です。核の投下の問題自体がアメリカの科学者の踏み絵のような存在になっているのは事実なんです。そこまで強いるのはどうかなとは投下された歴史を持つ国の人間として悩むところです。
日本とアメリカ合衆国は友好関係を築いて長いですし。
加害者になったという事実は、誰しもが忌避したい現実というのは理解できますよ。
核の投下以前に、戦争自体に意味がないという精神性を日本の教育というのは日本人に課すんです。
そこの重みというのは、日本で生まれて育った人にしかわからないと思っています。
日本にも太平洋戦争を舞台とした映画はたくさんあります。
戦争の記憶を風化させないようにと国民のレベルで躍起になったりもします。表立った動きにはなりませんよ。各自ができる範囲内でという動きになります。
無知な政治家は戦争を利用しようとします。日本人の政治家でも例外はないです。

日本は、明治から政体が変化したんですね。
天皇が納める治世(実際に実務を行うのは天皇ではないですが)に戻すという建前があったんですが、その政体への移行期に内乱があって、多くの死者を出したんです。
明治天皇はわざわざ招魂社、つまり、内乱で生まれた死者を祭るための神社をおつくりになったそうです。
わたしは宗教を持たないので、死者を弔うのに、どこかに祭らないといけないという精神性は直接的には理解できないんですが。
第2次世界大戦から太平洋戦争の終息まで、当時の日本はいまの日本と異なるんですよ、支配地域をもっていましたし。いまでは別の国のパスポートになる人も、当時は日本人に該当をしてしまい、戦争に駆り出されて、非業の死を遂げるという不幸に見舞われたという事実はあります。
戦争などの死者を祭る神社は、実質、靖国神社しかないので。そういう悲しい死の迎え方をした皆さんから、戦争を先導した戦犯に至るまで、一切合切を弔う神社になっています。
戦争という不幸を乗り越えるときに、一切合切を引き受ける場所が当時の日本人には必要だったのかもしれませんよね。
遠い過去の記憶になるので。詳細な事実までは正直遠いです。
日本の政治家はそれを票集めのために利用してきた背景があります。
それぞれの場所で戦後をどう乗り越えるのか、しかも黙ってどう乗り越えるのか、という戦中戦後の日本人の気持ちを延々と政治利用してきたという歴史がそうさせるのかもしれません。

また、戦後の第9条の扱いについては議論もありますが、第9条があるからこそ、戦争を恒久的に放棄することができているという現実をきちんと見据えている政治家は少ないと思ってます。
戦争を恒久的に放棄したので、戦後の経済成長期には、韓国や中国やアジア地域を経済的に支援するという方策が打てたんだと思います。日本が累積でアジアの経済発展のために拠出した金額というのは、どの先進国の他国への経済支援の総額にも負けないと思います。
いまでは経済力も底打ちしている日本になりますが。実質的な経済としては底を打っている現状になります。そうじゃないとインバウンドの対象にはならないでしょうし。
支配を受けた地域のみなさんの視点もあるんだと思うんですが。
日本が支配地域においた国や地域で、軍備を恒久的に放棄するという段階に到達した国には残念ながら皆無です。
他国から日本はあほやなって思われようが、日本は戦争はしません。

そこは日本の教育の勝利だと思っています。
戦争は経済的貧困しか招かないですし。当たり前の正義が全く通用しない無秩序な状態を招きます。
視野は狭まりますし、排外主義が横行しますし、思想統制も行われます。
ろくでもないです。
靖国神社の存在の危うさを利用して、票集めに奔走している政治家なんて浅はかですし。
靖国神社の存在の脆さに乗じている極右なんて単なる暴徒です。
明治天皇が鎮魂社を作らなかったらという状況を想定できていません。明治天皇が作ったとされますが、時の政府の判断がないと鎮魂社は作られませんし。
通時的な歴史観の対象として靖国神社の存在が対置化されてこなかったので、政治利用されるんですよ。
日本の政治において、宗教分離がきちんとなされるようになったら、利用価値として意味をなさなくなる可能性すらあるんです。
それほどまでに靖国神社の歴史というのは紛争や戦争の負の面を一心に背負った歴史になるんだと思っています。
国内外で様々な議論はあっていいんだと思うんです。
ただし、戦争に傾くという状況をその可能性の萌芽をいちいち摘んでいくというのは、ほとんど日本人の本能にちかい動きにもなっています。護憲派ってヤンキー以上の行動はとれないんですよ。責任感がないですし、責任の所在を問われたときに、まともなヤンキー以上の対応はとれません。
責任感が伴っていないので、護憲派としての振る舞いが単なるヤンキーなんです。
ここで言うヤンキーはアメリカ合衆国のヤンキーではなく、日本の造語のヤンキーです。

戦争の火種になるものをアジアから排除するというのは現状困難かもしれません。
ただし、日本は加担は一切しないという姿勢を取ると思いますし。日本だけができるという状況も大事なんだと思います。
戦後、80年も経つと、戦争という存在は完全なる負の存在として日本人の精神性に喰いこんでいるので、単純なポストコロニアルのような視点って日本には通用しないんです。延々と経済支援を続けて、一方で戦争は恒久的に放棄しているんです。俗に左翼とよばれる論客のみなさんがアジアへのお詫びの姿勢の堅守を訴えますが。極右と肉薄している、その精神性には論客の皆さんは気づけていません。詫びるという姿勢には、自分たちが対象者に対して常に優位な存在であるという倒錯性を内在化させているという現実に気づいていないんです。左翼は右翼と紙一重なんです。日本での右翼、左翼の議論ほど意味をなさないものはないと思っています。どちらの側にしろ、常に高みの見物なんですよ。その現場で辛さを一心に受けている人たちに対して、ずっと評論家然とした姿勢を崩さないので。左翼も右翼も意味がないんです。寄り添った気持ちなんて、ある意味失礼だよなという状況はあると思います。例えば、日本と韓国を同じ次元に置きたいという倒錯に陥っている論客もいるでしょ?別の国で、別の形態の法治国家なのに。精神性としては韓国のカルト宗教に近いものがありますよね。韓国の当局の皆さん、頑張ってくださいね。日本人が安倍政権を含めてひどい状況に置かれるという事態になったわけですから。韓国の皆さんはさらにお辛い状況にも見舞われている可能性はありますよね。韓国の法律のなかでの判断が必須になると思います。頑張ってください。あの精神性は全く必要ありません。