1951年のバイロイト

フルトヴェングラーの評価というのは、むつかしい点もあるのだと思います。ナチス占領下のドイツからフェルトヴェングラーは亡命しなかったんです。

私はドイツ音楽(クラシック音楽用語としての)にはそれほど詳しくはありませんが。ベルリンフィルを投げ出してしまうことができなかったのではないだろうかと思ったりもします。

ナチスドイツに実際にフェルトヴェングラーは利用されもします。

ただし、フェルトヴェングラーはナチスドイツ下で故意にベートーヴェンの演奏を、特に第九の演奏を避けていたようにも思えます。だだし、実際は演奏はされているんです。

どんな思いで指揮を振るっただろうかと思うこともあります。ベートーヴェンの第九の意味をフェルトヴェングラーは知悉していたようにも思えるんです。残された言葉に「芸術とは非大衆的なものではあるが常に大衆に向かって語りかけようとする」という言葉があり、この言葉とベートーヴェンの神髄はどこかで邂逅していくような気もします。

私が持っているアルバムは第2次世界大戦後の1951年のバイロイトです。実はフェルトヴェングラーの最初の第九の演奏の記録でもあります。

戦後のバイロイトのこのフェルトベングラーの第九は、やはり質がとても高いのです。フェルトベングラーのベートーヴェンへの理解の繊細さとある意味没入感といったものが、明確にあり、それが感動を呼ぶのかもしれないと思います。

確か、ベルリンフィルのものは残されていないと思うのですが。それがフェルトベングラーの意思だったようにも思えます。

私は、このCDを一生手放す気はないんです。1951年のバイロイトですが。とても感動的なんです。録音状態は決していいものではないのですが。これほどまでに感動的な第九を後に聞いたことがないからかもしれません。

プーチンさんに音楽の政治利用が出来る能力はありません。芸術に対する理解力が乏しいからです。ウクライナの皆さんの心や、ロシアの皆さんの傷ついた心のために音楽が存在できるといいなと思います。どんな規模でも構わないと思うんです。音楽って傷ついた心を癒す力が実際にあるからです。

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