感情のコントロールできますか?

ベンサムがそのアイディアを傾けたパノプティコンって、実際役に立つものなんだろうか?と思ったりもしますが。

監獄のアイディアなんですよ。「犯罪者を恒常的な監視下におけば、彼らに生産的労働習慣を身につけさせられる」というアイディアなんだそうです。

実際のベンサムのアイディアと、それを応用したフーコーの概念は、少し違っています。

ベンサムの場合は、収監される囚人に対して、担当できる看守が少ないという点が前提になります。

18世紀のイングランドのアイディアですから。

18世紀のイングランドの監獄の環境は劣悪で、破産しても投獄されますし、犯罪を犯しても投獄をされるんです。

基本のアイディアとしては、看守がいつも収監されている囚人をみているような状況を作るんです。看守が実際に少ないことが前提のはずです。つまり、収監されている囚人同士の摩擦をさけるためと考えるべきだとは思うんですが。

フランス人のフーコーの場合は、それを社会に当てはめて思考するんです。『監獄の誕生』という著書です。単行本はあります。大学の図書館には所蔵しておいてほしいなと思っていますが。どうなんでしょうね?

社会を考えるので、ヒトはいざとなったときに、どこまで残酷な存在になるのか頭にいれてから、ついてきなさいという形の本になっています。

最近では、social media、いわゆるSNSがフーコーのアイディアに近いパノプティコンのような装置になっているという考え方もできるかもしれないと思います。

あくまで近いだけですが。

SNSという装置だけで完結するんですよ。規律と訓練は利用者の暗黙知に委ねられるので、おそらく、利用者の年齢が低く、日本の学校のように、一つの教室に常に詰め込まれるという閉鎖空間ができてしまうと、犯罪に近づく可能性もあるのかもしれないけれど、自制できるようになってほしいとは思っています。

学校のいじめ、警察に通報すべき19事例を明示…文部科学省 : 読売新聞 (yomiuri.co.jp)

文科省は、悪質な場合は、警察に対応してもらってくださいと指針を出しています。

学校という場所は、教育の現場ではあるけれど、躾の場としてとらえらえるには、既に許容量を超えている状態が恒常化してしまっているのかもしれません。

警察が最終的に機能すると、日本の法律の中での処罰対象になるので、大丈夫なんだろうかとも思いますが。

実際に、未成年でも、劣悪な場合は処罰対象になる現実は少なからずあるみたいです。

いじめに加担するような状況がやってきたときに、のらりくらりとかわす能力は、実は子供たちの方が巧みなのではないのかなと思います。

個人情報をうまく取り扱えてないのは大人の方かもしれませんね。私は本当に必要なところ以外は、偽の情報しか入力しないようにしています。欧州のレベルに近づけようと個人情報保護法も整備はされていますが。罰則がまだ緩いので、日本の場合は個人情報が漏れやすいのです。日本の各家庭で固定電話の活躍がむつかしい時代が形成されていますからね。名簿業者って、通常は個人情報保護法案に違反しているので、そこで警察が頑張るべきなんですが。その前にきちんとした法整備が急がれます。例えば、欧州でオレオレ詐欺って成立するのでしょうか?欧州委員会のレベルから考えても、日本ってざるだと思います。

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