実は、本屋さんで手に取ったこともあるんですよ。
ただ、非常に読みにくい構成になっていて。買うのを挫折したエッセイがあるんです。

Kindleだと、読みやすそうですよね。Kindleを買うかどうかは、この1年間の個人的な調査にかかっているので、読むかどうかはまだ未定ですが。
購入したら、買うんだろうなーと思います。
村上さんは新作が出ると英文学ではイシグロさんは読むそうなんですね。
イシグロさんがいろんな協力をなさった、脚本まで書いてしまった映画があるんですよ。
私はまだ観ていないんですが。
『生きるーLiving』という作品で、黒澤作品の『生きる』をベースにした作品だそうです。

映画祭でのインタビューを観たんですが。
あのイシグロさんはあくまでイングランド人なんですね。イングランド人だなぁーと思いました。
発想については日本人では全く思いつかない斬新さがあるんですよ。想像力が日本人の固定概念を超えるんですね。
黒澤監督で俳優の志村喬さんは常連の俳優さんになります。そして、小津作品で、笠智衆さんは常連の俳優さんになります。映画祭のインタビューなので、どこまで本気に受け止めていいのかわからなかったんですが。映画のベースは黒澤作品なんですが、志村喬さんではなく、笠智衆さんが主演を務めたらどうだったんだろうという発想もあったんですよというような発言をイシグロさんがなさっていて。
え?黒澤監督は、志村喬さんが主演をすることを前提として『生きる』を制作したはずで、だからこそ、『生きる』が成立している部分はかなり大きく、黒澤監督が、笠智衆さんを映像作品に起用するかというと、俳優さんの質としてもむつかしいと思いますという、日本人ならではの常識的な発想がないんです。
イングランドのひとだなぁーと思いました。

インタビューを観ながら、日本人の発想に、特に映画好きの発想にそれはないなぁーと思います。
村上さんに対する質問になりますが。「作家さんが好きな作家さんに興味があります」なので、別の作家にも興味があるかもしれませんよね。
私が好きな作家である内田百閒先生は、夏目漱石が好きなんですよ。夏目漱石はお弟子さんが数多くいて、そのひとりが内田百閒先生なんですね。どちらの作家も大学で教鞭をとった先生になります。
夏目漱石先生は木曜日に自宅の書斎を、弟子にある意味開放していて、木曜日にお弟子さんが夏目先生の部屋に集うんです。
とある日に酷い雷が外で鳴ります。百閒先生は雷が苦手なんですね。体を丸めて怖がる百閒先生を夏目先生は心配するんです。百閒先生は雷を怖がっているからです。おうちの方に内田君はビールが好きなはずだ、ビールをもってきなさいと云いつけて、ビールが書斎に届けられたそうなんですが。
雷がある程度収まって、百閒先生がふと見上げた先にあった顔は、お酒を全く呑めない夏目先生が場を収めるべく慌ててビールを飲んでしまい、真っ赤になってしまった表情だったそうです。
夏目漱石の専門はイギリス文学なんですよ。
随筆に「漱石先生の書き潰し原稿」という小品があります。
百閒先生は「漱石先生が朝日新聞に「道草」を連載せられた当時」と書き始めるんですが。

漱石先生は原稿を書くとき、消した部分や書き直しがある原稿に関しては、そのたびに新しい原稿に清書をしなおしていたそうなんです。どうやら。そういう書き潰しの原稿がうずたかく積もっていくそうなんですね。要らない原稿に関してはきちんと同じ場所に一枚一枚重ねて置くそうなんですよ。
後始末が楽そうですよね。
同じ門弟のご友人と勇気をだして、その要らない原稿をくださいと漱石先生に恐る恐る申し出ると、漱石先生にそんなものがいるんなら持って行っていいよと、こたえを貰い、その場で3人で分けたのだそうです。
通常は、そういうことはいわない漱石先生なんだそうですが。タイミングがよかったみたいです。
実は、百閒先生は、漱石先生にいろんな書を書いてもらっているんですよ。
そして、ふいに漱石先生が百閒先生のところに立ち寄られたことがあったそうです。
百閒先生は、漱石先生が大好きなので、いただいた書を、部屋に飾っているんですよ。
あちらこちらに。
「智に働けば角が立つ、情に棹させば流される、意地を通せば窮屈だ、という草枕の冒頭の句を望まれて、漱石」とか飾ってあるんですよ。掛け軸にされて飾られているんです。
漱石先生は段々むつかしい表情になっていったそうです。

数日後に、漱石先生から百閒先生のもとにお手紙が届いたそうです。百閒先生によるまとめによると「ああ云うまづい物を掛けておかれると気持が悪いから、自分の所に持って来て、破かせろ、代りには新しい物を書いてやるとあった」とあります、実際に漱石先生が書いた手紙の文章はおそらく違うんでしょうが、こういう意味で受け取りなさいっという筆致で書いてあったようなんです。
百閒先生も譲りません。せっかく大事にしておいたのにという気持ちの持って行き所がみつからないからです。
漱石先生のもとを訪れて、勘弁してくださいと頼んだそうなんですが。百閒先生の先生ですから、頑固さでは漱石先生の方が上回っています。
「僕のいやな物を掛けておいたつて仕様がないではないか」という言葉を受けて観念したそうです。
結局、漱石先生の言うとおりになったそうです。
むかしは、作家さんが好きな作家さんと師弟関係にあったりしたので。
日本近代文学の礎が築かれる最中って、大変だったそうです。
村上さんの小説の読み進めはオーウェルの小説とおそらく何にも関係がない題材の第1巻で止まっています。なんでこんなに分冊しないといけないんだろうという疑問と、そのセクシュアリティは全くわかりませんというのも村上作品なので出てきますし。止まってますね。あれは上下巻でまとまらないのは何故なんでしょうか?全冊買える価格で、バルトの本が購入できますよ。だったら、バルトを選びますよ。