戦争がなかなか終わりませんね。

ロシアとウクライナの戦争が、なかなか終わりません。戦争って、終わってからではないと、どんな凄惨な出来事が、住む土地の人たちに訪れたのかというのは、わからないです。

戦争の本当の姿は、戦後にしかわかりません。

日本は憲法と法律が強固なので、武器支援はしません。1945年に太平洋戦争が終わり、憲法が大日本帝国憲法から、日本国憲法に代わった段階で、戦争を恒久的に放棄しています。

それだけ、太平洋戦争が苛烈だったということです。日本にとってもそうですし、アメリカにとってもそうだったそうです。

毎日新聞が出している毎日小学生新聞でも質問が来ているようです。

疑問氷解:日本はウクライナに武器を送れないのですか? | 毎日新聞 (mainichi.jp)

英訳しておきたいと思います。

Question. Why Japanese government cannot send weapons to Ukraine ?

Answer. The Constitution of Japan, which determines the crux what we are, who we are, features pacifism. Japanese goverment explains that the act for self-defense and war cannot coexist, and the Self-Defense Forces do not against The Constitution of Japan. So, the Japanese Self-Defense Forces preserve weapons and equipment, and they are restricted to supply them to other countries because of our pacifism.

The assault to Ukraine by Russia began from this February, Japanese goverment send the equipment, using for self-defense, for example, it is bulletproof vests and so on. About this condition, the two rules and regulations employed. Firstly, the laws of the Japanese Self-Defense Forces, which rule about how they must work, are admitted that they can transfer the needless equipment to the developing nations. Japanese goverment dicided to consider the particular equipment to be “unnecessary” and send it to Ukraine, but the “unnecessary” equipment must not kill a person and must not harm a person according to the laws, therefore, they must not deliver the weapons and bullets.

Secondary, Japanese goverment utilized the rules, The Three Principles on Transfer of Defense Equipment and Technology, which Abe regime created in 2014. The bulletproof vests could not transfer promptly, because they are treated as “defensive equipment”.

Before 2014, there were the rules of Three Principles on Arms Exports, which were enacted in 1967, when it was in the midst of the Cold War between U.S. and the Union of Soviet Socialist Republics. U.S. promotes a free trade, while the Soviet Union controlled the land and factories which have producted the crops and so on. In 1976, Japanese goverment decided the exclusion and delivered the equipment to nowhere, afterwards, the goverment loosened the strict rules and dicided to move the equipment toward the countries, such as U.S.

After 2014, The Three Principles on Transfer of Defense Equipment and Technology rule the conditon to deliver the equipment to the another country, which can only be useful for the peace among the nations and the security for Japanese and Japan under the idea of positive pacifism.

However, this rules regulate that Japanese goverment must not send the equipment toward the country being involved in a conflict. Then, Japanese goverment reconsider the idea of a country which is involved in a conflict, and the idea of the nation, which the United Nations Secruity Council would cope with for the solution. Then, the government decided Ukraine to be outside the regulations, which means Ukraine is not a country being involved in a conflict. There were arguments whether the supply of the equipment could be for the peacekeeping act, because Ukraine and Japan have few peace conventions according to the security pacts. Then, Japanese goverment revised the law and the regulations of The Three Principles on Transfer of Defense Equipment and Technology, about how the laws should be utilized, and added “Uklaine have been invaded and it is a violation of international law” to the entry which defines the condition to supply the equipment.

Mainichi Kodomo Shinbun

法律は法律ですし、日本は武器の輸出は禁止しているのです。なので、出来る範囲内で出来る法的整備をして、援助できる範囲内で、ウクライナを支援しています。 

それほどまでに、太平洋戦争というのは、日本にとって重い過去になります。

焦土と化した当時の日本人が恒久的に戦争を放棄したいと思ったんです。その上で、アメリカの草案もありますが、法律の整備は日本主導でおこなわれるので、日本人が憲法を作ったんです。

憲法を制定するというのは戦前、戦後を通じてとても重要な問題になりますし、戦前と戦後を知っていた当時の専門家や政治家や有権者がそれが妥当だとして、憲法が制定されたんです。日本国憲法の制定って「戦後」に向けての日本の軟着陸の離れ業のようになっているんです。

日本は太平洋戦争以後は、戦争に全く参加していません。

戦争の最中なので、日本人が体験した最後の戦争に関する映画を3本挙げることにします。

1本目です。

私が唯一持っている原田さんの映像作品になります。後は音楽作品しかもっていません。音楽家としての原田さんは知っていますが。俳優さんとしての原田さんはよくわかっていません。原田さん、本当に申し訳ありません。無知を恥じています。すみません。すごく、反省をしています。

戦争の実際は全く出てきません。怖い場面も全くないです。ですが、戦争って辛いなぁーと思わされる作品になります。

悦子さんには好きなひとがいるんですね。ですが、特攻隊員として志願してしまうんです。特攻隊員というのは、飛行機に乗ってそのままアメリカ軍の空母に突っ込んで自爆するので、死んでしまうんです。いまの常識からすると全く理解できない戦争中の日本の常識になります。

当時の日本政府は、徴兵制を敷いていて、戦争の末期になると、戦争に負ける可能性が高い戦況になっていても現実をきちんと見据える視座を持たずに、兵士になった国民に、自殺して戦争をしている相手の軍備を少しでも減らしなさいという、筋の通らない厳命を日本人に課していたのです。

好きな人は、自分が死を選んでいるので、悦子さんのことがおそらく好きなんですが、悦子さんの人生の今後そのものを心配するんですね。なので、自分の友人を、この人なら大丈夫という友人を、悦子さんにひき合わせるんです。明石さんは、特攻隊員の道を選んでしまうので、悦子さんに思いを告げることすらできないんです。なので、友人の永与さんを結婚相手としてどうですか?と紹介までするんです。

自分が死を選んでいるからといって、何故その選択肢なんですか?明石さん?って思うんですが。

明石さんが一生懸命考えた結果が、永与さんの紹介だったんです。永与さんはとてもいいひとなんですけど。どうして明石さんは永与さんって思ったんでしょうか?映画を観ているとわかるような気もします。

悦子さんは、いろんな人の感情があまり動かないように、悦子さんなりに振舞うんですね。明石さんの決断なんて知らないからです。お兄さん夫婦も途中までよくわかっていないんですよ。お姉さんの勘は鋭いんです。

悦子さんの身に起こったことは、当時の日本に沢山あったのかもしれません。観返すたびに、悦子さんはなんで黙っていたんだろう、知らなかったからしょうがないけど。知らせない明石さんの覚悟は徹底していて、気取られることがないので。むつかしかったんだろうなと思います。

当時の日本の閉塞感というのは、戦後75年をとっくのとうに過ぎていても、あまり変わっていません。

現在の日本政府も経済については、日本人に同じような苦役を課しています。日本の経済が縮小している現実があったとしても、それを無視して、国民に意味のわからない課税を敷いて、国際的な日本のイメージづくりに奔走するだけなので、日本のODAって世界で4位なんです。ODAというのは世界開発援助と訳されて、他国の支援のために国の税金を使うんです。日本人はこれから減りますし、人口減の局面を迎えるので、労働人口の総数が減ります。海外にばらまく税金があるならば、日本の国民の支援のために使うべきだという議論は、おそらく20年以上は続いていると思います。

本当に意味がわからないのは、日本人って子供の出産に関しては保険適用外の扱いなんです。皆保険制度を敷いている国で、こんな先進国は日本だけだと思っています。

では、2本目の映画です。

太平洋戦争が長引いて、苦しんでいたのは、日本だけではなかったそうなんです。クリント・イーストウッド監督作品です。経済的な打撃をかなり当時のアメリカは受けていたようなんです。

完全に真実の物語とは言えないんでしょうが、アメリカではかなり有名な彫像がモデルになっています。彫像のもとになった人々が戦争を体験して、苦しんでいる様子を描いています。

戦争ってどこの国が当事者になっても辛い思いしかないんだなぁーと思います。

アメリカでは、この映画は受け入れられなかったようで、検証の対象になったそうです。

ABCが記事にしていますが、星条旗は実は2回、掲げられたそうなんです。そして、原作者の父親がその一人ではなかった可能性も示唆しています。

‘Flags of Our Fathers’ Author Convinced His Father Was Not in Iconic Iwo Jima Photo – ABC News (go.com)

ただし、当時の太平洋戦争で、硫黄島での戦いで亡くなった人は日本にいますし、アメリカにもいるのが事実なんです。

戦争って辛い思いしか人に生み出さないという事実は伝わる映画になっています。

クリント・イーストウッド監督自身はバリバリの共産党員なんですが。

こういう映画を普通に撮るんですよ。

では、3本目です。

クリント・イーストウッド監督は、映画を作る時に、対の形にしたんです。アメリカ側からの視点を『父親たちの星条旗』という映画にして、日本側からの視点を『硫黄島からの手紙』という映画に仕立てています。

調べると、当時、クリント・イーストウッド監督が日本映画を撮ってしまったという悲しみのレヴューもあるんですが。

元々、マカロニウェスタン(アメリカ英語だとスパゲッティ・ウェスタンです)という出自のよくわからない西部劇の流行があり、そこに若きイーストウッド監督が俳優として活躍していたので、国際色豊かな映画でも大丈夫だったみたいです。監督としてだけでもかなりのキャリアを積んでいるので、日本語の映画だろうが、大丈夫なんですよ。イーストウッド監督は俳優さんでもありますしね。

Wikipediaで「硫黄島の戦い」を調べると、アメリカ軍が当初、5日で終わらせようとしていた戦いを、日本軍は1ヶ月以上引き延ばしたそうです。

日本人は19,900名が戦死、もしくは行方不明、アメリカ人は死者は6,821名・戦傷者は21,865名だそうです。

戦争って不毛ですよね。

戦後は、硫黄島には、元々住んでいた住民も、他の日本人も基本的に立ち入ることは禁止されています。基本的には自衛隊の管理する島になっています。

戦争自体があまりにすさまじかったので、そういう処置になったのかもしれません。

ノーラン監督の新作は日本では公開日が決まっていないそうです。最近の映画で日本で公開が遅れるのは珍しいと思いますが。SNSだといろんな感想があるみたいです。オッペンハイマー自身は現実に核兵器が使われるとまでは考えていなかったと思いますし、広島、長崎の当時の現状に関しては記録映画で、自分が創り出したものが現実にどう行使されたかに関しては、きちんと確認を取っています。科学者の鏡みたいなひとなので、きちんと確認をしています。後に、水爆に反対したために、赤狩りにあって、ずっと辛い思いをするんですね。研究者としてとても優れていた人なんですが。戦後、日本にも来日していますよ。ノーラン監督のオッペンハイマー像がどうなっているのかは、未見なのでわかりません。「科学者は罪を知った」というのはオッペンハイマーの有名な言葉になります。2022年12月に、オッペンハイマーを公職から事実上追放した事実に関して、米エネルギー省のグランホルム長官は、「処分の経過で偏見と不公正さを示す証拠が明らかになった」として処分の撤回をしています。なぜ、2022年に撤回になっているのか、文脈は知りませんが。科学者の誠実さというのをアメリカ政府が軽視したのは事実なんだと思います。英訳はさっさとやってしまったので、後で直しておきますね。後で、他の文章でも間違いには気づいていますが、いつ直すんでしょうね。そのうち、頑張りますっ。

error: Content is protected !!