頑張らないといけないとき。

そういう時って、大体、ひとりで頑張らないといけません。

ありますよね。あてにはされても、誰もあてにはできない状況って。

そういうときは、どうしていますか?

私は自分については自分で支えるようにしています。他人はあてにしません。

わたしは学生時代が長かったので、その時代で話をしますが。学生って、ひとりひとりの側面も持てば、世代としての側面ももつのかもしれません。そして、結局ひとくくりにされて、薄い学問、社会学みたいなものの餌食にされます。

ここで、ひとつの映画を紹介させてください。

辛い時にみると、心が案外ズタズタになる映画です。

『サンドラの週末』です。

私は、これを、サンドラよりもつらい状況で観たことがあります。

何度も言及しているように、精神科で誤診をされたときです。

自立支援を利用しているので、どこの病院でもいいというわけにはいきません。ひとつ、ひとつの病院をしらみつぶしに、セカンドオピニオンを取りたいのですがと、主治医の機嫌を損ねないように、日本の医療制度の制度設計をきちんと利用をして、尋ねて歩いたことがあります。

支えてくれる人もいない状況で、頑張っていました。

そして、セカンドオピニオンを引き受けてくれた病院で、更に発達障害ですと誤診をされました。

あのときほど、日本の精神医療の苛烈な現実を突きつけられたことはありません。

日本の医療で、こころをケアする精神科に、あなたはあなたではありません、あなたは今日からこういうレッテルですというシールをぺたっと貼り付けられるわけです。

誤った薬の投与ももれなくついてきます。

こころの調子は最悪なのですが、誰にも気取られてはいけない状況でもあったので、そのとき通っていた別のお医者さんで、思わず泣いてしまったこともありました。

お医者さんは、私は専門ではないけれど、大人の発達障害にはとてもみえないよ、と話を聞いてくれました。

私の脳幹をダメにした主治医が、信じられない誤診をしていて。

誤診を誤診だと判断をする基本的な機能が、どうも日本の精神医療にあまりない様子がうかがい知れました。

なので、基本的には、ひとを頼りにすることはやめています。

日本の制度設計は利用しています。

大事なことは、「わたしはわたしでしかない」と思って、出来ることをコツコツとやることだと思います。

等身大の自分でいると、周囲はきちんとあなたを理解してくれますよ。

あ、誤診だなって。

日本精神科医学会は、共犯を否定している精神科医がどうして精神医療の現場に誕生したかについて、来年のシンポジウムの3分の2を割くようにするといいんですよ。あの精神科医を生み出したのは、日本の精神医療の土壌になります。被害が起こった状況で法に訴えず、私刑行為を行うというのは、問題でしかありません。あの精神科医を生んだ土壌は、日本の精神科のそのままの現在地になると思います。

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