レヴィナスは?って気にしてくださる方に。

レヴィナスの『時間と他者』についての軽いエッセイについては、実は、精神的に追い詰められたときの処方箋としてやっているものなんですよ。

なので、レヴィナスのエッセイを始めたときには、若干追い詰められているときになるので、進まないということは、それだけ、辛い状況にはないという意味です。

実は、週に1回ペースで書ける内容なんですが。そこまで、奥深い内容でもないですし。

学生時代にあのレベルでレジュメ作って発表だと、自分の先生にめった刺しにされますし。

厳しい先生だったんですよ。

クッツェーがノーベル賞を受賞した後に、発表した文章の先生の翻訳がメールに届く感じでした。

わざわざ翻訳が届くので、先生、原文はどこですか?ってお返事できませんでした。

すいません。

フランス語の文法の援用だと、まず、めった刺しにあいます。

容赦はありません。

それでも、先生のおかげで、哲学に関する勉強の姿勢を学んだのは確かなんですよ。

いちから躾けられた感じです。

指導している学生については責任感を持っている先生で、知らない間に私の専門の作家の翻訳を読んでいて、あの翻訳でいいの?あれはダメなんじゃないの?って聞かれたり。

いち学生の私に、何も言える権利はないんですけれど。

別の時には、先生、翻訳が酷いんですよ。日本語の翻訳としてあれは酷いと思います、と愚痴ると、あのひとはあのひとで、どこどこ出身で、辛い生い立ちもあってと、いろんなことに詳しいんです。

大抵のことに関しては、怒られているので。

いちから躾けなおされている感じですよ。

日本語の文脈の読み解き方も習いました。

なので、誤読しないんですよ。躾けられてますから。

『ストーカー』を観たときには、私にとってはソダーバーグ作品で。

観ました。ソダーバーグ監督の映画でしょ?と聞くと、あれはダメ、タルコフスキー作品を観なさいと厳命が出て、結構映画館を探したんですが、上映がなく。

中古の1万円を超えたタルコフスキー作品のDVDを当時わざわざ買いましたからね。

その後に、ものすごい規格の古い再生のデッキとソフトを、これ要らない?欲しくない?って聞かれたときもありましたが。学校から、それを電車で持って帰る状況って大変なんですよと説明するのが面倒でしたし。きっと誰かが持って帰ったんだと思います。別の先生にはOED要らない?って聞かれたこともありました。基本のイギリスの英語辞典ですが、大きいんですよ。計10冊以上あります。袋に入れて肩に下げても、1冊の重量感があるので、辛いでしょうし。電車でとんでもない大きさの本を腕の中に大事にもっていても、電車内で浮くだけですしね。収納場所はかなり取ります。きっと誰かが要りますって持って帰ったんだと思います。

映画に関しては、タルコフスキー版を観て、あ、こっちの方がいいとは思ったんですが。

そうやって、鍛えらえてしまったのです。

私以上に、私に詳しいんですよ。

学会発表の経験はあるよ、英語で発表したんだよって聞かされて、え?学会が形成されていて、その後、消えたんですか?どういうことなんですか?とまではさすがに聞けませんでしたが。自然に散会したのかもしれませんし。大変だと思うんですよ。膨大な文献を網羅して専門文献を書いてますし。文献学って考えると、大変そうですよね。一応、ガリマール出版社が保管しているはずだとは思いますが。違うのでしょうか?記憶違いかもしれません。

へぇーって話を聞いていました。

確かに、私に対して私以上に詳しいんです。

なんでだろーって思うんですけど。そんな先生が私には複数形で存在します。

ひとって教育で形成されるんだなと思っています。

先生、カフカって家族に原稿朗読してましたよねーって聞くと、当時、そんなことしてないよと普通に訂正されていました。どこで勘違いしたんだろうって未だに思っています。カフカ自身は楽しんで小説群を書いたんですよ。池内先生の『となりのカフカ』で、カフカは『変身』に「小さな物語」と仮のタイトルをつけていて、カフェで友人たちに読み聞かせをしながら、自分でおもわず吹き出していたそうです。ドイツ語が理解できると理解できるユーモアがあるのかもしれません。日本人が最初に読むと驚いてしまうんですが。カフカって創作ノートに書き損じがほとんどないそうです。3つの小説を同時進行させていたようで、主人公の名前を9回書き間違えたそうです。なんだか、先生に、そもそも、育てた覚えはないって怒られそうな感じはします。

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