睡眠時に、夢なんて全くみないという人もいれば、よく夢をみる人もいますよね。
私は夢をみる派です。精神分析の基礎を築いたフロイトの有名なテーゼに「夢は欲望成就である」というものがあるのです。
起きた後にいったい何の欲望成就だったのだろうという夢をみたりします。
明晰夢(夢の中で夢であることを気付く夢)も、実はよくみます。

夢をみながら夢に気づくきっかけは、地理的な要因なのです。大体、実在の場所なのですが、あり得ない構造が繰り返し現れるのです。わかりやすい例えとして、公共交通機関が夢に出てくるとしますよね。
いつも使っている複数の公共交通機関のある特定の駅が無くなって久しいことになっていたり(夢のなかだからです)、乗り換えの場所の地理に明らかに現実のものと、夢ならではの架空のものが混ざり合って、信じられない駅の構造になっていたり(夢のなかだからです)。

あ、またこの夢だっとそれで夢をみながら気づいてしまうのです。
しかも、夢をみながら分析を加えてもいるので、朝起きると、かなり疲れているという奇妙な状態になります。
変でしょ?
夢をみて、地理的に非現実的な要素で、あ、これは夢なんだと気づいた上で、今の私にはこういう欲動や不安(あくまでフロイトの用語としての)があるから、夢の中で、こういう状況に陥っているはずで、だからこのような地理的展開になっていて、私はこの部分を打開したいと夢をみながら虚しい努力をしているんだぁーと夢の中で思考を展開しているのです。もちろん、途中で意図的に夢みながら、夢に変更を加えてもいくので正直、面倒くさいんです。どういう変更を加えていくかというと、悪夢にならないように、分析をしたおした上で、夢をみながら、別の夢に誘導していくという作業をしています。
別に明晰夢をみたくてみている訳では全くありません。この種の夢をみるときは基本的に途中で睡眠状態から起きることがないのです。
だれが、好き好んで、夢をみながら、その夢に対して夢みながら、分析をかけるんでしょうか?
フロイトに関しては、現代では通用しないと判断しているので、前時代的なものとして距離は取るようにしているのですが。
心理学の夢の研究でよく散見される「訓練を積んで明晰夢を見る能力を高めうる」などといった文言をオープンソースで見かけるたびに、実際にそれが、まるで習慣化されたように繰り返されると、実は、単なる脳の疲労にしか繋がらない現実に気づいてないのねって思ったりします。
フロイトを研究している研究者で、夢を治療に援用できるはずという姿勢をとっている人は一定数以上はいます。
自分で分析できる場合はね、と私の場合は思っています。
また、映画が本気で好きな皆さんは、映画の分析をなさったりもしますよね。
実は、本当に映画のような夢をみることもあるんです。フランス映画だったり、日本映画だったり、本当に映画みたいな夢なんです。
これも明らかに、明晰夢に分類できるのです。
夢見ながら、映画を観る姿勢になっています。普通に夢をみながら、映画を観るように感動したりもします。一方で、これは明らかに明晰夢で(結局、映画のような夢でも、現実と余りに遠く、内容に映画みたいにストーリーあり、また地理的要素や構造物的要素が濃いので、夢だと気づき、少し分析もするんですが)、途中で諦めて本当に映画を観るようにして、夢に没頭してしまう場合もあります。

そんな夢をみた朝は、やっぱり疲れています。
実は、夢なんかみないでぐっすりと眠りたいと思っています。なかなか叶わないですけれどね。
夢をみないという方が本当に羨ましいことがあります。例えば、映像作家のクリストファー・ノーランを変に持ち上げる精神科の研究医を私は信頼しないのです。新作は興味があれば観ますが、キューブリック監督の世界観を超えるほどの能力はノーラン監督にはないんです。