ライヴに行くよというみなさんが注意するべき点になります。
別にわざわざ言及する問題でもないんですが。
音響に関しては、整備するレベルが高ければ高いほど、実力の誤魔化しにはなります。
でかい会場で音響の柱を立てるでしょ?そこで出番になるのは音響担当の方の腕のよさになってしまうからなんですよ。
生音でどれだけ実力があるのかというのがベースになります。

音響の整備が高ければ高いほど、いわゆる生音が成立する余地が削られていく可能性は実際にあります。
私はライヴハウスに行くという習慣が実はないんです。出来れば、音源の時点でレベルが確保されているバンドや演奏家のライヴに行く方が、お金も時間も有意義に使えるからです。
なによりも大事にするのは、基本となる音源です。
そこで質の高さがある程度保証されている可能性を掴むと、ライヴに行きます。
音源でレベルがないと、どれだけ実力があると世間に認められている音楽家のライヴでも足を運ぶことは皆無になります。
例を挙げたいと思います。私はライヴの映像も持っています。だからこそ、音源で。
この曲については、実は音源が分かれています。幸宏さんは音楽をアレンジする音楽家だからです。
元々の音源は私が振り返ることができないほどの音源になります。
音源に参加なさっておられる皆さんは豪華です。割愛させていただきます。その紹介が趣旨ではありません。申し訳ありません。猛省しております。
アルファレコード時代の音源なので古いです。ですが、これが、幸宏さんの Still Walking to the Beat のベーシックになる音源です。基礎になる音源になると思います。Walking to the Beatです。
そして、月日が流れて、アレンジを変化させてらっしゃいます。セルフカバーという言葉は幸宏さんに、実は相応しくなく、過去の音源に対して、更に洗練させる、別の局面から楽曲を解釈しなおすという作業をなさるんですよ。そこまで、自分が作ってきた曲に対して、真正面から向かい合って更に進化をさせるという音楽家は昨今すくないと思います。
もちろん、歌詞も変わっていますし、ただし、基礎はここだというのは、聴いていると理解できるはずです。
歌詞を調べていただいても、理解できると思いますが、幸宏さんが楽曲を完全に手掛けてらっしゃるので、過去の音源に対峙して、更に洗練をくわえて、その時代性に合わせた音楽に進化をさせてらっしゃいます。
最初のライヴ音源の基礎になる音楽になります。
Still Walking To The Beatです。
幸宏さんは、1980年代のアルファレコード自体のご自身の楽曲については、きちんと版権の問題を含めて勘案をなさって、歌詞を書き換えながら、1980年代のオリジナルを自分で書き換えて、全体の曲の構成自体を更新をなさるんですよ。
変更点は細かいのですが、楽曲自体の良さをより時代の潮流に乗せてアップデートさせています。同時にひとつの楽曲なので、アルバムを構成するひとつの音源にもなりますが、前後の楽曲ときちんとバランスもとれています。
そして、冒頭のライヴ音源になるわけです。
冒頭のライヴ音源が簡単な構成ではないというのは、音楽を聴く人であれば、ピンっとくるはずだと思います。
そして、公式ではないのですが、1984年のライヴの映像です。幸宏さんのドラムを完全にコピーできるのはスティーヴさんになります。
1980年代はわかりませんが、誤魔化しは一切効かない状況でライヴをやってらっしゃることにかわりはありません。
ライヴの映像は最近みつけました。2010年代だと、日本人でも楽器の演奏の基礎技術の向上はあるので、海外から音楽家を集めなくてもこのレベルの音楽の構築は可能だと思います。
では、最初のLiveの音源の映像が少しだけあるので。
すごい構成になっていますよ。これこそ、誤魔化しは聴きませんし、スティーヴさんもいらっしゃいます。
幸宏さんのお祝いなのに、一番努力するのは幸宏さんになるんです。楽器の数は多いのですが、ひとつひとつの楽器の音は相殺されることなく、楽曲としての構成要素として成立をしているんです。音楽というのは、基本は生音になります。
楽器の数が多くても、お互いの音に耳を傾けないためにダメになるライヴは実際にあります。
そういう音楽家が総出で自分たちの演奏に自己満足するための音楽というのは、私個人は得意ではないんです。
私は鍛えられていますからね。基本は生音になります。ライヴを観に行くにあたっての基本になるのは、音源です。音源の質とライヴの質が同質というのが一番になります。
アレンジの幅はあっていいのです。ただし、レベルは同じというのが大事なんです。
幸宏さんはライヴは実は沢山こなしてらっしゃいますから。ライヴバンドはお出来になります。
ライヴバンドで大事になるのは、まず音源の質です。それから、その基準でどれだけの幅で、尚且つ、音源の質と同質なライヴが展開できるかになります。大事になるのは音源とどれぐらい拮抗して、それを超えるライヴになるかです。
幸宏さんはいつでも完璧でなんです。本当です。幸宏さんのライヴは完璧です。
音源とライヴが同質のクオリティになるのです。
音楽って誤魔化しは一切効きません。
ライヴによく行くという皆さんは音源と生音を大事になさってください。いわゆるアンプで増幅された音源で大丈夫ですよ。
ロックンロールだから誤魔化が効くかと、実は利きません。つまらない音楽なんて聴かないんですよ。構成と中身の実力が大事になります。
【追記】
Still Walking to The Beat に関しては、歌詞は天辰京子さんでした。天辰さんは幸宏さんと作詞で共作もあります。天辰さんの作詞で、幸宏さんが、これでいいと思われたのだと思います。幸宏さんも作詞を担当したり、いろんな作詞担当の方の歌詞をうたったりもなさいます。一度、ラジオで、”anew”という表現があるんだよねーっておっしゃっていて。ありますよーって、”afresh”とかもありまーすって思った後に、あ、どうしよう、事前に幸宏さんに伝えられないことがあるのかもしれない。でも、伝える立場にない、どうしよう、周囲の皆さん頑張ってくださいって思ったことがあります。「シティーポップ」という呼称は、電通がNHKの朝の情報番組を通して、突然、広告を打ち始めたもので、特定の音楽ジャンル名ではないです。英語としても成立しません。イングランドのひとに、へぇ、日本には “city pop”って音楽ジャンルがあるの?日本は歴史があるからねー、”borough pop” とか “village pop” とかいう表現もあるわけ?って詰問されそうですよね。理解していますよ、”pop”の表現の仕方は、通常だと名詞が形容詞化した表現になるので、”the popular songs” とか、”pop culture” という表現になるんですよね。広告代理店の電通と、NHKの朝の情報番組に、”pop”の通常の表現方法なんて理解できませんよ。情報弱者なので、適当な音楽ジャンルとして成立させようとして、適当な名前をつけて、ラベリングに失敗してるだけですよ。幸宏さんの知己のある方はイングランドにもアメリカにもいるのも知っています。英語でも米語でも表現方法として破綻しているのは知ってますよ。最終的に失笑されるのは電通の尻馬にのってしまった悲しい人々になります。音楽評論家がどこかで訂正をかけださないとまずいのは知ってますよ。良識の問題だというのも。日本には “city pop” という特有の表現があるらしいよ。日本にしかないらしいよ、なんでそんなところに幸宏さんの音楽がジャンル分けされているのか皆目見当がつかないよねって言われる風景は嫌です。アメリカの人たちの揶揄や、イングランド人の冷笑なんて、電通の頭の悪さには通用しません。無理です。実は、電通って拝金主義だけの日本の音楽の現場にとって敵みたいな存在なんですよって、伝えたいんですが。イングランドのひとや、スコッツのみなさんや、ウェールズのみなさんや、北アイルランドのみなさんや、隣国のアイルランドのひとたちに、あの電通グループの思考力のなさは伝わるだろうかとも思います。アメリカ人には、日本人って、だから残念なんや、しょうもないなって思われて、終いでしょうね。日本の音楽評論家のみなさん、頑張ってくださいね。あのセンスは私には理解不可能です。”city pop” って変な表現ですよね。Wikipediaにも項目ありますけど、英語としての表現能力がなく、言葉として存立不可なので、日本独自の音楽ジャンルに “undermined” されています。幸宏さんはニューウェイブなんです。電通って、勉強の脚力もないですよね。Wikipediaで幸宏さんを探して、”city pop” って記載されたら、最悪でしかないって思っています。記載はないですよ。ありえませんよ。ダメです、そんなの。
追記があるのは、それだけ、ベンゾジアゼピン離脱症候群の克服を頑張っている証拠だと思ってください。思っているよりも結構キツイです。ですけど、頑張りますっ。