音楽について調べている最中になります。所謂、R&Bにたどり着こうとして、周縁をぐるぐると廻っているだけという状況が続いています。
現在は、アメリカ南部から、地域が若干拡大していて、東海岸を貫くアパラチア山脈を望む地域から、五大湖辺りまでの広がりになっています。
アメリカは本当に広い国だなぁーって思ってますよ。音楽を調べているだけなのに。
言及することに関しても、アメリカ人のポピュラー音楽の研究者だと基礎知識になるのかもしれません。私の専門はイギリス文学ですし、アメリカに関して何の詳しい知識の持ち合わせもありません。
ちなみに、先祖の樹形図を探ったところで10世紀の日本にたどり着くだけです。そうです。イングランドではノルマンディー侵攻あたりだと思っていただいて、結構です。Norman Conquestのことですよ。

Hillbillyで引っかかって、Wikipediaでの情報整理をしました。Wikipediaで情報整理をしておくと、索引などから別のサイトを調べるにしても、調べやすいのかなと思ったんです。
“Hillbilly”は人々への呼称として主に使われるそうです。1929年から1939年に及ぶ大恐慌時代に、アパラチア山脈やオザーク高原などの山岳地帯に居住を移した当時のアメリカ人に対する呼称になるそうです。結構な広大な地域になるのですが、いいんでしょうか?
New York Journalに “a Hill-Billie”とはこういう人ですと初出(?)があるそうです。「Hill-Billieというのは、自由で、束縛されていないアラバマの白人の市民のことだ、彼は丘にすみ、特段何かしら言及されることもなく、服装も自由で、彼が話したいようにじゃべり、手持ちがある時にはウイスキーを飲んだりする。そして、気持ちのままに、回転式の拳銃をぶっ放したりする」そうです。つまり、保安官などの治安の外にいて、つまり、近代社会を形成する社会の外にいて、自由気ままに生きていて、ちなみに拳銃も所持していて、気ままに使ったりする無法者というところなのでしょうか?この種のステレオタイプ化された “hillbilly”像というのは、専門家の手によると議論が分かれるそうです。
ちなみに、あいつは”hillbilly”だねって言及されるときには、蔑称になるそうです。
そういう人たちが、アパラチア山脈からオザーク高原の山岳地帯に当時住んでいたそうです。
音楽のジャンル名でもあるんですよ。”Hillbilly”は。カバーするジャンルが広すぎるジャンル名になります。カバーしているのは、ブルーグラス、カントリー、ウェスタン、そして、ゴスペルです。

ちょっと、広すぎへん?hillbillyの音楽だけでかなり多様化してしまっているけど、大丈夫?ってなりますよね。
実は、とあるレーベルとプロデューサーの方が鍵になるんだそうです。
その前に、一般的に”hillbilly”の音楽と認知される音楽は”fiddle”が主役になる場面もあるそうです。Albert Green Hopkinsさんは、”hillbillly”を代表する音楽家になるそうです。
一般的には、Al Hopkinsさんとして有名で、ピアノ奏者でもあるそうなんですよ。
さて、鍵を握るレーベルとプロデューサーに話を戻します。
OKeh Recordsというレーベルと、Ralph Peerさんというプロデューサーになります。
OKeh Recordsのレーベルとしての歴史は古く、1918年にニューヨークで創立されています。アメリカに移住してくる移民向けに、ドイツ移民ならばドイツ移民のための、スウェーデン移民ならばスウェーデン移民のためのというかたちで、さまざまな音楽を提供していた時代もあったそうなんですが。1920年代に転換点があり、ニューオリンズのジャズバンドの音楽のレコードのリリースを手掛けだすのだそうです。実際に音源を探すと、ジャズバンドではなくなるんですよ。Wikipediaのむつかしさです。
Lonnie Johnsonさんは、1930年代のジャズの演奏形態に対して、画期的な影響を及ぼした人として有名なんだそうです。ギタリストとして、ブルースよりもジャズとしてカテゴライズされる傾向性があるそうなんですが、アルバムを一枚聴いても、これは”blues”以外の何物でもないという音楽です。しかも、ギターがとてもうまいんですよ。素晴らしいギター演奏になっています。ビルボードのチャートにも歴史があるんですが。1940年代には、”Race Records”というチャート名なんです。1949年に、”a Rhythm and Blues chart”に変更されるまでは。Tomorrow Nightは1947年に7週連続でチャート入りして最高位19位になっています。戦後にはイングランドにもツアーに行ったそうです。
そして、勿論、Wikipediaの正しさもあります。Louis Armstrongさんがこのレーベルからレコードを出しています。
レーベルとしても、Louis ArmstrongさんのHot FiveやHot Sevenの音楽は、最大のヒットになるんです。Louis Armstrongさんですから。ジャズですよね。
私がジャズが不得意だと感じてしまう一因ですが。ジャズだけでも種類が多く、単独の音楽ジャンルとして成立しては全くないというところが苦手である最大の要因になります。
OKeh Recordsという一つのレーベルに、1枚のアルバムを聴くと、ベースはどう考えてもブルースというLonnie Johnsonさんと、どう考えてもジャズという音楽を切り開いた、Louis Armstrongさんが併置されてしまうんですよ。You Don’t See Into the Blues Like Meというこのレーベルから出された、Lonnie Johnsonさんの楽曲を聴くとブルース以外のなにものでもないという。
このレーベル自体は、1926年にColumbia Recordsに売却をされてしまうそうです。
そして、鍵になるプロデューサーです。Ralph Sylvester Peerさんです。新人発掘から、録音のエンジニア、そして、プロデューサーまで務める才覚の持ち主なんですよ。
実は、Ralph PeerさんはニューヨークのOKeh Recordsにお勤めだったんです。どんな音楽を手掛けられたか興味がありますよね。実は、ホーンセクションを多用したブルースになります。
そして、Ralph Peerさんの手掛ける音楽は幅が広いんです。
ブルース、ジャズだけではなく、カントリー音楽まで手広いんですよ。
William Shakespeare Haysさんというアメリカの詩人で作詞も手掛けるそうなんですが、1871年に後にアメリカでも広く知られる曲の歌詞を書いたそうなんです。The Little Old Log Cabin in the Laneという作品で、これをFiddlin’ John Carsonさんが、レコードにして全米でも広く知られることになるそうです。その楽曲を手掛けたのは、Ralph Peerさんになります。プロデュースをしているそうなんです。
Fiddlin’ John Carsonさんは、ジャンルとしては、カントリーにもなれば、”hillbilly”にもなります。
Bristol sessionsと呼ばれるそうなんですが。Peerさんはレコーディングの質から、売れるんだろうかと不安を持ったこともあったそうなんです。ですが、500枚のレコードが瞬く間に売り切れてしまい(当時と今とではレコードの価値が違ったんでしょうね。一枚のレコードの価格も違ったでしょうし。日本でいうと、大正期の100円と現在の100円ぐらいの価値の差はありそうですしね。本当でしょうか?)、”hillbilly”というジャンルのポテンシャルを感じざるを得ない、レコーディングになったそうです。
このセッションに参加なさっていたJames Charles Rodgersさんは、カントリー音楽の父として有名なんだそうです。実はヨーデルの歌唱法を応用させてらっしゃっていて、”Blue Yodel”とアメリカでは呼ばれるそうです。欧州のアルプスにお住いの皆さんも驚きですよね。Rodgersさんはミシシッピー州のご出身です。
そして、Peerさんはご自身のレコード会社を作ってしまうんですよ。Southern Music Publishing Companyというレコード会社です。
第2次大戦中も頑張っていて、レコードをきちんと作ったそうなんですよ。
コロムビアのヴァージョンですが、元は、Southern Music Publishing Companyの録音になるみたいです。
Jimmie DavisさんのYou Are My Sunshineも手掛けてらっしゃいます。
この楽曲は、ルイジアナ州の州の歌になっているそうです。つまり、ルイジアナ州のアンセムです。
つまり、何が言いたいかというと、R&Bの下地を、一挙に、一人の音楽プロデューサーが作り上げているんですね。他にもそういう方がいらっしゃるのかもしれません。
なんてこったいってなっていますよ。
調べていくと、こんなことってあるんだなって出来事に遭遇します。一人の音楽プロデューサーが、音楽会社を設立してまで、何をやっていたかというと、R&Bの音楽の下地作りだったんですよ。信じられますか?私も、信じられません。アメリカのポピュラー音楽の研究者のみなさんからすると、なんで、そんな当たり前のことで騒いでいるだって思われるかもしれませんが。だって、調べるまで、わからなかったからです。これでも、頑張っているんですけどね。